Index Top 第3章 時間の埋め方

第7節 帰ってきた者


 技術都市ハムト・カウ――
 この町を離れていたのは約半年。
 短かいようで、非常に長かった月日。
 その半年の間に、何が変わったのだろうか、何が変わっていないのだろうか。
 ただひとつ、言えることがある。この半年の間、自分はこの街にいなかった。それは、確実な変化だ。しかし、その変化は正されるだろう。
 夕刻前の空を見ながら、思う。
 自分はこの街に帰ってきた。街を離れていた時は、二度と戻ってこられないと思ったこともあった。しかし、自分は帰ってきた。なすべきことをなすために。
 まずは調べなければいけない。
 自分のいなかった半年の間に、何があったのか。そのことに対して、自分は何をしなければならないのか。他にも、やらなければならないことは山とある。
 ぼろ布のようなマントが風になびいた。
 街へと足を進める。
 街は何事もなく、その男を受け入れた。
 だが、それは大きな激動の始まりでもある。


 アルテルフに渡されたのは、一本の短剣だった。
 刃渡りは三十センチほど。二等辺三角形の刃は、薄い青色を帯びている。これは、神気を込めた神剣らしい。しかし、それほど質のいいものではない。もっと質のいいものはあるらしいが、手に入れるには面倒な手続きがいるらしい。
 一通り短剣を眺めてから、一矢は刃を鞘に収めた。
「ありがとうございます」
 アルテルフに礼を言って、短剣をベルトの後ろに差す。
 屋敷の一階にある、アルテルフの自室。内装は協会の研究室とあまり変わりはない。違いは、部屋に置いてある実験机がふたつではなく、ひとつということである。左右の壁は、本棚と薬品棚で埋まっていた。
「白の剣の調査はどこまで進んでる?」
 入り口近くの壁に寄りかかったシギが、アルテルフの机を見つめる。そこには、白の剣についての調査書が詰まれていた。積まれた紙の厚さは、一センチほど。色々な調査をしたことが知れる。
「進んでないね」
 アルテルフが答えた。窓の傍らに立って、調査書の束を眺めている。
 本棚の前にメモリアと一緒に立って、一矢は事の成り行きを見守っていた。テイルはなにをするでもなく、一矢の近くを漂っている。
 アルテルフは書類に手を添えて、
「この白の剣は、今まで見たこともない旧世界の遺産だ。何を試しても、力を引き出せない。今も調査中だよ」
「調査はいつ頃終わりそうだ?」
 腕組みをして、シギが尋ねる。
 アルテルフは遠い眼差しで窓の外に目を移した。苦笑混じりに答える。
「分からないよ。未だに力の一端も引き出せていないんだから」
「あんたなら、何とかなると思ったんだがな……」
 いくらかの失望を含んだ声音で、シギが呻いた。
「いくら天才と呼ばれても僕は人間だ。限界というものがある。万能じゃない」
「シギさん!」
 不意に、メモリアが声を上げた。周りを見回しながら、
「凄い力が……」


 目の前には、複雑な図形を組み合わせた魔法陣が描かれていた。
 魔法陣は膨大な魔力を湛え、禍々しく輝いている。
 ハドロは腰に差した大型のナイフを抜いた。銀色の刃先を左手の人差し指に走らせる。微かな、だが鋭利な痛み。皮膚が斬れた。
 指先から流れ出した血が、魔法陣の上に落ちる。
「人の邪心より生まれし者よ、我が血の契約において、姿を現せ!」
 ハドロは両腕を振り上げた。
 魔法陣の輝きが黒く染まっていく。ハドロは無言の笑みを浮かべながら、魔法陣を眺めていた。強力な悪魔を召喚する儀式。
 魔法陣からは色も形もない禍々しい力が放たれている。その力を間近から浴び、ハドロは背筋が凍りつくような寒気を覚えていた。だが、これすらも心地よい。
 これが、鋼の書を奪う力となる。
 ハドロは叫んだ。
「出でよ! グレートディーヴァ・エイゲア!」
 それに応えるように、魔法陣から漆黒の影が現れる。


 部屋から脱出できたのは、メモリアの力のおかげに他ならない。
 アルテルフの部屋は外から強力な魔法を打ち込まれ、跡形もなく吹き飛んだ。その寸前に、一矢たちは廊下へと逃げ出している。
 ハドロが来たのだ。
 揺れの収まらない廊下を走りながら、シギが唸る。
「まさか、こんなに大胆な行動に出るとは思わなかった。イッシ、剣を貸せ」
 言われるままに、一矢は刀をシギに渡した。全員いるかどうかを確認するように、周りを見回す。メモリアとアルテルフはいた。しかし――
「テイル!」
「ここよ!」
 声は耳元で聞こえた。視線を動かすと、テイルは一矢の肩に掴まっている。逃げる際に、咄嗟にしがみついたのだろう。何にしろ、全員無傷である。
 玄関にたどり着き、シギが頑丈な扉を蹴破った。
 外へと飛び出す。が――
「止まれ!」
 言われて、一矢たちは立ち止まった。
 午前中、剣の特訓をしていた庭。一見、午前中と変わりないように見えた。が、夕日に照らされた庭のあちこちに、黒い水溜りのような闇があるのに気づく。
 見ているうちに、闇から生えるように漆黒の魔物が姿を現した。
 身長は二メートルを超えるだろう。体格は人間に近いが、身体は黒く節くれだっていて、手足の爪は長く鋭い。背中からは一対の大きな翼が生えている。その顔はまさしく悪魔だった。鋭い牙に血のように赤い瞳、頭には二対の角が生えている。
「ディーヴァ――か」
「ディーヴァって何?」
 シギの呻きに、メモリアが尋ねた。
「人間の邪念が集まって生まれた悪魔の一種だ。力は同じ悪魔のデーモンに劣るが、俊敏性や知力が高く、魔法に似た力も操る。並の攻撃は通じない」
 説明してから、刀の柄を差し出してくる。
「使え、イッシ」
 一矢は刀を受け取った。その刀身は白く激しく輝いている。神気を込めた刀ならば、この敵を斬ることもできるだろう。これを使って身を守れということか。
 シギが両手首の腕輪を外す。ドス、と重い音を立てて腕輪が地面にめり込んだ。
「メモリアとアルテルフはそこでおとなしく待ってろ。こいつらは俺が片付ける!」
 純白の神気が業火のように燃え上がる。アルテルフが息を呑むのが見えた。その量は、オウシンで見せたものの何倍にもなる。凄まじい輝き。
 白く輝く左手を地面に押し当て、
「大地よ、我が剣となれ!」
 すると、地面が白く染まり、三十センチほどの茶色の棒が突き出した。シギはそれを掴み、真上に腕を振り上げる。地面から抜き放たれるように、一本の剣が現れた。
 刃渡り百センチほどの、両刃の大剣である。神気で土を操り、剣を作り上げたらしい。土でできているとはいえ、強度や斬れ味は鋼鉄の剣を超えているだろう。シギの神気の強さからするに、その破壊力は生半可なものではない。
 柄を両手で掴み、シギが駆け出した。

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12/2/12