Index Top 第6章 鋼の書

第7節 フェイク


 ディアデムの左手が、エイゲアの胸を貫いた。
 引き戻したその手には、白い剣が握られている。
 無音の絶叫を上げながら、エイゲアが後退する。胸の傷は、見ているうちに塞がった。傷跡すら残っていない。この悪魔は、どんな傷でも再生させてしまう。
「生き物をより強い存在に変えるなど、この剣の副作用に過ぎない――」
 ディアデムの手の中で剣が変化を始めた。白い石のような刃と柄が、黒く染まる。暗黒と化した剣は形が崩れ、膨れるように大きくなっていく。数秒もたたず、暗黒は長大な剣の形に変化した。
 元の形を三倍ほどに大きくした、暗黒の大剣。
 エイゲアが突進してくる。
 ディアデムは暗黒の剣を振った。黒い刃が、エイゲアの翼ごと右肩を斬る。抵抗は感じない。空振りしたように翼と肩を斬り抜いた。
 エイゲアの腕と翼が地面に落ちる。
 ディアデムは再び暗黒の剣を振った。後退したエイゲアの胸をかする。胸に深い傷が刻まれた。しかし、それは斬られた傷ではない。彫刻刀で深く削ったような跡である。
 傷に構わず、エイゲアが左腕を突き出してくる。
 ディアデムは暗黒の剣をかざした。剣の腹で腕を受け止めるように。
 漆黒の腕が肘まで暗黒の剣に突き刺さった。しかし、反対側に腕は出てこない。エイゲアが腕を引くと、肘から先がなくなっている。
「ククククク――」
 ディアデムは笑った。
「貴様の攻撃など、我には通じない。この剣の本質は、事実の否定。この刃に触れたものは、どんなものだろうと消滅する。いかなる力を以てしても防ぐことなどできない!」
 暗黒の剣が、エイゲアの胸を貫く。
 漆黒の身体が、さらに深い暗黒色に染まっていった。
 エイゲアが断末魔の咆哮を上げる。空気だけが震え、声は聞こえない。
 そして、十秒と経たずに、エイゲアはこの世から消え去った。


「あった!」
 メモリアは声を上げた。
 地面に置かれた一枚の呪符。
 半月に照らされた草の上に、無造作に置かれている。手の平大の符。注意しなければ、見過ごしていただろう。もしかしたら二、三枚、見過ごしていたのかもしれないが。
 とにかく、呪符は見つかった。
「あとは、壊すだけ」
 言って、メモリアは破り捨てようと呪符を掴んだ。
 が、呪符は破れない。手触りから、紙ではなく丈夫な布だということが分かる。持ち上げようとしても、持ち上がらない。
 封印の魔法の他にも、何か防御の魔法がかけてあるらしい。
 この呪符を破壊するには、防御の魔法を貫かなければならない。
 そう判断し、メモリアは結界の外へと出た。
 うまくいくかどうか分からないが、自分が使える一番強い魔法をぶつける。
 メモリアは杖をかざし、呪文を唱えた。
「赤き灼熱の炎よ、集まりて一本の槍と化し、敵を貫き焼き尽くせ」
 魔力が収束し、魔法の構成に従い、現象を組み上げる。
「フレイム・ランス!」


 一矢は、左手の原稿用紙を見つめた。
 ハドロも原稿用紙を見つめている。
「あの男は、お前が持ってる原稿用紙は、三枚だと言っていた。一枚目はシギを怪物に変えるのに使った。二枚目はアルテルフを助けるのに使った。三枚目はさっき使った。残りがあるはずがない!」
「これは、鋼の書からちぎれた一枚だ。前、うっかり破ってな。捨てるわけにもいかないから、持ってた。これでお前を倒す。信じるか信じないかは、お前の勝手だ」
 一矢は唸るように告げた。
「一矢……」
「一矢君、それ勝算はあるのかい?」
 アルテルフの問いに、一矢は確信した口調で答えた。
「ある。あいつは、僕が使える原稿用紙は、さっきで終わりだと思ってたからな。こっちは、あいつを倒す展開を考えてある。布石は打った」
 言い終わり、右手の刀を横に構える。体力は限界に達していた。全力で動けるのは、あと一回だけだろう。次の行動で決めなければならない。
「忘れたのか? 俺は鋼の書に一行だけ自分の意思で文章を書き込める」
 鋼の書を開いたまま、ハドロが呟いた。
 一矢は挑発するような目付きで、相手を見返す。
「忘れたのか? 僕には最後の一枚がある。要は、どっちが先に書き込むかだ――だが、どっちが先に文章を書いても、僕が勝つ。戦闘能力はお前の方が上だが、文章技術は僕の方が圧倒的に上だ!」
 言って最後の気合を振り絞って駆け出す。ハドロに考える時間を与えてはいけない。時間が経てば、自分の考えを悟られる危険性が増す。
 一矢は原稿用紙と刀を持ったまま、槍の間合いへと飛び込んだ。
 肩の激痛を無視して原稿用紙を持ち上げる。
 同時に、ハドロが鋼の書を見やった。
《ハドロは穂先で原稿用紙を斬り捨て、イッシの心臓に穂先を突き立てた。即死である》
《しかし、それはハドロの見た錯覚に過ぎなかった。穂先は空を突く。
 一矢は突き出された槍を、身体をひねって辛うじて躱していた。穂先が左の上腕を掠ったが、痛みは感じない。剣の間合いの内側へと飛び込む。
 ハドロとすれ違う直前に、一矢は身体を一回転させた。刃を返し、回転によって最大限まで加速された峰打ちを、ハドロの後頭部へと叩き込む。
 そのまま、一矢は地面に膝をついた。
 同じくして、槍と鋼の書を地面に落とし、ハドロはうつぶせに倒れる。気を失ったらしい。死んではいないが、ぴくりとも動かない》
「僕の勝ちだな……」
「一矢!」
 叫びながら、テイルが飛んでくる。遅れて、アルテルフも歩いてきた。傷のせいで、走れない。左足を引きずっている。
「その原稿用紙――」
 テイルは、一矢が持った原稿用紙を見つめた。半ばから斬られ、焦げた原稿用紙。
 一矢は原稿用紙を振りながら、
「これは、偽物だ。いざって時を考えて、アルテルフ博士の家にあった原稿用紙を切って作った。はったりに使えると思ってね」
「しかし、偽物なのに、なぜ文章が書き込めたんだい?」
「僕が文章を書き込んだのは、鋼の書だ。鋼の書が開いてあれば、僕は自分の意思で文章を書き込める。文章を書き込むには、開いてある鋼の書があればいい。だから、あえてハドロが鋼の書に一行だけ文章を書き込める文章を書いた。一行くらいなら、次の文章でごまかせる」
 その言葉に、テイルが顔を青くする。
「あなた……」
「勝つには、これしか方法が思いつかなかった」
 言っていると。
「イッシさーん」
 メモリアの声が聞こえた。

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12/7/22