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第42話 少女が出掛ける前


「マスター」
 ドアを開け、皐月は声を掛けた。
 紺色のワンピースに、白いジャケットというシンプルな恰好である。室内で過ごす時は、大抵飾り気の無い恰好をしていた。外に出掛ける時もあまり派手な恰好はしない。
「コーヒーをお持ちしました」
 コーヒーを載せたトレイを持ち、ヒサメの元へと歩いていく。
 窓辺に置かれた机に向かい、ヒサメはパソコンで図面を描いていた。シャツに白衣、ジーンズという恰好の五十路過ぎの男である。モニタに映っているのは三次元CADで、人間の骨のような形を作っている。アンドロイドの骨格らしい。
 皐月は机に近付き、コーヒーの入ったマグカップと瓶入りの砂糖を置いた。
「ありがと」
 そう笑ってから、ヒサメが瓶を開ける。
 中身の砂糖を全部躊躇無くマグカップにぶち込んでから、スプーンで丹念にかき混ぜる。深煎りしたコーヒーとほぼ同量の砂糖。それは黒くてドロドロした液体だった。黒い液体がスプーンに絡み付くのは傍目にも分かる。
 それを半分ほど飲み、ヒサメは満足げに息を吐いた。
「甘い」
「そういう飲み方は止めた方がいいですよ」
 やや引きながらも、皐月は冷静に告げる。
 糖分は脳に必要な栄養素だが、このように摂取するものではない。
 残りも飲み干してから、ヒサメがマグカップを置く。
「由緒正しい飲み方らしいんだけど、あんまり美味しくないや」
「ならやらないで下さい……」
 額に手を当て、皐月はため息をついた。
 思いつきで変なことをするのは昔からである。話によると子供の頃から好奇心が強ようだった。その好奇心が発想力の源であると言う人もいる。
「面白そうだからね」
 と、笑うヒサメ。
 それから、じっと皐月を見つめる。
「皐月も随分と人間みたいになったな」
「そうですね。不思議な感覚ですよ。わたし、機械なのに」
 自分の手を眺めながら、皐月は笑った。
 作られてから十九年が経つ。今ままで色々な事があった。普段はヒサメの助手のような事をしているが、時に重火器を構えて危険地域に飛び込んだり、一方で舞台に上がって歌ったり踊ったり、様々な事をしてきた。事実上ヒサメのエージェントである。多彩な経験は機械の思考に感情のようなものを作り上げる。
 ふと顔を真面目なものに戻し、ヒサメが引き出しから書類を一枚取り出した。
「中央情報局から許可が出た。いくつか機構を追加する」
 皐月は目蓋を半分下ろし、緩く腕を組んだ。真面目な顔を見せているが、その実碌でもない事を考えているのは、いつものことである。
 目蓋を少し下ろし、皐月は口を開いた。
「……何企んでるんですか? ドリルもパイルバンカーもいりませんよ」
「そういうのじゃないから、安心しなさい」
 右手を持ち上げ、ヒサメは楽しそうに白い歯を見せた。


 シャッ……。
 微かな音を立て、右手甲から三本の爪が現われる。薄い金色の鈎爪。長さは十八センチで厚みは一ミリ。薄いが、金属炭素合金製であるため非常に硬い。
 しばしその武器を凝視してから、
「何ですか、これ?」
 皐月はジト眼で訊いた。
 どこかにこんな爪を出して暴れ回るヒーローがいた気がする。
 両手を広げ、ヒサメは得意げに答えた。
「スクラッチクロー。金属炭素合金の爪に超高周波振動を走らせ、切断力を強化。鉄でもコンクリートでも、豆腐やゼリーみたいにスパスパ斬れる! それも含めて全部で七つの秘密機能を搭載する予定だ」
 全身に追加された装備品。その仕様と使用方法。それをライブラリから読み出し、確認していく。確認するまでもなく、どれも戦闘用だった。
 無言のまま。
 皐月は近くのスチールラックめがけて腕を振った。埃を払うように軽く。三本の爪が鉄パイプをすり抜ける。視覚にはそう映った。パイプの破片がふたつ、床に落ちる。
「うっわ。本当に斬れますよ、これ」
 戦きながら半歩退き、皐月は爪を見た。驚きすぎて変な笑みが口元に貼り付いている。鉄を斬ったというのに刃先には刃毀れすらない。予想以上の切れ味である。
「でも、何故こんなもの付けるんですか?」
「護身用。君はほぼ最高性能のアンドロイドだからね。結構狙ってる輩が多いんだ。行動に移すようなのはまだいないけど。身を守る手段は持っておいた方がいい。備えあれば憂いなしと言うだろう?」
 性能3A。この街でも五体しかいない超高性能アンドロイドの一体だ。そのデータを狙っている者は多いらしい。ヒサメ自身明確な所属組織を持っていないことも理由だろう。しかし、護身のためにここまで武器が必要かと問われればかなり怪しい。
「本音は?」
「面白そうだから!」
 皐月の問いに、ヒサメは拳を握って答えた。
「やめてください。そういうノリは」
 爪を引っ込め、肩を落とす。
 少しだけ開いた窓から冷たい空気が流れ込み、カーテンを揺らした。今日はいくらか暖かいものの今は真冬である。春はまだ遠い。
 手を膝に置き、ヒサメは眉間にしわを作った。
「でも、飛行機能は止められてしまった。無念だ」
「飛行機能も付けるつもりだったんですか?」
 あきれ顔で皐月は言った。
 重力に干渉して物体を飛ばする機構は存在している。しかし、それを日常的な環境にあるものに組み込むことはない。理由は単純で、落ちたら危ないからだ。
「うん。……止められたけどね。局長に文句言われた」
 机に頬杖をつき、青い空を見上げる。
 当然だろう。
「でも、空は飛んでみたかったですね」
 左手で口元を押さえ、小さく皐月は呟いた。禁止されているとはいえ、飛行機能は魅力である。この時代では飛行機を含めて空を飛ぶ機械は少ない。皐月自身空を飛んだ回数は数えるほどである。飛べるなら空を飛んでみたい気持ちはあった。
「期待していてくれ。僕はこれくらいで諦めたりしない」
 ヒサメは得意げに眼鏡を持ち上げた。


「さて、君に任務ができた」
 ヒサメは唐突にそう言ってきた。
「しばらく彼の元でメイドをやって欲しい」
「メイド?」
 皐月は首を傾げる。
 家庭における家事を手伝ったり代わりに行ったりする女性のことを示す単語だ。基本的な家事はいつも行っているし、複雑なこともデータとして知っている。メイドをする気になればすぐにできるだろう。
 気になったのはそこではない。
「彼?」
 ヒサメが書類を見せてくる。
「……葦茂ハル」
 それは一人の人間のデータだった。ハルという名前。名前から身長体重、経歴、趣味や嗜好、一日の主な行動パターンまで細かく記されている。データを見る限りはどこにでもいる若い人間その1だ。特筆することもない。
 ただ、交友関係にちらほらと非常識な名前が入っている。白虹ソラ、など。
「マスターのお友達ですよね?」
 会ったことはないが、名前は皐月も知っている。ヒサメの友人夫妻の息子だった。昔からヒサメとは親交があるらしい。大学に通うため近くに引っ越してくると聞いていた。
 何故自分がその人間の近くに置かれなければならないか。
「うん。これからしばらく、メイドとして彼の身の回りの世話をしてほしい。君をより人間に近づけるために、普通の人間と一緒に暮らしてもらうというのが主な目的だ。ちなみにメイドは僕の趣味だ」
「……本当の目的は?」
 皐月の問いに、ヒサメはからかうように笑った。
「んー。秘密」

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12/10/18