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アール・グレイ 前編


 僕はお嬢様の執事である。
 厳密には違うのだが、執事のようなことをしている。
 お嬢様は師匠の娘だった。師匠と奥様が二年前に事故で急逝してから、僕がお嬢様の面倒を見ている。古びた屋敷に二人暮らし。僕も早くして両親を亡くしているので、お嬢様の気持ちはよく分かる。
 昔話はさておいて。
 僕はお盆を持ってお嬢様の部屋に向かっていた。
 お嬢様は十四歳の中学三年生。長い黒髪がきれいな、小柄な少女である。今日は日曜日。お嬢様も屋敷にいる。この時間は勉強をしているはずだった。まともに勉強している所は見たことないが。
 とんとん。
 ドアをノックする。
「お嬢様、入りますよ」
「勝手に入りなさい」
 返事が返ってきた。
 僕は片手でお盆を持ち、ドアを開けて部屋に入った。
 きれいに掃除された部屋。本棚にクローゼットに姿見、パソコン、液晶テレビと見回してから、ベッドのお嬢様を眺める。
「お嬢様、勉強はどうしましたか?」
 白いブラウスとスカートという格好でベッドに寝転がり、漫画本を眺めている。
 机の上には、参考書とノートと筆箱。勉強をしていた形跡はない。
「いちいち家で勉強しなくても、あたしは大丈夫よ。何もしなくたって、いつも百点満点取れるんだからさ。漫画読んでても平気々々」
 お嬢様は師匠の娘である。天才と呼ばれた師匠の血を引いていて、師匠ほどでないにしろ高い頭脳を持っていた。中学生レベルの問題など、遊びだろう。
 僕はお盆を机においてから、告げた。
「駄目ですよ。頭を使わないと、気づかないうちに劣化してしまうんですから」
「うるさいわねー」
 漫画本を横に放って、お嬢様は身体を起こした。背伸びをしてからベッドに座り、強い意志の映る瞳を僕に向けてくる。
「ねえ、お茶頂戴」
「はい。ただいま」
 僕は机の横の折畳テーブルを、お嬢様の前に広げた。ソーサーとカップを用意して、ポットの中身の紅茶を注ぐ。四分前に淹れて蒸らしておいたアールグレイ。
 ほのかな香りが部屋に広がる。
 お嬢様はカップを手に取り、鼻を近づけた。
 それから一口、紅茶を含む。
「駄目ね。やり直してきなさい」
「お嬢様、わがままがすぎますよ」
 僕は宥めるように両手を動かした。
 お嬢様は紅茶を置いて、
「いいじゃない。わたしの言うことは黙って聞きなさい」
「ふぅ。仕方ありません」
 僕はため息をついて、額を撫でた。
 はっとしたようにお嬢様が見つめてくる。
「お仕置きが、必要ですね」
「!」
 その台詞に、お嬢様は面白いように慌てだす。
「ちょ、ちょっと待ってね。うん。あたしが悪かったわ。ごめんなさい。ちゃんと謝るから……許してね。お仕置きはやめて……お願い、します……」
「駄目ですよ。わがままは許しません。返事は?」
 僕は諭すように話しかけた。
「はい……」
 お嬢様が頷く。まるで仔犬のように。
「では行きましょう」
 僕はそっと右手を差し出した。
 お嬢様がその手を掴んで立ち上がる。
「大丈夫、痛くはないですよ」
「…………」

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