Index Top はじまりのお話

第1節 書き手、書上一矢


 書上一族というものがある。
 起源は誰も知らない。しかし、明治時代には名前が記録されていた。名は体を現すという言葉の通り、一族の八割が文筆業に属している。だが、決して表舞台に出ることはない。書上一族は遠い昔から現在まで、途切れることなく連綿と続いていた。その一族が書き上げ世に出した作品は、三百を超えるとまで言われる。
 が……
 正体を明かしてしまえば、代々続く売れない物書きの家系だ。
 その一族の後継者、書上一矢。一矢と書いて、イッシと読む。年は十七。今年で高校三年生になる。短く切った黒髪に、特徴のない顔立ち。少年と呼べるほど幼くはないが、大人というには若い。着ているものは、反袖の青いジャケットと、ジーンズ。アクセサリの類は一切つけていない。地味という単語を絵に描いたような容姿である。
 その地味な青年は今、畳の上に正座をして話を聞いていた。
「一矢君、君の得意分野はファンタジー小説。いわゆる、剣と魔法の世界だ。私の専門分野の推理小説とは違うけど……分かることだけ言おう」
 話しているのは、六十過ぎの白髪の老人だった。祖父ではない。祖父の友人、木下義之である。有名とまでは言えないものの、それなりに名の知れた小説家だった。
 家が近いので、週に一度、作品の出来を見てもらっているのである。
「君の作品は悪くはない。世界背景や魔法は分からないけど、文章は上手いし、物語もちゃんと成り立っている。でも、何か足りないんだ」
 印刷した作品をぱらぱらとめくりながら、義之が言う。
「僕もそう思います」
 一矢は同意した。
 学校では文芸部の副部長を務めている。顧問の先生にも「君の文章は上手い」と言われていた。しかし、何かが足りない。そのことは自覚している。
 義之は考え込むようにあごひげを撫でて、
「君のお爺さんの清一郎もそうだけど……。君たち、書上家の人間には物書きの才能はあるんだよ。私よりもね。でも、決定的な何かが欠けているんだ。それを補えれば、君は一流の小説家になれる」
「ええ」
 頷くしかない。
 それは、何度も言われてきたことだった。意味はあるかもしれないし、ないかもしれない。だが、よく分からないというのが一矢の本音だった。
「でも、欠けているものを手に入れる方法は私も分からない。それは君が探すしかないんだ。頑張って、としか言いようがないな。私が言えるのはそれだけだよ」
 言いながら、義之が紙束を差し出してくる。
 一矢はそれを受け取り立ち上がった。
 一礼して、部屋を後にする。
 こうして、いつもの訪問が終わった。


 小説を書き始めたのはいつごろだろうか。
 物心ついた時には、原稿用紙に向かっていたと思う。とすると、小説歴は十五年近くなる。書き上げた作品は、作品と呼べないようなものも含めると、五十は行くだろう。そのおかげか、作品のレベルはある程度までいった。
 しかし、ある程度まで。その上まで行くことができない。
「これが、一家の性なんだよなぁ」
 目を瞑り左手で頭をかいて、一矢はため息をついた。一族の大半の者は、この限界が超えられず三流作家のまま終わっていく。何もしなければ、自分もそうなるだろう。
 閉じていた目を開き、塀の横に停めておいた自転車に乗ろうとして。
 一矢は動きを止めた。
「?」
 思考を一回転させる。
 目の前に、一人の男が立っていた。いつ現れたかは分からない。一呼吸前まではいなかったと言える。気がついたらそこにいた。ぴしっとした黒い服を着て、黒い帽子をかぶっている。年は分からない。若いようにも見えるし、老けているようにも見えた。
「な、何ですか……?」
「あなたが、書上一矢殿ですね」
 男が礼儀正しく訊いてくる。礼儀正しいというより、古風な口調だ。
「そう……ですけど。あなたは?」
「そうですね。小説の使者――とでも言いましょうか。つかぬことを訊きますが、あなたはパソコンで小説を書くのですか?」
「え、ええ……」
 小説の使者と名乗る男を見つめ、一矢は呆けたように呟いた。自分はからかわれているのだろうか。それとも、この男は単なる変人なのか。
 男は首を左右に動かし、
「いけませんねぇ――。小説というのは、紙に書かなければなりません。自分の想いを筆に乗せて、文字にしなければなりません。パソコンなどでは、真に優れた文章を書くことはできません」
 芝居じみた動作とともに、したり顔で言ってくる。
「というわけで、これをどうぞ」
 と言って差し出してきたのは、銀色の本だった。厚さも大きさもハードカバーの本ほどである。受け取ってみると、結構重い。表紙が金属でできているらしい。開いてみると、中は全部原稿用紙のようになっていた。文字は書かれていない。
「生きた文章を書きたいと思うのならば、この本に文章を書き込んで下さい。小説のために命を懸ける勇気があればの話ですが。分かりましたか?」
「はあ……」
 一矢が曖昧に頷き、顔を上げた時には。
 男は消えていた。辺りを見回してもその姿は見当たらない。
「………?」
 手の中に残ったのは、一冊の本。
「何なんだ?」
 わけが分からず、一矢は呻いた。

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11/8/18