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第3節 助ける理由


「じゃあ、俺は夕食を買ってくるから。留守番頼むぞ」
 そう言うと、寒月は背を向けた。
「分かったヨー」
 カラが手を振る。
 工事現場の一番奥。誰にも目につかない場所である。日は沈み、辺りは薄闇に包まれていた。空は濃い紫色に染まり、建物の隙間から星がひとつ見える。
 寒月が見えなくなるのを待ってから、明日香は近くの鉄骨に腰を下ろした。鉄骨には錆止めの赤い塗料が塗られている。
 大鎌を持ったまま周囲に赤い目を向けているヴィンセント。カラはサイズの合わない服を直しながら、きょろきょろと辺りを見回している。
 自分を守ろうとしている、二人の妖魔。
「ねえ――」
 その二人に向けて、明日香は声を上げた。
 声を聞いて、二人が顔を向けてくる。
「何ですか? 明日香さん」
「ひとつ訊きたいんだけど――」
 二人を眺めながら、明日香は問いかけた。
「何で、あたしに関わってる妖魔ってあなたたちだけなの?」
「どういうことです?」
 ヴィンセントが訊き返してくる。その顔には疑問の色が表れていた。言いたいことが伝わらなかったらしい。カラも似たような顔をしている。
 両手首にはめた腕輪を撫でながら、明日香は言い直した。
「半妖って凄い力を持ってるんでしょ? それなのに、あたしの力を狙ってたのはチェインだけじゃない。何だか、少なすぎない?」
 寒月に会った頃は気づかなかったが、落ち着いて考えると奇妙である。寒月曰く、自分は史上最大の力を秘めた半妖。常識的に考えれば、その力を狙って大勢の妖魔が動くだろう。しかし実際、自分の力を奪おうとしているのはチェインだけだ。
 他の妖魔は何もしてこない。
「それには、二つの理由があります」
 言いたいことを察し、ヴィンセントが答えてくる。
「人間として育った君には分かりにくいと思いますが、大抵の妖魔はいわゆる超個人主義者なんですよ。自分に関わりがあるか、自分が興味あるかしない限り、まず進んで動くことはしません。君に関わろうとした妖魔は元々多くはなかったのです」
「でも――」
 明日香が言い返しかけると。
「もうひとつの理由は、君をめぐる構図です」
 ヴィンセントは何かの図を描くように手を動かして、後を続けた。
「君が生まれた頃は、君の力を狙った妖魔は何十人かいました。しかし、君を囲む力関係が寒月殿、ジャック、チェイン一味という形になっていく過程で、多くの妖魔が君に関わることを諦めたのです。執行者二人と上級妖魔を敵に回すのは無謀すぎますからね」
「デモ、まだアスカの力を狙ってる妖魔はいるヨ」
 割り込むように、カラが言ってきた。
 明日香はカラを見つめ、尋ねる。
「いるの? あたし、全然見てないけど」
「見えるわけありません。彼らは遠くからこちらの様子を伺っているだけですから。今後、何か仕掛けてくることもないでしょう」
 その相手を見つめるように周囲を見回してから、ヴィンセントは右手に持った大鎌を示した。寒月の紅ほどではないが、強力な力を持った武器。
「それに、もし彼らが君に何かしようとすれば、僕らが黙っていません」
 呟いて、微笑んでみせる。
 それを眺めて――
 明日香はぼんやりと思った。ヴィンセントとカラを見つめて、
「そういえば、あなたたちって、寒月とどういう関係なの?」
 その問いに、二人は顔を見合わせる。
 ヴィンセントとカラ。昨日の夜、寒月は仲間を呼んだと言っていた。翌日、やって来たのがこの二人である。しかし、寒月を含めた三人の様子を見ていると、仲間とは微妙に違うように思える。
 ヴィンセントは重々しい口調で答えてきた。
「彼は、僕らの恩人です」
「恩人?」
「そうだヨ――。カンゲツがいなかったら、ワタシはここにいなかったヨ!」
 握った拳を上下させて、カラも力説する。二人の態度からするに、恩人という言葉も言い過ぎではないらしい。
「何があったの?」
 尋ねると、始めに答えてきたのはヴィンセントだった。
「僕が住んでいるのは、ドイツにある朽ち果てた古城です。そこには今でも、かつての主が集めたらしい金塊や宝石が眠っています。僕にとっては価値のないものなのですが、欲深い人間はそれを奪おうとします」
 そう言うと、灰色の眉を寄せて、
「約三百年前に、僕は財宝を狙った人間の魔道士の一団に襲われました。当時の僕は今ほどの力もなく、その魔道士たちを追い返すことはできませんでした。何度かの攻防の末に僕は瀕死の重傷を負い――その時、寒月殿が助けてくれたのです」
 その時のことを思い出したような眼差しで、感慨深げに言う。
「魔道技術が廃れる近代になるまで、何度か同じようなことがありましたが、そのたびに寒月殿に助けてもらいました。僕が生きていられるのは、彼のおかげです。僕に魔法の使い方を教えてくれたのも彼です」
 ヴィンセントの話が終わると、間を置かずにカラが口を開いた。
「ワタシの生まれたのは、山に囲まれた村だヨ。人間がやって来られないような場所に、ワタシたちワーウルフ族は住んでる。村じゃ、一番強いワーウルフが族長。五十年に一度、族長を決める儀式がある」
 そこまで言ってから、視線を落とす。
「その時、村で一番強かったワタシが族長に推薦されたんだヨ。デモ、ワタシは二十四歳。族長には若すぎたんだヨ。それで、ワタシを族長に推薦したヒトたちと、反対するヒトたちが大ゲンカになっちゃって」
 その当時のことを思い出したように、複雑な表情を見せた。
「そしたら、噂を聞いたカンゲツがやって来てミンナを説得してくれたんだヨ。族長は前の族長が引き継いで、次の族長がワタシになることになったノ。カンゲツが来なかったら、ワタシどうなってたことか」
「そうなの……」
 頷きながら、明日香は寒月の姿を思い浮かべた。黒い髪、黒いコート、黒いズボンという闇をまとったような容姿。紅という刀を操る一級執行者。初めて会ってから約一日が経つが、いまひとつ何を考えているか分からない。
「寒月って、どんなヤツなの?」
 明日香は誰へとなく問いかけた。
「お人好しですね――」
 その質問に、ヴィンセントは微苦笑を浮かべる。まるでその一言で、寒月の全てを言い表せるといった調子だ。次いで、具体的なことを言ってくる。
「困っている人を放って置けない性格なんですよ、彼は。執行者というのは、任務を与えられた時以外は、ほとんど何もしないのですが、彼は違います。妖魔の噂に敏感で、問題
や争いごとがあると知ると、すぐに駆けつけるんですよ」
 その台詞に、カラが続ける。裾をぱたぱたと動かしながら、
「カンゲツに助けられた妖魔はいっぱいいるヨ。執行者は妖魔に嫌われてるんだケド、カンゲツは特別なんだ。カンゲツを慕う妖魔は、下級から上級までたくさんいるんだヨ。ワタシたちもそうだヨ」
 笑顔で言ってきた。
 冗談のような話だが、二人が冗談を言っているようには見えない。
「寒月殿は、人を引き付ける力をいうものを持っているのでしょうね」
 大鎌を肩に担ぎ、ヴィンセントが呟く。
 明日香は初めて寒月と会った時のことを思い出した。空から降ってきて、周りの妖魔目がけて銃を乱射した男を、自分はすんなりと家に連れて行っている。普通なら、そんなことしないだろう。
「確かに、ただ者じゃないかもね……」
 呟いてから、明日香は息をついた。
 ふと頭の中に小さな閃きが走る。寒月は詳しく話してくれなかったが、この二人ならば何か知っているかもしれない。
「ところで、あなたたち――無明って名前の上級妖魔、知ってる? あたしのお父さんなんだけど……」
「うん。名前は知ってるヨ。けど……」
 首を縦に振ってから、カラはヴィンセントを見やった。
「どんなヒト?」
「無明殿ですか――」
 ヴィンセントは視線を左方に移動させると、
「一度だけ会ったことがあります。性格は寒月殿によく似ていて、そのせいか二人は無二の親友でした。しかし、十八年と数ヶ月前――明日香さんが生まれた日に、無明殿は執行者によって処刑されてしまいました」
「誰がお父さんを殺したの――!」
 詰問するように、明日香はヴィンセントに迫った。寒月は教えてくれなかったが、ヴィンセントなら知っているかもしれない。そう思ったのだが、
「僕は知りません。しかし、彼を殺したのは非常に強い執行者でしょうね。彼は寒月殿と互角以上に戦える妖魔でしたから」
「カンゲツより強い妖魔って、いるノ?」
 カラがびっくりしたように呟く。カラにとっては寒月が最強の人物らしい。それより強い者がいるなど、考えたこともなかったのだろう。
「数えるほどですが、います。一対一で彼らを殺せるのは、特級執行者だけでしょうね」
 と、言葉を区切り――
 ヴィンセントは言い聞かせるように言ってくる。
「明日香さん、あなたは父親を殺した執行者に復讐する気でしょうが、それは止めてください。あなたは復讐するだけの力を持っています。それを覚醒させてはいけません。多分、寒月殿にも同じことを言われているでしょう?」
「…………」
 明日香は視線を外した。
 自然と、時雨の柄に手を添える。ヴィンセントや寒月の言うことは正論だ。自分が復讐するために半妖の力を覚醒させた場合、何が起こるか分からない。だからといって、心の奥で燻る怒りと憎しみを消せるほど、自分は強くない。
(寒月は、誰がお父さんを殺したのか知っている)
 だが、教えてはくれないだろう。
 誰も何も言わない。
 すると。
「おい。帰ったぞ」
 沈黙を破ったのは寒月だった。両手にビニール袋を持って、工事現場に入ってくる。近くのコンビニで夕食を買ってきたのだろう。
 その場にいる三人を見回して。
「何かあったのか?」
「ま。色々ね……」
 寒月を見やり、明日香は答えた。

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