Index Top 第1話 狐の式神

前編 式神一ノ葉


 大学生活にも一人暮らしにも慣れた五月の初め。ゴールデンウィークの初日。
 白砂初馬は街外れの空き地で作業をしていた。休日なので人の姿はない。念のために人払いの結界も作っているので、空き地に人が近づくこともない。
「これを縛ってから……」
 身長百七十センチほどの青年。短めの黒髪と中肉中背の体格で、顔立ちは普通。簡単な作業用シャツとズボンという服装である。使い込まれた作業着だった。
 脚立から降りて、一息つく。脚立を片付けてから、ぱんぱんと両手を叩いた。
「これで下準備は完了、と」
 二十メートル四方の四隅に青竹を差し、その中程を注連縄で縛って正方形を作る。本格的な結界。正方形の中央には木の台と、その上に置かれた小さな木箱。どことなく地鎮祭を思わせるもの。
 初馬は道具箱に置いてあった小太刀を手に取った。一尺七寸の破魔刀。その鞘をベルトの剣帯に差し、木箱に向かう。
「親父がどこからか拾ってきた狐の式神。式を自分で作るのも探すのも面倒だし、適当なところかね? 従える方法は自分で考えろとか言ってたけど」
 式神を使役する退魔師白砂一族。初馬は宗家の長男だった。
 正式な退魔師になる試験として、自分の式を決めるというものがある。普通は二十歳前に決めるのだが、いまいち熱意のない初馬。そこへ世話焼きの父から送られてきた狐。作者は不明。性格に若干の難ありで従えるのは難しいが、力は強いらしい。
 せっかくなので、この狐を式にすることに。手順は既に考えてある。
「失敗はしないだろ」
 初馬は木箱の前に立った。封と印の押された箱。見た限りではそれほど古くもない。両手で印を結び、箱の蓋に霊力を叩き付ける。
「解!」
 パン、と乾いた音を立て、木の箱が割れた。
 初馬は数歩後ろ跳び退る。
「狐さんのお出まし、か」
 木台の上に白い霞みが残り、数秒で狐の姿を取った。
 普通の狐よりも二回りほど大きな人工の狐。全身がきれいな狐色の毛で覆われている。ぴんと立った耳と、大きな尻尾。尻尾の先端は白く、耳の先端は黒い。
 起き抜けのような焦茶色の瞳で辺りを見回し、
「ふぅ、久しぶりの外の空気だな。貴様か、封印を解いたのは?」
 初馬を見据える。どこか妖艶な若い女の声。リズムを刻むようにゆっくりと尻尾を動かしていた。目覚めはいいらしい。
「ああ、俺は白砂初馬。よろしくな。あんた、一ノ葉って名前だったか。前置きは抜きにして、本題。俺の式になってくれ」
「式神使いの白砂に、式神封じの結界か……なるほどな」
 周囲のしめ縄を眺めてから、初馬に視線を戻す。尻尾を一振りしてから、
「ワシを式にするために封印を解いたというわけか。確かにワシは普通の式神より数段強い。だが、嫌だ……と言ったらどうする? ワシは他人の命令を聞くのが嫌いでな」
 挑発するように口の端を上げる。焦げ茶色の瞳に映る鋭い気迫。
 戦えば勝てるだろう。送られてきた一ノ葉の資料から、初馬はそう計算していた。勝てると言っても楽勝にはほど遠いだろうが、まず負けることはない。無策でもない。
 腰の小太刀を抜き、切先を一ノ葉に向ける。
「力尽くで屈服させる。白砂宗家の跡取りを舐めるなよ?」
「ほう、面白い」
 一ノ葉は腰を上げ、台から飛び降りた。
 木台の前へと音もなく着地し――
「ッ!」
 バシャ。
 あらかじめ作っておいた落とし穴へと落下する。木台の手前に手頃な穴を造り、中に大型の水槽を仕込んで、大量の酒を放り込んでおく。あとは普通の落とし穴のように、上を塞いで準備完了。
 バシャバシャともがく一ノ葉。
「うわ、ホントに引っかかったよ……」
 初馬は小太刀の切先を下ろし、戦くように呟いた。
 一分ほど水音が続いてから。
「ぬおあァ!」
 派手に水しぶきが飛び散り、一ノ葉が飛び出した。落とし穴の手前に着地し、全身を震わせて酒を振り払う。辺りに飛び散る酒の飛沫と、アルコールの匂い。溺れかけている間に、かなり呑んだだろう。
「き、貴様……こんな、こて、古典、的な……罠を、は、張る、な……」
 呂律の回らない口調。焦茶色の眼も焦点が霞んでいて、平衡も怪しい。水を払う時も倒れかけていた。資料によると、一ノ葉は破滅的なまでに酒に弱い。加えて度数の高い酒七種類のチャンポンだ。酔わない方がおかしい。
「引っかかるお前が悪い。むしろ、こんな古典的な罠に引っかかるな。俺も引っかかるとは思わなかったぞ。せっかく他に罠も作ってたのに……」
「う、るさ、い!」
 右前足を踏み出すが、それだけで前につんのめる。
 初馬は一歩前に出た。全身に霊力を込めながら、にっと笑う。
「さっき言った通り、力尽くで屈服させる。恨むなよ?」
「ちょ、と、待……」
 焦る一ノ葉には構わず、飛び出す。
 踏み込みから身体を沈み込ませての後回し蹴り。攻撃が見えているのに、酩酊状態では避けることも防御することもできない。霊力の込められた踵に頭を打ち抜かれ、一ノ葉が吹っ飛ぶ。木台を打ち壊して結界に激突し、受け身も取れずに地面に落ちた。
 そのままぴくりとも動かない。気絶したらしい。
「第一段階終了」


 場所を近所の公民館に移す。
 休日中は閉まったままだが、管理人に無理を言って一日貸して貰った。初馬は作業着姿から、普段着に戻っている。
 フローリングの十畳間。そこに三メートル四方の和紙を引き、自分の血を混ぜた墨で大きな術紋を書き込んでおく。純日本式の印ではなく、どこか魔法陣に似た形状。これ自体が大型の術符だった。印の中央に置かれた気絶したままの一ノ葉。
「ん……」
 一ノ葉が微かに目を開ける。
 すぐさま自分の状況を理解して、跳ね起きた。いや――跳ね起きようとした。だが、式封じの術と金縛りの術で二重に拘束され、声を上げることしか出来ない。
「貴様ァ」
 初馬を睨んで叫ぶ。
「ワシに一体何をするつもりだ!」
「さっきから言ってるだろ、俺の式にするって。方法は考えてあるんだから」
 大術符の文様に沿って術式を組みながら、初馬は笑いかけた。
 現在時刻午後五時半。一ノ葉との対決が長引いて明日に持ち越すことも覚悟していたのだが、思いの外早く終りそうである。むしろ順調に行き過ぎているだろう。回復用の薬も買い込んだのだが、無駄になってしまった。
「ふん。ワシは貴様など主として認めない。どうやって式にするというのだ? 拷問でもするか? それとも幻術か何かで洗脳でもしてみるか?」
 挑発するように嗤う一ノ葉。
 酒が残っているせいで、呂律はまだ不鮮明だが、眼には怒りの火が灯っていた。術封じの式で術の使用もできないのに、弱気になる気配もない。
「気の強い狐だなぁ。俺はそういう荒っぽい方法は嫌いでね」
 自分で作った式神なら、自由に使役することができる。しかし、他者の式神を使役するのは難しい。式神が主を認めていないと、言うことを聞かないのだ。ましてや、自分の制作者ですら主と認めていないこの狐では。
「ところで、お前人間に化けたことあるか?」
「?」
 初馬の問いに、一ノ葉は疑問符を浮かべた。
「ないようだな。まあ、面白いから一度体験しておくと良いぞ」
 そう告げてから、和紙に書き込まれた術印に大量の霊力を注ぎ込む。あらかじめ設置された術式が稼働し、淡い光を帯びていた。
 何が起るのか分からず、焦るように視線を動かす一ノ葉。
「式神変化・改!」

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