Index Top 第2章 進み始める世界

第4節 買い物


 街道沿いの宿場町オウシン。
 街道の交差点にあるカーントほど広くはない。しかし、宿場町としては標準的な規模だった。食料や日用品を買ったり、宿に泊まったりすることはできる。宿場町として不自由することはない。
「丸一日時間が飛ぶってのは、さすがに効くな……」
 頭を押さえて、一矢はこっそりとぼやいた。途中、特別に何かあったわけではないが、頭の中にもやもやとしたものがこびりついている。
「物語によっては、一週間や一ヶ月も時間が飛ぶこともあるわよ。この物語じゃ、そんなことはないと思うけど」
 マントの襟元に隠れたテイルが、気楽に言ってくる。
「大変だな」
 他人事のように呻き、一矢は隣のシギに目を移した。
 一矢たちが歩いているのは、街道と交差する通りである。長さはそれほどではないが、道幅は広く、馬車が五台は並べられるほどだ。通りを歩いているのは、町の人間と荷物を持った旅人、合わせて三十人ほど。馬車は邪魔になるので、馬車預かり所に置いてきた。
「なあ、シギ」
 一矢はシギの胸元と両手首を示し、問いかける。
「その錠前の首飾りと腕輪……寝る時も外さないよな。何か、あるのか?」
「ああ、これか」
 シギは左手を肩の辺りまで持ち上げて見せた。
「お護りだよ。逃げる途中によった村の風習だ。男は成人とともにこれを受けとり、死ぬまで外してはいけない。自分自身を戒める証、とか何とか……そんなもんだ」
「戒め……?」
「シギさん。ここで、何買うの?」
 シギの隣を歩きながら、今度はメモリアが呟く。
 一矢から目を離し、シギはメモリアに目を移した。カチャンと音を立てて、錠前が胸元に落ちる。ここで何を買うのかは、一矢も聞いていない。食料ではないだろう。
 そう思っていると、シギは一矢を指差し、
「こいつの寝床だよ。俺でも、何もなしで寝るのは結構きついからな」
 昨夜、野宿をした時、一矢はシギの寝具を借りて眠ったのだ。シギは何も使わないまま、馬車に寄りかかって寝ていた。この季節、昼間は暖かいが、夜は冷える。その中で、何もなしで寝るのは寒いだろう。
「だが今、余計な買い物をするほどの金がない。そこで、鋼の書を使いたい……。格安で寝床を買えないか?」
 と、近くにある道具屋を示す。
 一矢は襟元のテイルに視線を落とした。
「できるのか?」
「それは、あなたの文章力次第よ。格安の寝具が売ってるような展開が書ける?」
 いつもの口調で、言ってくる。
「………」
 一矢はマントから鋼の書を取り出し、それを開いた。展開を考え――
「よし。行くぞ」
 道具屋に足を進める。
《店の中は、暗いとはいえないものの、外の明るさはない。
 縦に並んだ木の棚には、日用雑貨や薬などから、短剣などの護身用武器まで色々な物が置かれていた。商品によって値段はまちまちであるが、無闇に高いものはない。
 奥に進むと、木のカウンターがある。その隣に、それはひっそりと置かれていた。
『中古寝具・処分品』
 自分たちが使っているのと、同じ形の寝具である。使い古されているが、まだまだ使えるだろう。むしろ使い込まれた分、新品よりも使いやすいかもしれない。
 その値札に書かれた金額は、五千一万、一万二千タート》
 一矢は書き終えた鋼の書を、マントにしまう。
「便利だな……」
 微苦笑しながら、シギはカウンターに向かって行った。鋼の書を使わずにこの道具屋に入っていれば、この中古寝具は売っていなかったはずである。
「鋼の書って、何でもできるんだね」
 胸元で手を握り、感心したようにメモリアが言ってきた。
「何でもできるわけじゃないんだけど……」
 テイルが呻く。鋼の書は万能ではない。
 しかし、文章として筋の通っていることならば、自在に実現できるのは紛れもない事実だ。うまく鋼の書を使えば、世界を征服することすら可能かもしれない。
 気になって、一矢は尋ねた。
「なあ、テイル。鋼の書に文章を書き込めるのは、僕だけだよな?」
「違うわよ」
 テイルがさらりと言ってくる。
「念じるだけで文章を書き込めるのはあなただけだけど、鉛筆や万年筆を使って鋼の書に文章を書き込むことは誰にでもできるわ」
「……それって、僕から鋼の書を奪えば、そいつは鋼の書を使ってこの世界を自由に操れるってことなのか――!」
「奪った奴に文章技術があれば、そうなるわね」
 これまた当然のごとく言ってくる。
 鋼の書が誰でも扱えるということが示すのは、鋼の書は決して他人に奪われてはならないということだ。奪われれば、何に悪用されるか分からない。
「シギさん」
 突然、メモリアが声を上げる。その顔には、薄い緊張が浮かんでいた。
 カウンターごしに店主と値段交渉をしていたシギが、メモリアに向き直る。その顔にも緊張が浮かんでいる。何かあるらしい。
「どうした?」
 その問いに、メモリアは壁の方を見つめたまま、答えた。
「誰か来る」
「親父、これは定価でいい」
 シギは早々に値段交渉を切り上げ、寝具を買い取ると適当に丸める。それを抱えたまま、まるで逃げるように店を出た。それに、メモリアが続く。
 遅れて、一矢も外に出た。さきほどと変わらないように見える通り。
「どうしたんだ?」
「敵だ」
 答えて、シギは丸めた寝具を地面に放り投げた。
 それを合図にしたように。
 通りにある店の陰や屋根の上から、黒い人影が姿を現した。顔や手を含む身体の全てを黒装束で包んで、性別も年齢も分からない。そんな者たちが二十人。各々、手に剣や槍などの武器を持っている。
 その物騒な姿を見て、通りを歩いていた人たちが、悲鳴を上げながら次々と逃げ出していった。ほどなくして、通りから人の姿が消える。
 一矢とテイルを含めた、シギたち四人だけが残った。


「思ったよりも、手間取ったようですね」
 男は誰へとなく語りかけた。しかし、相手はいない。
 もっとも、相手がいないことなど取るに足らないことである。話しかけているのは、自分なのだから。誰かが聞くこともない。
「まさか、一矢殿がこれほどの傷を負うとは――予想外でした。それとも、準備もなく鋼の書に挑んでで生きていられる方が特筆すべきですか?」
 問いかけるが、返事はない。あるはずがない。話しかけている相手が、いないのだから。答えは自分で言うしかない。
「分かりませんね。この試みは初めてですから」
 声は何もない空間へ散っていく。反響もない。
 男は思索するように顎に手を当てると、
「これから物語がどの方向へ進むのか。それは一矢殿しだいですね。私は私がやるべきことをやりましょう」
 呟いて、どこへとなく消えていく。

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11/11/20