Index Top 不条理な三日間

第2節 どこかへと……


 キリシは身体を起こした。
「?」
 根拠のない焦燥を感じ、周囲を見回す。
 しかし、自分が探すようなものは見当たらない。そこは学生寮の自室だった。必要最低限の物だけが置かれた質素な内装。窓からは日の光が差し込んでいる。自分は壁際のベッドに寝ていた。何のことはない。いつもと変わらぬ朝である。
「悪い夢でも見たらしいな……」
 キリシはひとまず安心した。が。
 次いでやって来たのは、猛烈な気だるさだった。形容しようのない異常な疲労感である。全身が鉛のように重い。さらに、身体の至る所に酷い違和感を覚える。全身を滅多斬りにして、無理矢理元の状態に回復させたら、大体このような感じなのだろう。思考の鈍った頭で、ぼんやりと考えた。
「もう一眠り、するか……」
 ずり落ちた布団を掴み、再び横になろうとして……
 気づく。
 目の前に見える前髪が、白い。
「な――?」
 キリシは自分の髪を掴んだ。白髪である。
 薄茶色だった髪は完全に色が抜け、きれいな白色になっていた。しかも、なぜか腰の辺りまで長く伸びている。それだけではない。よく見ると、服も焦げてぼろぼろだった。服としての原型を留めていない。辛うじて身体に絡まっているといった状態である。
 そこに至って、キリシはようやく状況の不自然さを悟った。
「どういうことだ……?」
 頭を抱え、記憶をたどる。
 トーネウ川の川岸で夕食の準備をして時にドラゴンに姿を変えたチェイサーが襲撃してきたのだ。そこは憶えている。その後、麻酔銃か何かで気絶させられ、拉致された。気がつくと、チェイサーと一対一で何かを話し、《銀色の杖》を渡され……。
 その辺りから記憶が消えている。何か恐ろしく大変なことが起こったような気はするが、具体的に何があったのか、全く思い出せない。
 何とか記憶を捜していると、
「よお。起きたか」
 聞き慣れた――というか、聞き慣れてしまった声が耳に入ってくる。
 台所から、ふらりとガルガスが現われた。どこまでも変わらない能天気な風体。右手に食べかけのパンを持ち、左手に牛乳ビンを持っている。
「調子はどうだ?」
「そんなことより、何で僕はこんな所にいるんだ! 一体、何があったんだ!」
 ベッドから起き上がり、キリシはよろけるような足取りでガルガスに詰め寄った。両手で襟首を掴む。が、なぜか右手は思うように力が入らない。
 ガルガスは気楽にパンをかじりつつ、
「さあ、オレは何も見てないが――」
 人事のようにそう言うと、パンを口にくわえる。後ろに手を回すと、一体どこに隠していたのか、真新しい新聞を取り出しきた。今日の新聞らしい。
「大雑把なことは、ここに書いてある」
 キリシは新聞を受け取り。
 一面に書かれた内容に、絶句する。
『謎の爆発男、カシアク市を暴走!』
 そんな見出しが躍っていた。
 目を剥き、並ぶ文字を一気にたどる。
 炸弾砲を持った男がトーネウ川の川岸を爆破、駆けつけた消防車を強奪し、炸弾砲を連射しながら市街地を横断、そしてヴァレッツ科学研究所を破壊する。損害、負傷者は多数出たが、奇跡的に死者はなし。犯人の目的は不明。現在、警察が全力で犯人を捜索中。
 記事を要約すると、このような感じだった。
 荒地と化したヴァレッツ科学研究所の写真が、一緒に載っている。
「あ、う。えぇ……?」
 キリシは唖然と口を開け、ガルガスを見つめた。何だか分からぬうちに、とんでもないことになっている。しかも、関わっているはずの自分にその時の記憶がない。
 ガルガスはくわえていたパンを一口に呑み込むと、涼しげに言った。
「ま。色々とあったが、全部片付いたから安心しろ。それに、隠蔽工作もバッチリだ! もうお前があいつらに狙われることはない」
「隠蔽工作って……?」
 訊き返すが、ガルガスは聞いていない。
「とはいえ、しばらくはお前に構ってる暇もないだろ。あっちの連中、死に物狂いで情報操作してるからなー。こんな致命的な機密漏洩の危機を、ただの大事件に書き直すのは大変だぞ。過労で倒れなきゃいいけど――」
 言いながら、妙に嬉しそうに含み笑いをした。
 発言の内容は引っかかったが、怖いので何も訊かないでおく。どのみち、長々と疲れる話を聞いている気力もない。それに、それ以上気になることもあった。
「おい。《銀色の杖》はどうした……?」
「んー」
 ガルガスは腰に右手を当てて、牛乳を飲み干した。牛乳ビンを空にすると、満足げに息を吐き出す。ビンをテーブルに置いてから、口元を拭った。
 爽やかに笑って、断言する。
「《銀色の杖》ならオレが隠しといたから大丈夫だ。あいつらに見つかることはない」
「って、信用していいのか……その言葉?」
 キリシがうろんな目つきで睨むと、ガルガスは何やら斜めに構えてみせた。
「無論だ。オレを信じろ」
「…………」
 かけらも説得力のない答えに、こめかみを押さえる。
 しかし、言っていることは本当なのだろう。認めたくはないが、ガルガスは自分で言ったことは、それがどんな無茶苦茶なことでも実現させてしまう。隠すと言えば、完全に隠す。そうなれば、誰だろうと見つけることはできない。
 徒労感を振り払うように、キリシは首を左右に振った。
「ティルカフィたちはどこに行ったんだ?」
 正直、これが一番気になる。さっきから姿を見ていないが、無事なのか。まさか、帰らぬ人となった、などということはないだろう。
 ガルガスはぱたぱたと適当に手を動かして、
「ああ。あいつらなら、お前が気絶してる間に別れた。一緒にいて見つかるわけにもいかないからな。今頃はどっかの橋の下ででも休んでるだろ。ま、そのうちまた会えるから、あんまり気にすることはない」
「そうか――」
 ひとまず安心して、キリシはベッドに腰を下ろした。無事ということが分かれば、それで十分である。ガルガスの台詞を真に受けるわけではないが、生きているならばいつか再び、どこかで会えるだろう。
 緊張が解けたせいか、眠気が押し寄せてくる。
 が、キリシは思い出して、白くなった自分の髪を掴んだ。
「それにしても、この髪、どう言い訳するか……」
「オレの名前出せば、みんな納得してくれるだろ」
 当然とばかりに言い放つガルガス。
 確かに、ガルガスの名前さえ出せば、誰だろうと大抵ことは同情とともに納得してくれるのは、紛れもない事実だった。ある意味、凄いと言える。
「あ。そうそう」
 ガルガスは再び背後に手を回し、抜き身の剣と木の鞘を取り出した。それは手品のようなものなのだろうが、相変わらずどこにどう隠し持っていたのかは分からない。
「これ、落っこちてたから拾ってきた」
 それは、キリシが持っていた剣である。反りのない、片刃の剣。ただ、刃の半ばに見覚えのない大きな刃毀れがあった。誰かが、硬い物に叩きつけたらしい。
 ガルガスは剣を鞘に収め、片手で器用に一回転させてから、適当な所に置いた。両手でコートの襟を引っ張って、口の端を上げる。
「お前は今日一日おとなしく寝てろ。どうせ今日は学校休みだし、特に面倒なことは起こらんし。しっかり休めば明日にはそこそこ元気になる。それと、お前に会ってからの一年ちょっと、なかなか面白かったぞ」
 軽い口調でそう言って、ガルガスは玄関へと向かった。
 何かが引っかかったが、半ば眠りかけたキリシの頭はそれを把握することはできなかった。あまり重要なことではないだろう。それなら、あとでまた考えればいい。
「なあ……」
 ガルガスが扉を開けようとしたところで、キリシはぽつりと呟いた。ひとつの疑問が脳裏に浮かんでくる。どうでもいいようで、全く解けない疑問。
「結局、お前って何なんだ?」
「………」
 扉を半分開けたまま、ガルガスは何も言わずに振り返ってきた。その顔に、奇妙な笑みが映っている。感心したような、からかうような、面白そうな、しかし困ったような、掴み所のない笑み。だが、それもほんの一瞬。
「じゃあなー」
 気楽に手を上げて、ガルガスは部屋を出ていった。
 バタン、と扉が閉まる。
 それが――
 キリシが見た、ガルガスの最後の姿だった。

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