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第3章 要求する山城


 前回のあらすじ

「それにしてもでかいな。さすがは戦艦」
 もみもみ。
「その身体は姉さまのものなんですよ! 何勝手にセクハラしてるんですか!」
「山城も触ってみるか?」
「え?」
 もみもみ。
 ごくり。
「何をしているのかしら?」
「……!」

 ▽

 さぁっ、と。
 音も無く。
 いやむしろはっきりと音を立てて、山城の顔から血の気が引いた。つい数秒前まで赤く染まっていた顔が、一瞬で真っ青に染まる。どこか漫画的なまでに。思考が追いつかないようだった。目元に涙が浮かび、身体が震えている。
 およそ三秒、固まってから。
「―――ッ ………ッッ!」
 擦れた悲鳴を上げながら、山城が跳んだ。諸手を挙げ、部屋の隅まで飛び退る。昆虫か小動物のような瞬発だ。戦艦とは思えぬ速度。それほどの衝撃だったのだろう。
 冷や汗を流し、両手を身体の前で動かす山城。何かを否定するように、必死に。
「あの……これはッ――! 違うんです……ぅ――!」
「おっし、大っ成功っ!」
 ツクモはぐっと拳を握り締めた。
 山城は一拍動きを止め。
「≠※◎▽u☆〆〜£#*〓♭!」
 言葉にならぬ咆哮を上げながら、突っ込んでくる。大きく口を開き両腕を振り上げ、上衣の袖を振り乱し。赤い瞳からは半ば正気の色が抜け落ちていた。さながら獲物に襲いかかる猛獣である。もしくは妖怪か、はたまた怪物か。
「すごいなー」
 他人事のようにツクモは唸った。
 開いていた距離を一瞬にして詰め、山城が腕を伸ばしてくる。避ける余裕は無い。
 突撃された勢いのまま数歩下がり、ツクモはベッドに腰を落とした。両腕をがっしりと、万力のような力で山城の手が捕らえている。
「いきなり何してくれちゃってるんですかあああッ! わたし、今ッ、心臓止まるかと思いましたよ、本当にッ! 何ですか、何ですか? 今の! 世の中にはやっていい事と悪いことがあるんですよ! えっ? 分かってるんですか、提督ッ! 死を覚悟しましたからね! ホント、マジで。もう腹切って詫びるしかないって、かなり本気で考えちゃいましたからッ! しかも姉さまの真似、妙に似てるしッ!」
 滝のように涙を流しながら、山城が吼える。怒りと焦りと恐怖と、その他諸々の感情が交じった凄まじい形相だった。どこか芸術的でもある。
 淡い感動すら覚えつつ、ツクモは腕を引いた。山城の手から自分の腕を外す。そっと自分の頬に右手を添え、少し俯きつつ上目遣いに山城を見やった。
 扶桑の真似をしつつ告げる。
「あまりにも熱心に私の胸を撫で回してるから、つい」
「………」
 山城は口を閉じ、目を逸らした。顔に薄く冷や汗を流している。さきほどの自分の行動を冷静に思い返したのだろう。唇が震え、視線も微妙に宙を泳いでいた。
「こほん」
 と咳払いをしてから、数歩後ろに下がる山城。
 椅子に腰を下ろし、何事も無かったかのように話題を変えた。
「それにしても、一体何故提督が扶桑姉さまに……? 理由はよくわかりませんけど、ありえるんですか? 意識が他人の身体に入り込むなんて」
「人間同士なら、ありえない」
 ツクモは即答した。
 頭をぶつけるなどの理由で心が入れ替わる。それはあくまでも創作の中での出来事だ。複雑な化学反応である脳の情報が他人と入れ替わることはない。
「ただ、相手がお前たちなら話は変わってくる」
 艦娘と呼ばれる存在。かつて散った英霊たちの破片が、人の姿を得て現出したもの。見た目は人間の女性だが、その実人の形をした小さな神である。
「艦娘に人間の常識は通じない。時々変なリンクが起こることはある」
 ツクモは人差し指を持ち上げ、そう説明した。
 長い髪を手で払い、続ける。
「たとえば、艦娘と触れた状態だと相手と自分の思考が半分筒抜けになったり、艦娘の居場所が常に把握できたり、そういう提督が何人かいる。俺もそういう波長が合うタイプの人間だったんだな。ちょっとびっくりした」
 艦娘との波長があうと、何かしら精神が混線することがある。そういう例はいくつか存在していた。プライバシーに関わる事なので、おおっぴらには言われないが。
 山城が首を傾げる。
「どうすれば戻れるのでしょう?」
「そこまではわからん。上に連絡すれば何かしらやってくれるとは思うけど――できればこの場で解決したい。そう複雑な事はしなくていいはずだ」
 ツクモはそう呻き、目を伏せた。
「それに、あんまりここ離れてると、妙高さん怒るだろうし」
「ですねー……」
 乾いた笑みとともに山城が同意する。
 重巡妙高。中萩基地の真なる支配者だった。先任提督の代からいる古参である。提督であるツクモ含めてこの基地の誰も頭が上がらない相手だ。ツクモが基地を離れれば、その負担は全て妙高にかかる事となるだろう。
「まずは何から試してみるか」
 言いながらツクモはベッドから起き上がった。肩を引っ張られるような胸の重さや、頭を引かれるような髪の毛の重さ。筋肉の動きや視線の動きも違う。
 奇妙な感覚だった。
「まずは……!」
 山城がタンスの引き出しから、ビデオカメラを取り出した。両手で構えたカメラをツクモへと向ける。赤い瞳をきらきらと輝かせながら、
「このカメラに向かって、『山城、愛してる』って言って下さい」
「待て、こら」
 ジト眼でツクモは山城を睨み付けた。
 しかし山城は一歩も引かない。背筋を伸ばし、深々と頭を下げてくる。
「この山城、一生のお願いです!」
「わかったよ……」
 よく分からない気迫に、ツクモは折れた。
「では、どうぞ!」
 頭を上げ、素早くビデオカメラを構える山城。
 ツクモは息を吸い込み、胸元に両手を添えた。微かに身体を傾け、瞳を潤ませながら、優しく微笑み、山城に語りかける。
「山城、愛してるわ」
「………!」
 無言で仰け反る山城。
 震えながら体勢を立て直し、続けて言ってくる。
「次はかっこよく」
 ツクモは軽く咳払いをして、背筋を伸ばした。左手を軽く腰に添え、右手を山城に向かって突き出す。眉間に力を込め、力強く微笑みながら、
「山城、愛してるよ」
「!」
 何かに殴られたように頭を跳ね上げる山城。
 何度か引きつるような呼吸を繰り返してから、体勢を立て直す。
「次はかわいく」
 ツクモは一度背伸びをしてから、一息。握った両手を胸元に添え、身体をやや前に傾けながら、上目遣いに山城を見やる。にっこりと子供のように無邪気な笑みとともに。
「山城、大好き☆」
「………」
 っぅ……。
 と山城の鼻から、一筋の赤い血が流れ落ちる。
 慌てず騒がず、山城はティッシュペーパーを丸め、それを鼻に突っ込んだ。
「次はですね……」
 ビデオカメラを片付けてから、続けて高そうなカメラを取り出してくる。
「まずセクシーポーズお願いします」
「いい加減にしろ」
 ツクモはあきれ顔で腕を振った。無意識に足が半歩退いている。
 このまま付き合っていては、山城の個人撮影会になってしまう。それはそれで面白いかもしれないが、優先事項は他にあるのだ。あまり遊んではいられない。
「むぅ、残念です……」
 愚痴りながらも、渋々とカメラを片付けた山城。
 ふと思いついたように訊いてくる。
「提督。姉さまの真似、妙に上手いですよね?」
「それなんだがな」
 ツクモは数拍の間を挟んでから、
「なんか、身体に引っ張られるんだ。『扶桑のように』って意識して身体や口を動かすと、実際に扶桑がそういう行動取ったように、身体が動かせる。いや動く」
 眼を閉じ、眉間に力を込めながら、解説する。
 正確な原理は分からないが、身体自体が自然な行動を知っていて、自分はそれに倣うように動くことができるのだ。いや、動いてしまう。
「それは、ちょっと羨ましいですね」
「やりすぎると、『扶桑』に食われそうだけどな」
 感心する山城に、ツクモは苦笑いとともに付け足した。
 扶桑のように動けば、ツクモは無理矢理扶桑に近づくのだ。やりすぎれば、そのまま扶桑に取り込まれてしまうかもしれない。すぐどうとなるレベルではないだろうが。
 大きく息を吸い、吐き出す。
「さて、話を戻すが」
 ツクモは身体の向きを変え、緩く腕を組んだ。
 まずは自分の身体に戻らなければならない。ずっと扶桑の身体で過ごすわけにはいかないし、そもそも扶桑への憑依状態が続く事で、どんな副作用が出てくるかもわからない。早めに元の身体に戻らなければならない。
「これと言って思いつく手段は無いんだが――」
 言いながらツクモは一歩踏み出し。
 ぷち。
 足下からそんな音が聞こえる。
 視線を落とすと、室内草履の鼻緒が切れていた。踏み出した時に切れたらしい。古くなっていたのかもしれない。そのまま平衡を失い、身体が前に倒れていく。自分の身体ならすぐに立て直せていたが、扶桑の身体であるためか反応が一拍遅れた。
「ひゃあっ!」
 喉から出る気の抜けた声。茶色い木の床が視界を埋め、黒く染まり一転白く瞬き、再び黒く染まる。あっけなく、ツクモは仰向けに倒れていた。
「姉さまの身体がっ!」
 山城が叫ぶ。
 ツクモは両手をつき、身体を起こそうとして。
 ぱしゃ。
 頭と背中に軽い衝撃が走った。
 それは音も無く広がっていく。冷たく、重い感触。
「むぅ」
 テーブルに置いてあったジュースのパックだろう。ツクモが倒れた衝撃で倒れたのだ。中身は狙い澄ましたように、ツクモへと降り注いでいる。

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18/8/1