Index Top 第2章 進み始める世界

第2節 不確定を確定させる力


《箱の蓋を開け、それを手近な箱の上に置く。
 中に収まっていたのは、反りのある一本の黒い棒だった。しかし、それは棒ではない。黒鞘に納められた、細身の剣――刀である。
 一矢は柄を掴み、鞘から刀を抜き放った。解き放たれる透き通った刀身。刃先は触れただけで斬れそうなほどに鋭い。刀剣のことを知らずとも、並大抵の代物でないと分かる》
 抜いた刃を鞘に納め、一矢は刀を腰に差した。
「あなた、ねえ……」
 蓋の上に立ったまま、テイルが言ってくる。
「鋼の書に書き込んだ時、あたしのこと、書き忘れたでしょ」
「あ、ああ……」
 一矢は鋼の書を見つめた。箱の中身を刀だと決める文章では、テイルのことは書いていない。書かれていないことは起こっていない。
 木板の上で足を踏ん張ったまま、テイルが言ってくる。
「ともかく、助けて……」
「分かった」
 言われて、一矢は両手を伸ばした。テイルの身体をそっと掴み、マントの襟元に押し込む。これなら、風に飛ばされることはないだろう。
「ねえ、イッシさん」
 メモリアが声をかけてきた。
 一矢はテイルから目を離し、メモリアに目を移す。
「昨日から訊こうと思ってたんだけど。イッシさん、何でわたしのことやシギさんのこと、知ってたの? 初めて会ったのに――」
「え……!」
 訊かれて、一矢は言葉を詰まらせた。これは何と言えばいいのだろうか。事実を言うわけにはいかない。言えば大混乱になるだろう。信じて貰えないかもしれない。
 口の中で何度も言い直してから、告げる。
「僕はこの世界のことを少しだけ知ってる。だから、この世界に飛ばされたんだよ」
「何で知ってるんだ?」
 シギの問いに息を止めつつも、一矢は言い訳を言った。
「……その理由は言えない。言うのを禁じられてるわけじゃないけど、それを言うとこの世界が大混乱になる可能性があるんだ。なあ、テイル?」
「そうね。大騒ぎになるかもね」
 緊張感のない口調で、テイルが答える。
 それを聞いて、シギはメモリアに目を移した。何かを視線だけで会話しているらしい。メモリアが頷くのを見てから、肩越しに顔を向けてくる。
「なら、お前がいた世界ってのは、どんな世界なんだ?」
「え……!」
 訊かれて、一矢は再び言葉を詰まらせた。これは何と言えばいいのだろうか。事実を言っても、大丈夫だろう。二人が現実世界に現れることはない。
「そういえば、あたしもあなたがいた世界のこと聞いてないわね」
 テイルの呟きに、一矢は驚きの声を漏らした。
「君は、僕の世界のこと知らなかったのか!」
「あれ、言わなかったっけ? あたしが知ってるのは、この世界に来てからのあなただけよ。元の世界がどんな所なのは知らないわ」
「どんな世界なの?」
 シギ、メモリア、テイルの視線を浴びながら、脂汗を流す。自分のいた世界。現実世界。身近すぎる問いだけに、かえって答えるのは難しい。
 言葉を選びながら、一矢は話を始めた。
「僕の住んでる世界は――世界には、魔法とかそういう力はない。けど、科学技術がある。この世界の科学技術より、五百年から千年は進んでると思う。生活に使われるエネルギーは電気で、僕は今のところは生活に不自由してない。街は広くて、中心の方に行くと、十階建て二十階建てを超える建物がざらにある」
「凄い所なんだな」
 シギが感心の声を上げる。一矢の話を元に、現実の世界を空想しているのだろう。どういう世界を思い浮かべているのかは分からないが。
 一矢は腰に差した刀を見ながら、
「向こうで生活してる人間にとっては、こっちの方が凄いよ。何しろ、一般人が刃渡り八十センチの刃物を持っていいんだから」
「お前の世界じゃ違うのか?」
 意外そうにシギが訊いてくる。現実世界でも、この世界のように武器を携帯していいと思ったらしい。武器の携帯が日常なこの世界の人間らしい発想だ。
 一矢は頷いて、
「ああ。そもそも武器なんか物好きしか買おうとしないし、刃渡りのある刀剣を買うには、面倒な手続きがいるんだ。刀剣類の値段は凄く高いし」
「大変だね」
 と、メモリア。一矢が刀剣を買ったことがあると思ったらしい。
 一矢は手を振って、答えた。
「僕は刀剣なんて買わないよ。まだ学校通ってる身分なんだから」
「その割には、結構この世界に馴染んでるわね」
 襟元のテイルが呟く。
 目を瞑り、一矢は言った。
「物事の適応が早い――とよく言われる」
 それは、親から学校の友人までよく言われることである。褒め言葉なのか、皮肉なのか、呆れ言葉なのかは分からない。何にしろ、よく言われる。
 一矢は肩を動かし、尋ねた。
「なあ、シギ。この馬車はどこに向かってるんだ? 当てはあるのか?」
「ああ」
 シギは頷き、前へと向き直った。
「俺たちの行き先は、技術都市ハムト・カウだ」
「技術都市?」
 名前が気になり、問いかける。
「このセノゼザン地方の中心にある大都市。技術都市の名のごとく、科学、魔法、気術、特異能力など、様々な技術にについての研究が進められている。その技術水準はこのストーリアでも、最高峰だ」
「ここから、どれくらいかかる?」
 訊きながら、一矢は鋼の書を開いた。ここから技術都市とやらに着くまでの時間を考える。短すぎてはいけない。しかし、長すぎると、何度も襲撃にあうだろう。襲撃は起こると決まってしまった。だが、起こるとしても一回だけでいい。
《シギは指を折りながら時間を計算し、
「明後日には着くだろ」
「明々後日には着くと思う」》
 答えてくる。一矢の希望よりも一日遅い。
 一矢は鋼の書をマントにしまい、荷台の縁に背中を預けた。

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11/11/6