Index Top 第1話 雨の降る日に

中編 沙雨のお誘い


 卓袱台の上に置かれたカレーライス。
 小さな箱を椅子代わりにした沙雨がスプーンでカレーを口に入れる。ティースプーンなので、人間の三分の一サイズでも問題はない。沙雨自身、かなり手先は器用らしい。慣れた手付きで、カレーをすくい口に入れていた。
「日本人の食事は、随分と多様化しているものだ」
 そんな感想を口にしながら、沙雨は最後の一口を呑み込んだ。
 氷水の入ったコップを掴み、中身を半分飲んでからコップを置く。沙雨にとって人間の使う道具は適正サイズの三倍ほどだが、不自由している様子はない。
「おかわり」
 沙雨が空の皿を差し出してくる。
 皿を受け取りながら、慶吾は呆れたように頭をかいた。
「お前、よく食べるなぁ。カレーライス二皿完食して平気ってのは何かの冗談だろ? その人形みたいな身体の、どこにどう収納されてるんだ?」
 皿にご飯とカレーをよそりながら、沙雨の身体を見る。
 服はまだ乾いていないため、バスタオル姿だが、バスタオルを器用に身体に巻き付け、服のようにしていた。その人形サイズの小さな身体に、明らかに無茶な量のカレーライスが消えている。どのような原理なのか見当が付かない。
 コップの氷水を飲んでから、沙雨は一息ついた。
「人間ではないから、結構何とかなるものだ。こうして見掛け以上に食べられるし。噂によると人間と同じ体格で五十人分くらい食べられる猛者もいるらしい」
「何だ、その食欲魔神?」
 驚きながら、三杯目のカレーを沙雨の前に置く。
 慶吾の疑問には答えず、沙雨はスプーンをくるりと回した。それから軽く会釈してカレーライスを食べ始める。今までと変わらぬペースで腹に収めていった。
「てか、少しは遠慮しろよ」
 その言葉に、沙雨は一度手を止めた。スプーンを揺らしながら、
「遠慮は好かん。旅の身分、こうして普通の食事をすることも少ないのだ……。無賃乗車はともかく、盗み食いはさすがにマズい。食べられるうちに食べておかないと損だ。とりあえず、冷蔵庫にあったチーズケーキが食べたい」
「あれは俺の!」
 冷蔵庫を見る沙雨に、慶吾は釘を刺した。


「変なの来たなー……」
 湯船に浸かったまま、慶吾は天井を見上げていた。
 暖かい風呂場の空気と、漂う湯気。雨の神と言っていた沙雨。日常生活に割り込んできた非日常。今日の昼から今まで、全部夢かとも思える。
「明日には出発するって言ってたし、居着かれることはないみたいだけど。今日は泊まってく気満々だしな……。まだ雨降ってるから追い出すわけにもいかないし」
 ぶつぶつと独り言を続ける。
 その時だった。
「失礼するぞ、慶吾」
 沙雨の声とともに、風呂場のドアが開く。
 二度瞬きしてから、慶吾はそちらに目を向けた。
「い゙!」
「そう驚くものではない。……ま、健全な男なら驚くか」
 沙雨は服を着ていなかった。
 タオルを身体に巻き付けることもしていない。
 いわゆる全裸。
 十代半ばの女の子を、小さくしたような身体だった。丸みを帯びた手足やお腹、控えめな大きさの半球型の乳房と、先端の小さな膨らみ。なだらかなお腹の曲線。何も無い下腹部まで。全てが丸見えだった。
「………」
 目を点にしたまま、慶吾は固まる。
 からかうように笑ってから、沙雨は風呂場を横切る。
「見せても減るものでもないしな。それに、風呂はいいものだ……」
 床に置いてあった椅子へと腰掛けた。
 近くにあったボディシャンプーを引き寄せてから、自分の手にシャンプーを出す。本来はボディタオルなどに出すのだが、沙雨の身体では難しいだろう。
 手の中のボディシャンプーを器用に泡立ててから、手で全身を洗っていく。
 ほどなく泡だらけとなった沙雨。
 今度は、ヘアシャンプーを手に取って髪の毛を洗い始めた。沙雨が手を動かすたび、白い泡が瞬く間に広がり、髪の毛を包み込んでいく。髪の毛がきめ細かいせいか、沙雨が何かしているのかは分からなかった。
「何をじっと見ている」
 ふと、沙雨が半眼を向けてくる。
「いや……」
 湯船に浸かったまま、慶吾は目を泳がせた。
 お湯の入った桶を持ち上げ、沙雨は中身のお湯を頭からかぶった。流れるお湯が、身体を包んでいた泡を洗い流す。かなり適当に洗っていたようだが、沙雨本人としてはそれでいいようだった。
 濡れた前髪を払い退け、沙雨は両手を腰に当てた。口元に笑みを浮かべる。
「おおかたいやらしい事でも考えているんだろう。人形のように小さいが、これでもアタシはれっきとした女だからな」
 そっと自分の胸を右手で撫でる。手の動きに、小さな胸の膨らみが微かに形を変えていた。大きさが違うだけで、その身体は立派な少女のものなのだろう。
 慶吾は湯船に浸かったまま、眉根を寄せる。
 何故、自分はこんな事をしているんだ?
 根本的にして、答えのない疑問。
 沙雨がどこからか取り出したタオルを頭に巻き付けている。
「まぁ……。そうだな。お主、アタシを抱いてみないか?」
「は?」
 いきなり言われた言葉に、慶吾は再び沙雨を凝視した。
 半ば思考停止に陥った頭脳を無理矢理動かし、考える。沙雨の言う"抱く"とは、単純に抱きしめるという意味ではなく、男女の性交を意味しているのだろう。
 沙雨の顔が少し赤くなっていた。人差し指で頬をかきながら、
「一宿一飯の恩というわけではない。昔会った舶来の者より神婚術というものを教わったことがある。それを利用して、お主の精気を少し貰えないかと思ったわけだ。術師でも無いのに、アタシが見えるって事は、かなり波長が合うのだろうし」
 微かに笑みを浮かべ、沙雨は慶吾を見上げていた。
「神婚術?」
「神と交わることにより、精を与えたり貰ったりする術だ。本来なら儀式的なものだが、簡易なものはアタシでも使える。……多分」
 慶吾に疑問に、沙雨が解説する。
 何と返してよいいか分からず、慶吾は思った事を正直に口にした。
「なんか、それって、釈然としないんだけど……」
 沙雨は両手を腰に当て、口端を持ち上げた。どこか挑発するような口調で。
「女が臥所を共にしようと言っているのだ。据え膳喰わねば何とやら。それを断るような無粋な事はするなよ?」


 時計を見ると、午後九時。部屋は静かだった。
 ベッドに座った慶吾と沙雨。寝間着姿の慶吾に対し、沙雨は乾いた服を着ていた。青い縁取り布のある白衣と、紺色の行灯袴に着替えている。寝る時もこの恰好らしい。
 自分の胸に手を当て、沙雨は口元を緩める。
「さて、アタシの準備はいいぞ。撫でるなり揉むなり舐めるなり。お主の好きなようにするがいい。さすがに、刺すとか抉るとかは困るが、過激な事をしなければ問題ない」
「楽しそうだな」
「こういうことをするのは始めてだからな」
 黒髪を揺らしながら、沙雨が答える。
 流れで、沙雨を抱くことになってしまった。これが、自分の意志によるものかと問われればおそらく否だろう。かといって、沙雨を説得して大人しく引き下がらせるかと問われれば、やはり否だろう。そこまで煩悩を制御できてはいない。
「こういう事訊くのも何だけど、受け入れられるのか?」
 沙雨の身体は小さい。男のものを受け入れるのは無理のように思える。無理矢理挿れて裂けてしまうというのは、避けたかった。
 しかし、沙雨は手を動かしながら、
「大丈夫だ。位の低い神や妖怪は、生物のようにきちっとした身体を持っているわけではない。さっきもカレーライス三杯食べてみせただろう? あれと同じ仕組みだ。お主のものを受け入れるくらいはできる」
「うーん……」
 慶吾は首を捻る。
「煮え切らんヤツだな。仕方ない」
 沙雨が右手を持ち上げた。人差し指と中指を伸ばした形。二本貫手に似ているかもしれない。その手に、見えない何かが込められているのが分かる。
「必殺、精門孔!」
「おぐっ!」
 沙雨の指が、慶吾の腹に突き刺さった。
 それほど痛みはない。しかし、何かが開いた。腹の奥から、燃えるような熱が全身へと広がっていく。心臓の鼓動が大きくなり、全身に力が漲る。喉が渇き、身体に薄く汗が滲んでいた。思考とは別に、意識も高揚していく。
「おい……」
「精力増強のツボに、アタシの法力を叩き込んだ。これで、少しはマシになったろう?」
 そう沙雨は笑ってみせた。

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11/5/24