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第3節 力の形


 朝霧道場から、明日香の通う早川大学まで徒歩で三十分。
 民家に囲まれた道を歩きながら、明日香が訊いてきた。
「ねえ、昨日の夜言っていた話だけど。魔法と妖術とジャッジってどんな能力なの?」
 周囲に警戒の網を広げたまま、寒月は明日香に顔を向ける。魔法、妖術、ジャッジ。知らなくとも困らないが、知っておくことにこしたことはない。
「端的に言うならば、超自然的な現象を起こす方法。根底にあるものは同じだが、それぞれ使用法や効果が違う。順番に説明しよう。何から聞きたい?」
「魔法から教えて」
 明日香は迷いなく答えた。
 寒月は人差し指を立てて、説明を切り出す。
「魔法を使うのは、人間と妖魔の一部だ。魔法は自然界に存在する精霊――自然現象を司る意思なき存在に、魔力を用いて干渉することにより目的の現象を起こす技だ。精霊に干渉する方法は多岐に渡る。呪文、呪符、紋章、印、魔法陣――などだ。ただし、魔法には致命的な弱点がある」
「弱点?」
「ああ。魔法は精霊のいない場所では使えない。砂漠のど真ん中で水や氷の魔法は使えないし、雪原じゃ火や樹の魔法は使えないんだ」
 その話を聞いて、明日香は呟いた。
「昨日、あたしのお母さんは先天魔道士とか言ってたけど、それはどういうこと?」
「魔法を行使する者を魔道士と呼ぶ。魔道士は大別して、後天魔道士と先天魔道士に分けられる。後天魔道士は、特別な修行を積んで魔法を使えるようになった魔道士を指す。先天魔道士は生まれつき精霊に干渉する力を持った者だ。ほんの短時間の訓練で魔法を扱えるようになり、精霊に干渉する儀式を用いず、自然現象を起こせる。魔法の効果も、後天魔道士の数倍。だが、生まれる割合は数億人に一人だ」
「ふーん」
 寒月の説明に、半分だけ納得した表情で頷き、明日香は何かを考えるように視線を上げる。人の思考を読むことはできないが、何を考えているかは想像がついた。
 その通りのことを訊いてくる。
「あたし、魔法使える?」
「訓練すれば使えるようになるだろうな。しかし、訓練の過程で半妖の力が覚醒するかもしれない。やめておけ」
「むう」
 寒月の答えに、明日香は不服そうな顔をする。
 が、三秒も経たず立ち直ると、両手首の腕輪を眺めながら。
「次は、妖術について教えて」
「妖術は、妖魔が使う技の総称……。だが、言ってしまえば、一発芸だ」
「い、一発芸?」
 明日香が素っ頓狂な声を出す。
「昨日お前を襲った妖魔を思い出してみろ。一人は、指先から高速で糸を撃ち出す能力、もう一人は高圧の空気で物体を切る能力。それしか使えない。相手の使う妖術さえ見切れば、倒すのに苦労はしない」
 そこまで言ってから、寒月は口調を硬いものに変えた。
「だが、それも中級まで……。上級妖魔となると、複数の妖術が使える上に、その妖術自体も強力だ。相手の使う妖術が分かっても、倒すのに苦労する」
「あたしのお父さんも妖魔なんだよね」
「そうだ。最上級の妖魔だ」
「じゃあ、お父さんも妖術使えたの?」
「ああ……」
 死んだ親友を思い出し、寒月は呻いた。無明。上級妖魔の中でも、最も強い部類に入る。特級執行者でも倒すのは難しいだろう。
「桁違いに強い妖術の使い手だ。奴が本気を出せば、この俺でも勝てるかどうか怪しい。最強の妖魔の一人と言って過言じゃない」
「…………なら」
 明日香が呟く。
「何で、お父さんは死んだの?」
「お前の母さんと結婚し、お前が生まれたからだ。妖魔が人間と交わるのは重大な禁忌。その禁忌を犯した妖魔は、執行者によって殺される」
「!」
 明日香が息を呑む。
 十数秒の静寂。囁くような声音で言ってきた。
「誰が、お父さんを殺したの……?」
「それを知ってどうする?」
「復讐する」
 明日香は答えた。その声には、一切の感情が込められていない。そのことが、怒りと憎しみの強さを感じさせる。
 寒月は息を吸い、それを言葉として吐き出した。
「ならば、教えられない。お前は、その相手に復讐するだけの力を持っている。それを覚醒させるわけにはいかない。それに、無明も復讐なんか望んでいない。あいつは、自分の死を受け入れていた――ん?」
 何かを感じて、足を止める。
「どうしたの?」
 二歩ほど進んだところで明日香が振り返ってきた。右手が、時雨を収めた袋に伸びている。きっかけさえあれば、抜刀する気だろう。
 寒月は周囲を見回した。何の特徴もない住宅街。
「誰かの視線を感じた。今は感じない」
「敵?」
「ああ。妖魔だ」
 明日香の問いに答えてから、寒月は歩き出した。
 チェインの部下が、遠くから自分たちを観察していたのだろう。幸い、距離が離れているせいで、直接攻撃してくることはない。
「最後に、ジャッジだ」
 寒月は話を進める。明日香が父親の復讐を思い出す前に。
「ジャッジ……」
「日本語で表すべき言葉は見つからない。あえて言うならば……執行術か。俺たち執行者が扱う能力だ。魔法や妖術の中間のようなものだが、その二つよりも数段強い威力を持つ。ただ、個性が強く現れるのが欠点だな」
「個性?」
「ああ。ジャッジは使い手によって、その効果が極端に違うんだ。その点は妖術と似ている。俺の場合は、武器と連動するジャッジしか使えない。といっても、火を灯したり、怪我を治すくらいはできるが」
 寒月の話を聞いて、明日香が訊いてくる。
「あたしの命を狙ってるジャックって奴はどんなジャッジを使うの?」
「それなんだがな……」
 寒月は渋面になった。
「分からない」
「分からない?」
「執行者ってのは、山猫みたいなものなんだ。一人一人がそれぞれ独立して動いてて、集団で行動することはまずない。顔を合わせる機会も滅多にない。ジャックも俺がお前を監視するって任務を言い渡された時に、お前をどうするかで口論したきり一度も会っていない。どんなジャッジを使うかも分からん」
 言い終えて、嘆息する。相手がどういう力を持っているかが分かれば、対抗策を考えられるが、分からないのでは対策の立てようがない。
「なら、チェインって妖魔はどんな妖術使うの?」
「チェインか」
 出てきた名前に、寒月は空を見上げた。戦うことはできなくとも、明日香が敵の情報を持っていれば、何かの役に立つかもしれない。
「奴は、鎖の上級妖魔だ。外見は、妖艶な美女。自分の身体を、様々な鎖に変えることができるらしい。だが、こいつの一番面倒なことは五十人近い妖魔の部下を抱えていることだ。昨日、お前を襲ったのもチェインの部下……」
 と、言葉を区切り――
「奴らは今日、必ず何かしかけてくる。お前が大学で授業を受けている最中にな。チェインが直接出てくるとは思えないが、部下が何かをする。これが俺が大学行くなって言った理由だ。けど……」
「今さら、帰る気はないよ」
 明日香は言い切った。首を傾げ、
「でも、何でチェインとかいう妖魔はあたしを狙ってるの?」
「チェインは死者の力の一部を自分のものにする能力を持っている。お前を殺して、半妖の力の一部を手に入れたいってわけだ。半妖の力は桁違いだから、たとえ一部でも手に入れれば、チェインの力は格段に増す」
「うえ……」
 苦虫を噛み潰したように呻く。
 が、気を取り直して、
「で、ジャックの方は? どんなヤツなの?」
「ジャックか……」
 自分の同業者の名を訊かれて、寒月はその姿を思い浮かべた。初めて会った時の印象と、以前噂で聞いた話が脳裏に浮かんでくる。
「性格は冷静沈着にして、冷徹、慎重。敵に回すと一番恐ろしい類だ。奴はチェインのように、がむしゃらに攻めてはこない。だが、お前を殺せる最大の機会を狙ってくる。しかも、実力は俺より上。本当に恐ろしいのは、チェインよりこいつだ」
「何か、面白くなってきたね」
 口元に笑みを貼り付け、明日香が呟く。本気で言っているらしい。自分が置かれている危機を楽しんでいるようだ。
「その神経だけは褒めてやる」
 皮肉混じりに言っておく。
 そうしているうちに、二人は広い道に出た。中央斜線のある道路である。両側の歩道には街路樹が植えられていた。
「明日香ー」
 横から誰から声をかけてくる。
 見ると、誰かが走ってくる。明日香の友人であるらしい。染めたものらしい茶色の髪に、何かの文字が印刷された薄緑シャツを着て、黒いズボンを履いている。
「おはよう、千尋」
 明日香は元気に手を振った。
 千尋は明日香の傍らまで走ってくると、明日香が左手に持っている紺色の袋を見やる。時雨を収めてある袋だ。笑いながら、言ってくる。
「まぁた、そんなもの持って。そんなんだから、彼氏ができないんだよ」
 それを聞いて、明日香はむっとしたように顎を上げた。
「自分の身は自分で守る。家の家訓だから。それに、最近の軟弱男には興味ないよ。あたしの彼氏になれるのは、あたしより強い人だけ」
「そんな男、いないって」
 左右に手を振りながら、千尋が呟く。
「あ。そうそう」
 言いながら、明日香は横を示した。
「この黒い人は寒月……って、あれ?」
「誰もいないけど?」
 明日香の左右を見ながら、千尋が呟く。明日香はその姿を探すように、周りを見回していた。だが、その視界内に寒月はいない。
「いつの間に……」
 呻いている明日香を眺めながら。
 寒月はほぐすように肩を動かした。
 明日香と千尋の立っている歩道から離れた、民家の屋根の上。そこに立ったまま、寒月は視線を移した。大学のある方向へと。
「また苦労しそうだな」
 呻いて、寒月は跳んだ。

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