Index Top 我が名は絶望――

第2節 探していたものは――


「この家の娘か」
 一人で納得するように呟きながら、右手に持った大剣をミストに向ける。反りのない両刃の剣。刃渡りは百センチほどだろう。銀色の刃には、赤い血がこびりついている。誰の血かは、考える間でもない。
 大剣の切先を凝視したまま、ミストはようやく立ち上がった。身体が思うように動かない。足元には、両親の死体と一面に広がる血……。
「何で、こんなことを……!」
 ミストは絞り出すような声で唸った。涙で、相手の姿が霞んでいる。
 だが、自分の問いに相手がどう答えるかは、どうでもよかった。心を埋め尽くす怒りや憎しみが、言葉だけを勝手に紡ぎ出す。
「これを手に入れるためだ」
 何を思ったのか、男は質問に答えてきた。左手に持った紙束を、目で示す。
 茶色く変色した十枚ほどの紙。相当に古いものなのだろう。しかし、それはどう見ても何の変哲もない古い紙束だった。何か特別なものには見えない。
「それが何だっていうのよ! 人を殺してまで欲しいものなの!」
 男が持つ紙束を睨みつけ、ミストは思い切り床に足を叩きつける。バン! という大きな音とともに、足元の血が弾けた。噛み締めた歯の根が、痛む。
 両親が殺された理由は、何の変哲もない古い紙束を手に入れるため――だけ。これほどの不条理はないだろう。だが……
「そうだ」
 当然のごとく男が肯定する。芝居じみた動きで紙束をかかげ、
「お前には分からないだろうが、この価値は人の命も重い。これが、この家にあることを突き止めるまで、私は十五年もの歳月を要した――!」
「………何なのよ……それ……!」
 相手の態度に気圧されながらも、ミストは尋ねた。訊かずにはいられなかった。人を殺してまで手に入れる価値のあるというものが、一体何であるのか。
 男は不敵に口元を歪める。
「これは、フルゲイトの在り処を記した文献だ」
「フルゲイト……?」
 ミストはその単語を繰り返した。噂くらいは聞いたことがある。大昔に作られた、高度な魔法原理。しかし、自分が知っているのはこの程度だった。
「さて……」
 男が思い出したように呟く。
 頬の傷を指で撫でながら、
「無駄な時間を使ったな」
 その言葉が意味するものは、明確だった。自分を殺す。
 斬り裂くような殺気を向けられ、ミストは全身が粟立つのを感じた。それでも、心を燃やす激昂が、その怯えを押し返す。動きに遅れはない。
 上着の懐に手を入れ、ミストは素早く二枚の呪符を取り出した。以前、父から護身用にと教えられた呪符魔法である。いつでも使えるように呪符の携帯はしていたが、まさか使うとは思わなかった。呪符をかざし――
「飛炎槍!」
 男めがけて、小さな炎の槍が撃ち出される。
 すると、男の持つ大剣が青色の光を帯びた。魔力の光。
 大剣の一閃が、飛び来る炎の槍を苦もなくと弾く。あさっての方向へ飛んでいった炎の槍は、部屋の壁に突き刺さり、そこに火をつけた。
「死ね」
 その言葉を実行するように、男が大剣を振りかぶる。
 ミストは部屋を飛び出し、後ろ手に扉を閉めた。
 同時に、木の壁と扉が紙のように叩き斬られる。砕音とともに細かな木の破片が飛び散り、上下に切断された扉が床に落ちた。
 その斬撃を食らえば、自分は死ぬ――。
 大剣を構え直す男を見つめて、ミストは息を呑んだ。
「でも……」
 それは魅力的な選択肢でもある。
 両親は死んでしまった。自分に、残った家族はいない。ここで助かったとしても、たった独りで生きていかなければならない。それは、辛いことだろう。ここで殺されれば、楽になれる……。
「――駄目!」
 ミストは強くかぶりを振った。心に浮かんだ誘惑を振り払う。
 辛くても構わない。本能が告げていた。自分は生きる。絶対に生き延びなければならない。何としても、この窮地を脱しなければならない。
「あたしは、死ねない!」
 自分に命令するように叫び、ミストは玄関へと走って――
 足がもつれ、意識が揺れる。
(斬られた!)
 身体から力が抜け、ミストは廊下に倒れた。背後から袈裟懸けに斬られたらしい。不思議と痛みは感じない。しかし、深く刻まれた傷口から自分の血が流れ出ていくのが、はっきりと感じ取れる。
 起き上がろうとしても、身体は動かなかった。
(何、これ……)
 絶対に死なないと誓い、数秒も経たず死にかけている。運命の皮肉さに笑いたくなったが、声は出せなかった。引きつったような細い息が漏れただけである。
 斬り倒した相手には用はないのだろう。大剣についた血を布切れで拭いながら、男が玄関へと歩いていくのが見えた。
 だが、視界は暗転し、何も見えなくなる。
(これで終わりなの……?)
 そんなことを思いながら、ミストは目を閉じた。

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