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第1章 アタシは厄神


 白く染まる部屋。窓の向こう側から聞こえる街のざわめき。
 布団の中で身じろぎしながら、草原奏太は意識を覚醒させた。
「朝かぁ……」
 目を閉じたまま、右手を適当に伸ばす。
 大学への下宿先にしているワンルームアパート。それほど広くはない洋間だ。いつもと同じ朝。いつもと同じように、ベッドの上で目を覚ます。
 ぱし、と。
 伸ばした手が誰かに捕まれた。
「!」
 一気に意識が覚醒する。
 一人暮らしの学生。他に部屋に人はいない。誰かを連れ込んでいるわけでもない。それなのに誰かが手を自分の手を掴んでいる。ありえないことだった。
「な、ん……!」
 布団をはね除け、身体を起こす。
「起きたか」
 聞こえた声は軽かった。
「おはつにして、おはよう。草原奏太」
「?」
 見る。
 ベッドの縁に女の子が一人、腰掛けていた。イタズラが成功したような笑顔で、奏太を見つめている。泥棒には見えなかった。ついでに、人間にも見えなかった。
 脳裏に浮かんだイメージは日本人形だった。
 身長約八十センチくらい。人間をそのまま半分に縮めたような大きさである。年齢は中学生くらいだろうか。腰まである長い黒髪、伸ばした前髪で左目を隠している。右目は鮮やかな赤色だ。そして服装。肩に切れ目の入った赤い着物、黒い袴。紅白の巫女装束を、赤と黒に塗ったような服装だ。足は裸足である。
 身体の小ささと服装が相まって、人形のようだった。
「君、誰……? てか、何……?」
 わけがわからず、奏太は尋ねる。目が覚めたらベッドに人間の半分くらいの大きさの、人形のような少女が腰掛けていた。状況が理解できない。
 奏太の反応に満足したらしい。少女は二度頷いてから、自分に親指を向けた。
「アタシは夜光。厄神だ。ここの土地神と厄神長の命令で、しばらくお前の所に居着くことになった。どれくらいの付き合いになるかは知らんけど、よろしくな」
 と、右手を挙げてみせる。
 思考の止まった頭で、奏太は訊き返す。
「やくがみ?」
「貧乏神とか疫病神とか言われることもあるな。災厄を管理する神様だ」
 視線を持ち上げ、夜光が答えてくる。
 その言葉を何度か頭の中で繰り返してから、奏太は意味を飲み込んだ。
「うぅ、疫病神に取り憑かれるなんて、ついてねぇ……」
 肩を落とし、大きく息を吐く。
 昔から運が悪いという自覚はあった。大きな不幸に襲われるということはないが、地味にツキが無い。じゃんけんをすればよく負けるし、ババ抜きをすれば大抵最後に残る。そして何の因果か、ついに疫病神に取り憑かれてしまった。
「安心しろ」
 夜光が口を開く。
「別にアタシはお前を不幸にするために来たんじゃないぞ。アタシたちの仕事は災厄の管理だ。お前の中にいる厄喰いの管理が仕事だよ」
 小さな指を奏太の胸に突きつける。
 指が示す先、奏太の胸の奥。夜光は奏太の中にいるらしい何かに用があるようだ。
「厄喰い――って何だ?」
「説明すると長くなりそうだけど――いいのか?」
 夜光が視線を向けた先には時計があった。机の上にパソコンのともに置かれたデジタル時計。表示されている時刻は、いつも家を出ている時間の十分前を示していた。
「!」
 とっさに枕元にある時計を見る。起床用の目覚まし時計。その針は午前二時くらいで止まっていた。夜中に電池が切れたようである。
「うおあっ!」
 短い悲鳴を上げ、奏太はベッドから転げ落ちた。


 朝食を掻き込み大急ぎで身支度を調えてから、アパートを出る。
 大学までは徒歩で二十分ほどだ。自転車で移動すれば十分も掛からないだろうが、奏太は徒歩で移動している。単純に歩くのが好きだった。
「いや、絶景絶景」
 奏太の肩に乗った夜光が、楽しそうに声を上げている。いわゆる肩車の姿勢。アパートを出る奏太の肩に飛び乗っていた。身体が小さいためか、かなり軽い。
 人通りのない道路を進みながら、奏太は尋ねる。
「本当にお前、神様なんだな。僕以外の人間には見えてないのか?」
 夜光を肩に乗せたまま人とすれ違っても、誰も夜光を気にしていない。見えていないようである。見えていないというよりは、認識されていないという様子だ。
「そういうこと。ふふん」
 得意げに言ってくる夜光。肩に掛かる重さが後ろに傾いている。表情は見えないが、かなり偉そうに胸を反らしているようだった。
「ま……下っ端だけどな」
 小声で付け足している。
 奏太は夜光が倒れないように、右足を掴んだ。黒い袴に包まれた細い足。大きさ以外は人間と変わらないように思える。幼女のような身長で、それなりに成長した身体付きというのも、いまひとつ不自然であるが。
「さっき言ってた厄喰いって何だ?」
 気になっていた事を訊く。疑問は早めに解消すべきだろう。
 姿勢を戻し、夜光が奏太の頭に手を乗せる。
「簡単に言うと――お前の中にいる厄を喰う魔物」
「………どういうことだ?」
 気味の悪いものを感じつつ、奏太は訊き返す。お前の中にいる。つまり、奏太の中に厄喰いなる魔物がいるということだ。気分のいいものではない。
「周囲の災厄の素を喰う魔物がいる。お前はその魔物に取り憑かれてる――っていうか同化してるというか、まーそういう訳ありの人間なわけだ」
 夜光の声は軽かった。
「そんな魔物が身体ん中にいて、僕は大丈夫なのか……?」
 不安に駆られる奏太に対し、夜光はあくまで気楽に話を続ける。
「はっきり言って、特に問題はない。魔物としての危険度は1だし、植物系……っていうか、コケみたいなヤツだし。お前自身に悪さをするわけでもない。周囲に悪さをするわけでもない。直接の害は無い」
 そう説明してくる。
 コケ。日陰の地面や石の表面、木の幹などに地味に生えている植物。魔物という呼び方から怪物のようなものを想像していたのだが、思いの外地味な存在らしい。
「ただ……」
 夜光が右足を引いた。肩車の姿勢から片足を抜き、左肩を滑り降りてくる。猫を思わせるような素早さと柔軟さ。身体が小さいためか、見かけ以上に身軽なようだ。
「おっ――と」
 奏太は反射的に左腕を持ち上げた。そこに夜光が落ちてくる。まるで狙ったように。実際、こうなると分かっていたのだろう。左腕に掛かる重さ。
「うむ、良い感じだな」
 奏太の左腕に座った夜光。右手で奏太の肩を掴んで身体を支えている。その体勢が気に入ったらしい。満足げに頷いている。
 からかうように口端を上げ、赤い瞳で奏太を見上げる。話を再開させた。
「厄喰いって名前の通り、周りにある厄を集めて喰う魔物だ。食べこぼした厄が周囲に微妙に悪影響を与える。お前は不幸体質らしいけど、この魔物が原因だ」
「むぅ」
 眉間にしわを寄せる奏太。なんとなく理解した。子供の頃から色々と小さな不幸に襲われていたが、それは奏太の中にいる魔物のせいだった。
「厄とはなんぞやって説明は省く。簡単に言うと、意識を鈍らせる毒気だな」
 左手の人差し指を立て、夜光が付け足す。
 奏太は夜光を見つめ、訊いてみた。
「………何とか取り出せない?」
「無理」
 返答は素っ気なかった。
 風が吹き、夜光の黒髪が揺れる。左目を隠すように伸ばした前髪も微かに揺れていた。髪の隙間から覗く左目は、右目と同じような赤い瞳である。
「厄喰いはお前とほとんど融合してるから、無理矢理引き剥がしたらお前の方が死んじまうぞ? 死ななくとも、かなりきっつい障害残るだろうし、寿命もごりっと縮むわな。そこを上手く切り離せる医者はいるけど、手術代で家一軒建てられるくらいの金が必要だ。当然、保険の対処外だぞ」
 何故か楽しそうに説明してくる。
「ああ、不幸だ……」
 右手で額を抑え、奏太は呻く。
 その様子を眺めながら、夜光が苦笑いをしていた。
 一度息を吸い込み、奏太は夜光を見る。厄神と名乗る、人間の半分くらいの大きさの少女。巫女装束のような服装だが、紅白を赤と黒に塗り替えたどこか気味の悪い色合い。
「君は何しに僕の所に来たんだ? その厄喰いの魔物が僕の中にいるって伝えに来ただけじゃないんだろ?」
「ひとつは観察かな?」
 視線を上げ、夜光が呟いた。
「人間と魔物の融合体って、危険な存在なんだよ。魔物は強い力を持っていることが多くてな、その影響で宿主の人間は精神に大きな負担が掛かるし、その結果、精神逝かれて暴れ回ることも多い。普通はよくて封印術でがんじがらめ、悪ければ速やかに抹殺」
「怖いぞ!」
 思わず叫ぶ。
 夜光は奏太に目を移し、
「お前はその点、宿してる魔物が小さくて大人しいせいで、危険性は皆無。観察対象としては丁度いいって判断されたわけだ。体内や周囲の邪気の流れを観察して、融合体の魔物の無力化なんかの研究に役立てるらしい」
 説明はしているが、あまり興味はなさそうだった。
 訊いたこともない単語が並んでいるが、何をしたいのかは大筋で理解できる。危険性の低い危険物というものは、稀少なのだろう。
 すっと夜光が目を細めた。
「もうひとつ。無節操に厄引き寄せて喰うのは、ちーっとマズい」
 ぞくりと背筋に悪寒が走る。奏太は息を止めた。夜光が奏太の元に来た理由。それはこちらが本命なのだろう。口調からはっきりと読み取れる。観察はあくまでもおまけだ。
「お前の厄喰いは、そこらに漂ってる厄を無作為に喰っててな。小さな不幸レベルの厄を喰ってるくらいなら平気だけど――稀に落ちてる呪詛みたいな重い厄を喰ったら、ヤバい。厄喰いが、厄に呑まれる」
「それは危険そうだな」
 乾いた唇を舌で湿らせ、奏太は言葉を吐き出す。
 ようするに人間と魔物の融合体の暴走が起こるのだろう。そうなれば暴れ回って、殺されるのがオチだろう。殺されるのは仕方ないが、暴走する事で何かを壊したり、人を傷つけたり、最悪殺してしまったり、そういう事は起こって欲しくはない。
「まっ、まず起こらないだろうけどな」
 安心させるように笑いながら、夜光は手を動かした。
「アタシの仕事のひとつは、お前に厄喰いの制御の方法を教えること。わかりやすく言うと、喰っていい厄と喰っちゃいけない厄を、お前自身が見分けられるようにすることだ」
「難しそうだな」
 正直な感想を告げる。
 今までオカルト関係には無関係の人生を歩んでいた奏太。いきなり厄を見分けられるようになれと言われても、何をすればいいのか見当すら付かない。しかし、その方法を夜光は奏太に教えようとしている。
 夜光は右手で前髪を払い、左目を閉じた。
「半年は掛からないだろうな」
 笑いながら、そう言ってくる。

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草原奏太
厄喰いの魔物を宿す青年。
魔物自体は非常に大人しく、コケのようと形容される。周囲の厄を無作為に食べるだけで、本人や周囲に害はない。しかし、その食べこぼしのせいで奏太本人は不幸体質。

夜光
厄神。人間の半分くらいの大きさ。黒と赤の巫女装束のような服を着ている。厄喰いの魔物の観察と、制御方法を教えるために奏太の元へと押しかけた。

14/12/18