Index Top 我が名は絶望――

第2節 絶望と希望の刃


 自分に向けられた硝子の刃を見つめ、ミストは満足げに微笑む。
「……あいつは、あたしの仇を殺したんだから……。その分の仇も、取ってよね……」
 それを最後に、目を閉じた。意識を失ったのだろう。
 ディスペアはミストの胸に硝子の剣を突き立てる。抵抗は感じない。水を刺したような感触。硝子の剣が、ミストの胸に半ばまでもぐり込んで――
「剣よ、その刃で貫きし者の命を代価に、大いなる力を生み出せ」
 その文句とともに、硝子の剣が純白の輝きを宿す。
 ディスペアは声にならない咆哮を発した。身体の奥底から、凄まじいまでの力が噴き出す。五感が異常なまでに鋭くなり、全身に限界を超えた力が漲ってきた。人間では、この感覚には耐えられないだろう。
「これが禁断の技か――」
 唸りながら、硝子の剣を引き抜く。ミストの身体に剣を刺した痕は残っていない。
 ディスペアはフェレンゼに目をやり、
「フェレンゼ。ミストのことは頼んだぞ」
「分かりました」
 返事を聞きながら、セインズへと向き直る。
 セインズは黒曜の剣を構えながら、嬉しそうに笑ってみせた。ディスペアが手に持つ、純白に輝く硝子の剣を眺めながら、
「ようやく準備が整ったようだね。待ったよ。その分、楽しませてくれよ」
「黙れ」
 ディスペアは告げた。
「俺はお前を殺す。それだけだ」
「そうこなくては。ボクの準備は整っている。さっさと来てくれないかな」
 言いながら、セインズは挑発するように微笑む。
 ディスペアは呼吸を整えながら、硝子の剣を構えた。身体は燃えるように熱い。逆に、心は氷のように冷たい。五感が、寒気さえ感じるほどに冴えている。
「――――!」
 一切の予備動作もなく、ディスペアは撃ち出されるように走った。恐ろしく身体が軽い。まるで自分の体重が消えてしまったかのようである。身体能力が限界まで高まっているのだろう。これが、禁断の技の効果。ミストの命の力。
 文字通り矢のように空き地を駆け抜け、ディスペアはセインズに迫り、
「光よ」
 セインズが左手を上げる。膨大な白光の奔流が撃ち出された。光は地面をえぐり、白い爆炎を周囲に撒き散らす。家屋程度なら跡形もなく消し飛ばすほどの破壊力。
 本来ならば、知覚もできなかっただろう。だが、ディスペアは横に跳んで、光を躱していた。極限状況の中で、意識がどこまでも冴えていく。
「十三剣技・十連牙!」
 三連続斬りをすんでのところで躱し、黒曜の剣を振り下ろしてきた。
 ディスペアは半身を引いて、斬撃を躱す。体を戻す動作を利用し、
「四弦月!」
 硝子の剣を斜めに振り上げた。白く輝く刃が、セインズの肩口を浅く斬った。が、長衣を斬っただけで、身体に傷はついていない。
「一烈風――!」
 ディスペアは勢いよく踏み込み、硝子の剣を振り下ろした。間合いに狂いはない。だが、刃はセインズを捕らえる寸前で、甲高い音を立てて止まる。何の前触れもなく出現した光の盾が、斬撃を受け止めたのだ。
「刃よ」
「―――!」
 身体のあちこちに、鋭い痛みが走る。セインズの生み出した十数条の不可視の刃に、斬り裂かれたのだ。長衣が破れ、皮膚が裂ける。
 だが、出血はなかった。血が出るよりも早く、傷が再生する。再生力も普段の何倍にも高まっているらしい。これならば、大抵の攻撃は無視できるだろう。
 ディスペアは硝子の剣を構えた。
 しかし、セインズは攻撃してこない。
「素晴らしいよ」
 両腕を広げて、感嘆の声を上げる。
「ボクが封印されていた六百年もの間に、君は強くなった。もしかしたら、本当にボクを殺せるかもしれないね――」
 言い終わるよりも早く、その姿がかき消えた。
(瞬間移動!)
 ディスペアは前に跳ぶ。背後で風斬り音が響いた。振り向くと、セインズの姿があった。斬られた銀髪の一房が、宙に散る。前に跳ぶのが数瞬でも遅れていたら、胴体を横に薙ぎ斬られていただろう。
(油断は即、死につながる)
 自分に言い聞かせ、ディスペアは硝子の剣を引いた。
「面白いよ!」
 セインズが斬りかかってくる。
 その斬撃は、前に見た時よりも数段速かった。辛うじて目で捉えられるほどの速さである。禁断の技で高まった身体能力を、魔法で何倍にも強化しているのだろう。
 全身の筋肉を硬直させて、ディスペアは黒曜の剣を受け止めた。剣が弾き飛ばされるほどの衝撃が腕に伝わってくる。禁断の技を使っていなければ、硝子の剣は弾き飛ばされていただろう。その前に刃を見切れなかった。
(来る!)
 ディスペアは身構える。意識を細く引き締め――
「シャアアアアアアッ!」
 奇声を上げて、セインズが踊りかかってきた。立て続けに破壊的な斬撃が繰り出される。技術は素人と大差ないのだが、その重さと速さは尋常ではない。
「十三剣技・十二飛龍!」
 ディスペアは超高速の連続斬りで、セインズの斬撃を受け止めた。視覚では捉えられない。勘と経験を頼りに、黒曜の剣を防ぎ、弾き、受け流す。だが、いつまでも防戦に回っているわけにもいかなかった。
 セインズの攻撃の破壊力は、ディスペアの技術で補える範疇を超えている。このままでは、三十秒もしないうちに切り崩されるだろう。
 ディスペアは数歩分後ろに跳んだ。
 黒曜の剣を大上段に振り上げ、セインズが追撃してくる。
(これに合わせる)
 ディスペアは一歩前に踏み込んだ。セインズの懐に飛び込み、振り下ろそうとする黒曜の剣を右腕で押さえる。刃が腕に深く食い込んだが、骨を断つまでは至らない。
「二落葉!」
 飛び退きざまに、ディスペアは硝子の剣を振り下ろした。硝子の刃が、セインズの右肩からわき腹まで深い創傷を刻みつける。が、致命傷には遠い。
 セインズは驚いたように傷を見やった。傷口からは赤い血が流れ出ている。硝子の剣で――禁断の技を使った硝子の剣でつけられた傷は、桁外れの再生力を以てしても容易には治らない。
 だが、それは自分も同じである。
 ディスペアは右腕の傷を見やった。骨まで達する深い傷。動きに支障はないが、再生するのには長い時間を要するだろう。
 しかし……。
「治れ」
 セインズが傷口に手を当てて、呟いた。すると、肩からわき腹まで伸びた傷が、見る間に塞がっていく。五秒もしないうちに傷は消えた。
「残念だけど、これくらいではボクは殺せないよ」
「だろうな。十三剣技・一烈風――!」
 ディスペアの豪剣を、セインズは後ろに跳んで躱す。左手をかざし、
「炎よ」
 呟きを合図に、巨大な火炎が放たれた。それは炎の津波と呼べる規模である。到底、避けられるものではない。刺すような熱気が、肌を衝く。
 ディスペアは炎から逃れるように後ろに跳躍し、硝子の剣を大上段に振り上げた。迫り来る炎めがけて、剣を振り下ろす。
「剣よ、その刃で斬り裂きしものを自らの色とせよ」
 斬られた炎が、渦を巻きながら硝子の剣に収束していった。刃を包む純白の輝きが、真紅の輝きへと変化する。刃が焼けつくような熱気を帯びた。

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