Index Top

前編 新しい身体


 俺の名前は田村裕樹。
 といっても、この身体の名前だ。
 大学三年生の男。身長体格共に標準。成績はそれほどよいとは言えないが、単位を落とすほどではないらしい。性格は真面目でやや優柔不断。典型的な好い人だろうな……。たちの悪い女にオモチャにされ、その事実を知らされ絶望、七階建てのビルから飛び降り、頸椎骨折にて死亡。
 救いのない話だ。
「その死体を拾ったのが俺なのだが」
 ちなみに俺に名前はない。
 憑き蟲と人間は呼ぶ。鈍色の液体の身体を持つ六級位の妖怪で、生物の死体に取り憑き、擬似的な生命活動を行う。生命活動の範囲内なら、かなり無茶も出来る。憑き蟲が憑いた死体は日常生活においてほぼ不死身となるのだ。折れた首も自力で直している。
「退魔師相手なら、秒殺される自信あるけどな」
 自嘲気味に独りごちる。憑き蟲自体は滅茶苦茶弱い。
 俺はここ七年ほど野良猫として生活していた。しかし、つい二十分ほど前に新鮮な人間の死体を見つけそちらに依代を変更した。つまりこの身体だ。裕樹本人の魂はもういなかった。死神がどこかへ連れて行ったのだろう。あいつらは働き者だ。
「人間になるのは八十年ぶりくらいか……。世の中変わったな」
 深夜の住宅街を歩きながら、そんなことを呟く。
 憑き蟲にとって人間は最上級の依代。生身の人間を殺して依代とすることは出来るが、俺らのような下級妖怪が人間を殺せば、たちまち退魔師に狙われることとなる。処罰というか、駆除という形で。憑き蟲は所詮は妖蟲、脆弱な少数種族。
 弱者は常に大人しくしていなければならない……。生存競争は辛いねぇ。
 マンションの階段を登りながら、俺は頭をかいた。
「原木江美、二十三歳。身長百六十六センチ、体重四十五キロ……と自称。性格は一見やや我が儘なお嬢様に見えて、その実腹黒いの一言」
 この木村裕樹を弄んだ女である。このマンションの八階に一人で住んでいる。記憶には大学院生とあるが、事実である保証はない。
「復讐代行っていうか……俺の性分じゃないけどな」
 自殺した人間の死体には、生前の怨念が残っていることが多い。放っておくとその怨念が寄生者――つまり俺を蝕み、魔物化させると言う。伝聞なのでよく知らんが、怨念が静かに俺を蝕んでいるのは事実だった。魔物化は……正直嫌である。
「それを防ぐ方法はひとつ。なんらかの方法を以て怨念を祓う」
 適当な祓い屋に頼めばいいのだが、俺まで祓われてはお話にもならん。お祓い程度でも憑き蟲には大ダメージになるんだよ。マジで。純粋な生命力は蟲並だもん。
 もう一つの手段は、直接復讐を行う。裕樹の怨念は江美を殺す気まではないようだ。俺が江美を殺す必要はない。怨念と記憶の内容からするに……
 その女を無茶苦茶に犯してやればいい、らしい。
 男ってホント正直な生き物。俺ら憑き蟲に性別ないんだけど。
「無茶苦茶に犯すって犯罪だよな。でも、生存手段の一環だし、大丈夫だろ……多分。出来るだけ後腐れ残らないように復讐して、終わったら社会奉仕活動でもするかな」
 空笑いしつつ、俺はドアを見つめた。五級位以上の連中は法が適用されるが、六級位の俺には法は適用されない。生存手段として人を襲うくらいは認められている。面倒くさい法律に縛られないという利点もあるのだが、今は置いておく。
 せっかく手に入れた人間の身体、手放す気は毛頭ない。
 ノブを捻って中へと入る。鍵はかかってない。
 我が家のように靴を脱ぎ、適当なスリッパを履く。
「誰?」
 顔を出したのは若い女だった。
 年は裕樹と変わらない。セミロングの黒髪と小悪魔っぽい顔立ち。見た目はちょっと我が儘そうな女。裕樹の記憶の美化を差し引いても、相当な美人だろう。寝る前なのだろう。水色のパジャマ姿だった。
「うっわ、裕樹? 今更どの面下げて現れたの。警察呼ぶわよ」
 その顔を露骨に歪める。汚物でも見るように。
 怨念がぞわりと蠢く。だが、俺は平静を装って答えた。
「いや、裕樹は死んだ」
「は?」
「俺はFF。フー・ファイターだ!」
「あー。狂った?」
 呆れる江美は無視して、俺は右手を持ち上げる。
 ぐにゃりと人差し指が変型する。鈍色のオートマチックの銃身のような形状に。エートロの指の変型ってこんな感じだったか? ジョジョは野良猫の時に図書館に忍び込んで読んだ。市立図書館はやたらと漫画の種類が豊富だ。
「へ?」
「FF弾!」
 ギュン。
 鈍色の弾丸が額に突き刺さる。かくんと頭を仰け反らせる江美。続けて放たれた蟲弾が、全身に命中した。着弾とともに身体が跳ねる。
 合計十七発の蟲弾を喰らい、廊下に倒れる江美。
 人差し指を元に戻す
 江美がむくりと起き上がった。虚ろな表情で俺を見つめる。身体にもパジャマにも傷はない。憑き蟲は溶け込むように体内に侵入していた。
「寄生成功。初めてにしては上々だな」
 両手を確かめるよう動かしつつ、江美は無感情に喋った。
 憑き蟲が一度に憑けるのは生物一体。だが、他の生物に一部を憑かせることも出来る。これは一種の反則技で、本気で生物二体を同時に支配することは出来ない。
 江美の記憶を読みながら、身体を寝室へ移動させる。
「最初から振るために付き合ってたのかよ……。妖怪の俺が言うのもなんだけど、人間ってのは恐ろしい生き物だな。いやぁ、くわばらくわばら」
 ぶつぶつ呻きながら、俺は腹ごしらえのために台所に向かった。

Top Next