Index Top 第3章 時間の埋め方

第2節 中央科学技術研究所


 町の中心に佇む、中央科学技術研究所。頑丈な石造りの八階建て。中央――というだけあり、周りの建物より頭ひとつ分背が高く、幅も広い。
 中に入ると、薬品の匂いが鼻をくすぐる。壁や天井の色は白で、床はリノリウム貼り。
掃除も隅々まで行き届いていて、塵や埃も見られない。その雰囲気が、そこはかとなく病院を連想させる。
「アルテルフ博士の面会は自由です……ねえ」
 階段を上りながら、シギは呟いた。
 受付にアルテルフ博士に会いたいと告げたら、このような答えが返ってきたのである。受付で何時間も待たされると思ったが、実にあっけなかった。
 が、気になることもある。
「しかし、つまらない用事だと追い返されるので注意して下さい……って?」
 一矢は呻いた。これも、受付で言われたことである。
「アルテルフ博士って、どんな人なんだろ?」
「変わり者っていうくらいだから――」
 人差し指を振りながら、テイルが言った。嬉しそうに、
「きっとぼさぼさの髪に、ぐるぐる眼鏡かけて、よれよれの白衣着てるんじゃない」
「そんな、典型的な変態科学者……いるか?」
 テイルの話を聞いて、一矢は頭をかいた。そんな絵に書いたような変わり者いるはずがない――と、言い切れないのが、この世界である。
 シギがぼそりと呟いた。
「裏をかいて――丁寧に手入れされた髪に、端正な顔立ちで、ぴしっと糊の効いた白衣姿だったりして……」
 言っているうちに、七階へとたどり着く。この階にアルテルフ博士の研究室があるという。その研究室は三秒もせずに見つかった。
 階段を上り切った、目の前にある。
「07001シェルタン・アダフ・アルテルフ博士研究室」
 木の扉に、そう書かれた札が貼られていた。
「ここか――」
 シギは扉の前に立ち、ノックをする。
 一拍の間を置いて、声が返ってきた。
「扉は開いてるから、勝手に入ってきてくれないかい」
 落ち着いた声である。男の声としては高い方だが、特別変わった気配は感じない。
 一矢たちは顔を見合わせた。この中はどのような光景が広がっているのか。根拠のない緊迫感に駆られている。変わり者と言われる科学者の部屋。
 シギは扉を開けた。
 部屋はそれなりに広い。実験用の机が二つ。一方はビーカーやフラスコ、試験管や薬品瓶で埋め尽くされていて、もう一方は何も置いていない。部屋の左右には壁を隠すように棚が並んでいる。左は薬品や実験器具に、右は分厚い本に埋め尽くされていた。正面の窓の隣には、机が置いてある。
 机の椅子に座っていた男――アルテルフが立ち上がり、振り返ってきた。
「誰だい? 君たちは――。僕に何の用だい?」
 二十代後半の背の高い男である。寝癖か髪型か分かりにくい赤髪と、対照的に整った顔立ちで、銀縁の丸い眼鏡をかけていた。身にまとっているのは白衣ではなく、複雑な形状をした青い長衣である。どこかの民族衣装だろうか。何かの儀式服にも見えた。
 シギは親指で自分を示して、
「俺はシギだ。こっちは、メモリア。こいつは――」
 と、一矢に手を振ってくる。
「僕は一矢。で……」
「あたしが、テイルよ!」
 マントの襟元から飛び出し、テイルが手を上げた。
 その姿を見て、アルテルフは目に怪しい色を浮かべた。足音もなくテイルの前まで移動し、その身体を探るように見つめる。テイルは、動けない。
「妖精か――。僕も初めて見るな。用事とは、この妖精を調べることかい?」
 固まったテイルを指差し、アルテルフはシギを見やった。
「違う。あんたへの用事は別にある」
「別――と言うと、この妖精よりも興味深いことなんだね?」
 ――つまらない用事だと追い返されるので注意して下さい――
 一矢は受付で言われたことを心中で繰り返していた。シギの用事を、アルテルフがつまらないと判断すれば、自分たちは追い返されるだろう。
 シギは目付きを険しくし、言った。
「用事はふたつ。実質ひとつ。クオーツ研究所と鋼の書のことだ」
「………」
 アルテルフの顔から感情が消える。
「俺とメモリアは、クオーツ研究所から脱走してきた。あんたには、脱走する時に盗んだものを調べて欲しい。他の科学者じゃ歯が立たなかったが、あんたならできると思う」
 言いながら、シギは肩に乗せていた鉄の箱を床に下ろした。平然と担いでいたが、さすがに疲れたらしい。肩を回している。
「ほう。興味深いね」
 言って、アルテルフは箱を見つめた。
 次いで、シギは一矢を示し、
「こいつは、鋼の書の使い手だ。鋼の書に触れたせいで、異世界からこの世界に引きずり込まれたらしい。どこから情報を得たか知らんが、ハドロは鋼の書の存在を知り、それをこいつから奪おうとしている」
「ふむ――」
 アルテルフは眉を動かした。銀縁眼鏡を指で動かすと、窓のほうへと歩いていく。何かを考えるように外の風景を眺めてから、振り返ってきた。
「話が長くなりそうなので、お茶の用意をしよう。そこに座って、一分ほど待っていてくれないかな。おいしいお茶を持ってくるから」
「ああ、分かった」
 頷くシギを見て、部屋を出て行く。
 扉が閉まってから、シギは実験机の近くに置いてあった椅子を?んだ。
「何だか、思いの外普通で、かえって不気味だな……」
 言いながら、窓を背にして椅子に座る。
 一矢とメモリアも椅子を持ってきて、シギと向かい合うように座った。メモリアが背中に背負っていた杖を机の上に置く。
「でも、あの博士さん、悪い人じゃないよ」
「そうだがなぁ……」
 納得できないといった面持ちで、シギは呻いた。シェルタン・アダフ・アルテルフ。信用していい人物であるのだが、そこはかとなく不安がつきまとう。
 机の上に下りたテイルが、人差し指を立てた。
「別に、変な薬とか飲まされたりするわけじゃないから、いいいじゃない」
 その言葉に、一矢は本棚を見つめ、ぼそりと呻く。
「ないだろうけど……あの人を見てると、ないと言い切れないところが怖い――」
「そんなこと言ってると、本気で薬とか飲ませるよ」
 冗談のような台詞が聞こえてきた。

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12/1/8