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第3話 初日の終わり


「はい、お茶持ってきたよ」
 机の上にティーカップが置かれた。近くのスーパーマーケットで買ってきた紅茶。高級品でもなく、普通の紅茶である。
「ねえ。何してんの?」
 ディスプレイを眺めながらキーボードを叩く俺を見て、皐月が首を傾げていた。指の上でくるくるとトレイを回している。
「報告書」
 俺は一言答えた。
「そういえば、マスターそんなこと言ってたね」
 理解したらしく、皐月が頷いている。
 ハカセから皐月の一日の行動を一枚程度にまとめて、メールで報告するように言われている。夕方に送られて来たメールに詳細が書いてあった。特に異常な行動を取らない限り、日記のようなものでいいらしい。
「えっと、どんなこと書いてあるのかな?」
 興味津々といった表情で、皐月がディスプレイを覗き込む。
 報告書には今日の皐月の行動に感想を添えて書かれてあった。七階から飛び降りたことや玄関の前でいじけていたこと。部屋がきれいになっていたこと、料理が旨かったこと。基本的なことには問題が無いこと。
「ただ、食事でおかしなもの作るので、そこは直してほしいです……?」
 一文を読んで、皐月は眉根を寄せた。
 ディスプレイを暫く見つめてから、俺に視線を移す。
「わたしの作った晩ご飯何かおかしかった?」
「ああ」
 素直に頷く。
「何だあの料理?」
 皐月の作った夕食は普通だった。
 ピラフのようなモノ、サラダのようなモノ、唐揚げのようなモノ、スープのようなモノ、デザートにはプリンのようなモノ。「〜のようなモノ」は装飾ではない。
 味に文句はないのだが、普通の俺の知っている料理と明らかに違った。
「フェレンゼライスにアイディサラダ、アルテルフフライ、あとフレールのスープ。デザートにはティアのプディング。頑張って作ったよ」
 さらりと答えた皐月の言葉に、俺は追求を諦める。聞いたこともない料理名。創作料理か一般人が知らない珍品か……。ハカセが興味本位で組み込んだのだろう。
 ディスプレイを眺めてから、皐月はふと呟いた。
「ねえ。この……個人情報法保護法違反未遂って何?」
「俺の秘蔵を公開しようとしただろ? 忘れたとは言わせないぞ」
 俺のジト眼に――
 皐月は三秒ほど視線を泳がせて、ぽんと手を打つ。軽薄に頷いた。
「ああ。あれね」
 忘れていたらしい。というか、忘れられるのか? アンドロイドだよなこいつ? 機械って凄い記憶能力持ってるって習ったけど……。やっぱ特別製なのか? オリジナルコアを模して作ってあるっていうし。もしかして、不良品?
 俺の思考をよそに、皐月は真顔で言い放った。ぐっと拳を固めて、
「パソコン内のエロ関係フォルダを全公開しなかったわたしの自制心に乾杯」
「オラアァッ!」
 ガツン。
 と音を立てて皐月が吹っ飛ぶ。
 五十センチほど飛んでから、着地。殴られた顎をさすりながら、反論してくる。
「何すんの。痛いじゃない」
「ぬぁに、極悪無比な情報公開しようとしてんだ!」
 殴った拳が滅茶苦茶痛いのは無視して、俺は叫んだ。
 ネットで集めたエロ画像+エロ動画。他人に公開出来る代物ではない。たとえ気心の知れた友人だろうとも。人として絶対に踏み込まれたくない領域があるのだ。
「もしかして、オールフォーマットの方がよかった?」
 本気なのか冗談なのか分からないその台詞に。
 派手に嘆息してから、俺は少し冷めた紅茶を呑み込んだ。
「勝手に個人の秘密弄るな」
 報告書の続きに、今起こったことを書き足していく。ハカセに頼んで俺のパソコンなどを弄れないように設定を変えてもらおう。
 皐月は空のティーカップを掴み、俺に背を向けた。
「あ。ところで」
「何だよ?」
 訊き返す。
「お風呂早く入ってよ。わたしが入れないから」
 皐月の言葉に、俺は疑問符を浮かべた。
「お前……風呂入るのか? アンドロイドって汗もかかないし、垢も出ないだろ。普通。まさかお前、人間みたいに汗かくのか?」
「汗はかかないけど。埃で汚れたしね。それに、わたしお風呂好きだから」
 ぱたぱたと手を振る皐月。言動だけ見るなら、普通の――ではないな、うん。変わり者の少女だろう。だが、生身の人間が七階から飛び降りは出来ない。
 俺は気になって尋ねた。
「一応訊くけど、お前って本当にアンドロイドだよな。実は高性能サイボーグとかはないよな。生身の人間だった時の思い出とか語られても困るぞ」
「アンドロイドだって……」
 呆れたとばかりに、皐月は両腕を広げる。
「眼からビームとか、口からバズーカとか、肘からミサイルとか、膝からロケットとか、指からピストルとか、そういうトンデモ機能もないよな……」
「それは断ったから」
 続く質問に、首を振った。
 装備させようとしたんだ、ハカセ……。気持ちはよく分かるけど。
「でも、こんなのは装備されたけど」
 皐月が右拳を上に向ける。
 シャッ、と微かな金属音を立てて、三本の鈎爪が飛び出した。
 あまりの代物に絶句し、その凶器を見つめる俺。
 洒落になってないぞ、ソレ。
 指関節の隙間から三本。銀色の鋭利な両刃。刃渡り二十センチほどで、先端に行くほど細い。おそらくは前腕部分に収納されていたものだ。手首を通して突き出し、根本の部分を手甲内で固定してあるのだろう。
「特殊戦闘用アンドロイドに装備される、金属炭素合金のスクラッチクロー……だって。超高周波振動を走らせ、切断力を強化。鉄板やコンクリートでもさくさく斬れるし。どういう原理なんだろ?」
 説明してからクローを収納する。
「何でそんな物騒な武器装備されてるんだよ……」
「わたしって最先端機械だから。産業スパイとか色々狙ってる人いるんだよねー。今まで何度か狙われたことあったし、自分の身は自分で守らないと」
 ウインクしながら笑う皐月。
 実はとんでもない代物預かってない、俺……?
「ま、いいや。俺に構わず風呂入ってくれ。報告書に追加する内容が増えた」
「そう。じゃ、お先にー」
 手を振りながら、皐月は部屋を出た。
 が、すぐさま言ってくる。
「覗いたら殺ス!」
「覗かないって――。ハカセの所で着替えるの見てたから。そのメイド服しか着てないだろ? ブラもパンツもつけてないし、覗き甲斐がないな」
「くたばれー!」
 中指立てて唸ってから、皐月は出て行った。
 知らんがな。
 心中でツッコミ入れてから、俺は再びパソコンに向かう。おかしな武装のことも訊かないと。ある程度は予想してたけど、ハカセは相変わらず変人だ。
 そういや……
 あいつ、メイド服の下にレオタードみたいなボディスーツ着てたな。その下ってどうなってんだろ? ハカセのことだから忠実に再現すると思うが。
「また横隔膜に貫き手喰らうのか?」
 自虐的な苦笑とともに、俺は呟いた。
 それにしても、右拳が痛い。湿布はどこだ……?


「送信――っと」
 エンターキーを押して、メールを送信する。
 風呂に入った後、報告書……というか、愚痴と嘆願書を五枚分くらい書き殴った。既に深夜十二時前。就寝時間だ。右拳には湿布と包帯が巻かれている。指は動くし骨に異常もないようだが、しばらくはこのままだろう。
「ところで、皐月くん」
 俺は椅子を一回転させた。
 腕組みをしてから、ベッドに座って漫画本を読んでいる皐月を見つめる。どこから持ってきたのか、水玉模様のパジャマに着替えていた。
「君はどこで寝るんだい? まさか俺のベッドを横取りするような真似はしないよね?」
 にっこりと微笑みながら、問いかける。
 皐月は漫画本を横に置いて、ベッドから降りた。
「ベッドで寝たいけどねー。わたしもそこまで無礼じゃないよ。機械だからどこでも寝られるしね。寝るというか、記憶情報のデフラグと身体機能の自己検査なんだけど。隣の部屋で寝てるから。起床は何時?」
「七時くらいだな。明日は大学あるし」
「オッケイ」
 親指を立てる皐月。
 とことこと文句を言うでもなく、部屋の扉を開けた。
 思い出したように振り返り、俺を指差す。
「言っておくけど、寝てる最中に何かしようとしても無駄だから。何か危険を察知したら0.1秒で起動して、行動出来るからね」
「……了解、了解」
 ぱたぱたと手を振ってから、ふとその手を止める。
「そういや、電源はどうするんだ?」
「わたしの内臓電源はプロトニウム電池だからね。電池交換なしで三十年くらい動き続けられるよ。電気代の心配はさせないわ。じゃあねー」
 そう言って、皐月は部屋を出て行った。

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 用語説明

 金属炭素
 千数百万気圧以上で圧縮することによって作られる、金属の性質を持った炭素。極めて硬く、軽くて錆びない非常に優れた性質を持つ物質。現実に存在する物質で、現在も研究が成されている。見た目はアルミニウムに似ているらしい。
 ちなみに、ダイヤモンド形成に必要な圧力は約五万気圧以上。金属炭素を作るには現在ではレーザーが使われるが、微量しか作れないらしい。

 スクラッチクロー
 右腕の前腕部分に収納された、三本の鈎爪。指関節の隙間から飛び出す。刃渡り18cmの両刃。X-MENのウルヴァリンを想像してもらうと分かりやすい。刃先を疾る超振動により分子間結合を劣化させ、大抵の物質を切断することが可能。
 特殊戦闘用アンドロイドに標準装備された武器の強化版。護身用に装備される。人間を攻撃することはできない。

 プロトニウム電池
 陽子と反陽子から構成されるプロトニウムを50μg含んだ電池。大きさはジュース缶ほど。内部のプロトニウムを緩慢に対消滅させながら、そのエネルギーを電気に変換して放出する。高出力長寿命の電池。