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第1節 それは敵討ち


 その時。
 市の中心部から人が消えた。
 きっかけは、風だった。
 おぞましい気配を伴った風は、そこにいる人間を――人間だけではない。あらゆる生物を、心の底から恐怖させた。その恐怖に抗うことのできた者はいなかった。
 ある者は仕事を放り出して、ある者は立場を忘れ、ある者は本能的に。なりふり構わずその場から逃げ出した。誰も、その衝動に抗うことはできなかった。
 外から中へ向かう勇気のある者もいない。
 やかて……
 十分も経たぬうちに。
 市の中心部、高層ビル郡から人間の姿が消えた。異変を察して駆けつけた警官たちも自衛隊も、そこへ踏み込むことはできなかった。市の中心にそびえる高層ビルを見守るしかなかった。
 残ったのは、一人の半妖。
 そこへ向かうのは――
 その半妖を殺す意思を持った、一人の執行者だけだった。


 空気を切り裂いて、寒月は落下していく。
 その間、約三秒。
 それは、気持ち悪いほど長く感じられた。
 トッ。
 小さな音だけを残して、ビルの屋上に着地する。
 衝撃を受け流し、寒月は立ち上がった。
 二十階建てのビルの屋上。六十メートルほどの高さがあるため、風は強い。黒髪がなびいている。気になるほどではないが、少し寒い。周囲には、同じくらいの高さのビルが建っていた。床はコンクリート。
 視線を前に向けると、明日香が立っている。時雨を腰に差し、直立していた。全身から、寒月の数倍もの剣気を放っている。
 距離は約二十五メートル。
 間合いを目算し、寒月は口を開いた。
「明日香……」
「寒月――」
 明日香が言葉を返してくる。それは、凍えるような声だった。感情も何もない。だというのに、透明な殺気だけが神経に突き刺さる。
「あたしは、あんたを殺す。お父さんの、仇!」
「俺を殺したければ殺せばいい。だが俺も、お前を殺さなければならない」
 結局、明日香を殺す覚悟は決まらなかった。だが、ここで悠長に覚悟を決めている暇はない。覚悟がないまま、戦わなければならない。
 明日香が時雨の柄に手をかける。
 応じるように、寒月も紅の柄に手をかけた。
「朝霧流居合――」
「天翔流居合――」
 鯉口を切り、走る。
「一閃!」
 鞘から抜き放たれた刃が、激突した。禁断の邪法を使って鍛え上げられた妖刀と、妖術によって強化された名刀。速さは互角だった。力は……
「ぬ……」
 寒月は押されるように後ろに跳び退いた。力は明日香の方が勝っている。武器が同じだったなら、刀ごと身体を両断されていただろう。意地を張って競り合いをしていても、打ち倒されていた。
「強い……が、負けるわけにはいかない。無垢の煌き!」
 寒月は表情を消す。赤い刀身が淡い煌きを帯びた時には、明日香が眼前に迫っていた。追いつけないほどではないにしろ、動きも速い。
「六花咲!」
「神速の風!」
 連続斬撃を回り込むように躱し、紅を構える。明日香は次の動作に移ろうとしていた。しかし、ジャッジで加速した自分の方が速い。座り込むように身体を沈め、
「水面斬り!」
 脛を狙って刃を振るう。ジャッジの力を受け、剣気を込められた紅は、妖術によって強化された明日香の身体でも斬れるはずだ。
 しかし、明日香は紙一重で躱した。明日香は予知を使える。次の行動が読めるのだ。
「昇竜牙!」
 紅を縦に構えて寒月は跳び上がる。密着状態から顎を狙って突きを放つ技。だが、これをも明日香は躱した。懐に飛び込まれているせいで、攻撃はしてこない。
「旋風斬り!」
 空中で一回転して、明日香の肩を狙う。今度は手応えがあった。刃は、かなり深くまで肉を斬り裂く。空中で体勢を立て直して、寒月は床に着地した。
 紅を構えて振り向こうとし。
「背面突き」
 時雨の刃が、寒月の脇腹を貫いた。痛みを感じる余裕はない。
 寒月が刃を抜くよりも早く、時雨は腹を横に撫で斬る。次撃が来る前に、寒月は前に走った。が、攻撃はない。間合いを取って振り返ると。
 明日香は、手の中で時雨を回転させていた。空気を斬る音とともに、百本を超えるほどの剣気の刃が生まれる。斬られた傷はなくなっていた。修復したらしい。
「来る!」
 斬られた腹を押さえながら、寒月は息を止めた。これは、剣気技・竜巻斬りの予備動作。複雑に折り重なって押し寄せる剣気を避けられるかを考え……避けられないと判断を下す。これは、最大の防御でしのぐしかない。
「竜巻斬り!」

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