Index Top 第2話 昨日とは違う今日

第4章 新しく始めること


 学校の教室のような広さの部屋。
 床や壁、天井は白く、正面には大型のディスプレイが設置してある。部屋の中央には机と椅子が置かれてあった。壁際には本棚が置かれ、ファイルが詰まっている。
 第三試験室と呼ばれる部屋だった。
「ふむふむ」
 痩せた男が、ファイルを眺めている。
 五十歳ほどのやや小柄な男だ。着ているものは背広と白衣という、よく見かけるものである。やつれたような顔と、薄くなった黒い頭髪。不健康そうな見た目である。しかし、瞳にはギラギラと輝く意思が灯っていた。いかにも怪しげな科学者という風体である。
 生命科学研究所薬学部門長ホージオ博士だった。
 ホージオはファイルを眺めながら、にやにやと笑っている。
「再現度九十七パーセント。特に問題無し。君の精神はミナヅキの身体にきれいに接続されている。思考にズレや歪みは起こっていないようだ。他人の身体だから、感覚がそっちに引っ張られるというのはあるかもしれんがね」
 と眺めてくる。
 椅子に座り、リクトはホージオの話を聞いていた。朝、部屋に連れて来られ、知能テストのような試験を受ける。昼食を挟んで四時間。さきほど終わった所だった。ミナヅキの身体に収められたリクトの精神がどれほど変わっているかの検査らしい。
 存在しないはずのリクトの過去の情報を、どのように入手したのかは分からない。
「おめでとうございます、リクトさん」
 ミナヅキが言ってくる。喋るのはミナヅキで、聞いているのはミナヅキの身体に居候しているリクトだ。自分で自分に話しかけるのは未だ慣れない。
 紺色の髪の毛を弄りながら、リクトは首を傾げる。
「素直に喜んでいいのかな?」
「素直に喜びなさい。君は非常に珍しい経験をしているのだ。他人の身体に――しかも妖魔の身体になれるなんて、滅多にあるものではないよ。しかも、『リクト』という自我と意識を、はっきりと残したままね」
 眼を細め、ホージオが手を上げる。
 人間の精神を他人に移植する、極めて高度な理術。生物はパソコンではないので、そう簡単に情報を移せるものではないはずだが、リクトはこうしてミナヅキと同じ身体を共有している。どのような原理なのか見当も付かない。
 しかし、明確な不安はある。
「俺、ずっとこのままなのでしょうか?」
「うーん。時期が来たら元に戻そうと思っている」
 ホージオはあっさりと応えた。借りていた小物を返すような気楽さで。
 瞬きをするリクトに、こともなげに言ってのける。
「元の身体に戻すことなど、今日にでもできるからね」
「えっ?」
 何が言いたいのか理解できず、リクトは椅子から立ち上がってホージオを見つめた。
「俺、死んだんじゃ――」
 大学で行われた実験を覗き見て、何らかの事故に巻き込まれ肉体が死亡。素性を調べてみたが、存在しない人間と判明し、精神をミナヅキの身体に移植した。おおむねそのような流れと聞いている。
 数歩歩き、ホージオはにまりと口元を曲げた。
「定義の問題だ。君の身体は生命活動は停止している。しかし、使用不能になったわけではないのだからね。あの状態を普通の医者に言わせれば、死亡と言うだろうが――」
「…………」
 目蓋を下ろし、リクトは口を閉じる。
 嫌な予感がする。
 ぱっと両腕を広げ、ホージオは口を開いた。何故か妙に楽しそうに。
「ま、ちょっと全身を五百個くらいにバラしただけだし、くっつけて蘇生処置をすれば普通に生命活動を再開する。何の問題もない。生きているのと死んでいるのとの、中間の状態というだけだからね。クァックァックァッ」
「えっと、何ですか……。あの、五百個くらいにバラしたって……。五百個ォ?」
 机に両手をつき、リクトは気の抜けた声を上げた。
 緑色の両目を見開き、ホージオを凝視する。ミナヅキになってから自分の身体の方には意識が回らなかったが、知らぬ間に微塵切りになっていたようだ。
「うん? ただの解剖だ。存在しない男、それがどういうものかと思って、手っ取り早く私たちで分解してみたよ。何か特別な箇所があると思ったけど、普通の身体だった」
 ホージオは残念そうにため息をついた。
 この世界に本来存在しないリクトという存在。ホージオは好奇心に任せて、バラバラにしたのだろう。結果、何も珍しいものが見つからず落胆している。
 背筋を伸ばし、ホージオは口を開いた。
「事が終わったら、君の身体を修復して、意識も身体に戻そう。一人で独立して暮らせるまでは手助けもしよう。面倒を見るのが約束だからね」
「…………」
 何と言うべきか、言葉は浮かんでこなかった。
 他人の身体に移植された精神。バラバラに分解された元の身体。おそらく記憶などもリクトの知らぬ間に根こそぎ解析されているのだろう。非人道的というレベルではない。
 しかし、事が終われば身体も元に戻し、生活の後見もするという。
 実験生物として使い捨てられないと考えれば幸運だろうか。
 とりあえず、思いついた事を言ってみる。
「解剖する意味あるんですかね?」
「あるさ。君は自分が考えている以上に特異な存在だ。分解して何も出てこなかったのはある意味想定内だけど。せっかくだし、見るかい?」
 きらりと瞳を輝かせ、ホージオが近づいてくる。
「十個に分割した生の脳など、そう見られるものではないよ?」
「遠慮しておきます……」
 二歩後ずさり、リクトは首を左右に動かした。
 生身の内臓や骨や血管、神経。そのようなグロテスクなものは苦手だった。ましてやそれが自分の元の身体だというのだ。気味悪さも倍増である。
「見たくなったら行ってくれたまえ」
 数歩下がり、素っ気なく付け足す。
 そして、ホージオは一度頷いた。何かを思い出したらしい。
 リクトに向き直り、口を開く。
「一応言っておくと、分解した元の身体が完全に死亡した場合、君の精神も死ぬ。それは覚えておいてくれたまえ。君はミナヅキの身体を使っているが、あくまでも本体は君自身の元の身体だからね」
「それって、俺の生死選択権はそっちが握っているということですか……」
 硬い声音で、確認するように問いかける。
 背筋を撫でる寒気。今リクトはこうしてミナヅキの身体に収まっているが、誰かがリクトの元の身体を殺せば、リクトは死んでしまう。リクトの生殺与奪は生命科学研究所側が持っているということだ。
「そういうこと。ただ、我々には特に要求事項は無いけどね」
 壁に掛けられた時計を見上げ、ホージオは苦笑いをしていた。
 オルワージュもホージオも、リクトの事に強い興味を示している。しかし、リクトを含めた何かへの興味であり、リクト本人への興味はかなり薄いようだった。
「俺って一体何なんですか?」
 訊いてみる。
 突如この世界に現れた人間。もしくは、過去を全て消された人間。どちらも非現実できであり、しかしそうとしか考えられない状況でもある。
 ホージオは右手で口元を隠し、肩を震わせた。
「クククッ、実にいい質問だ。そうだな。君は並列異世界よりこの世界に打ち込まれた楔だ。主目的は観測行為……かな? しかし、詳しい事は秘密。うちの大将は、首謀者に目星付けているようだけどねぇ――」
 リクトは息を呑んだ。何を言っているのかは半分も理解できないが、とてつもない事が起こっているという現実は理解できる。
「その辺の事を詳しく知りたかったら、もっと勉強して……あと、ついでに人間辞めたまえ。術を覚えてもいいし、身体を改造してもいい。世界の秘密を知りたかったら、常人のままじゃ身が持たんよ?」
 お茶でも勧めるような軽さで、ホージオが無茶な要求をしてくる。
「遠慮しておきます」
「それは残念」
 両目を閉じ、ぺちと額を手で叩く。
(世界の秘密――か)
 常人には想像もつかないような世界が、すぐ近くにあるようだった。
 もっとも、この世界は実際秘密が多い。
 移民惑星ファンタジア。今リクトたちが暮らしている星である。今から何百年か前、推定西暦3200年、人間の一部が何らかの理由で地球を離れ、宇宙を旅して降り立った砂の惑星。大規模な星の環境改造を行い、そして何故かおよそ千年分の技術と知識を封じ、理術発動の因子を遺伝子に刻み込み、人間は新天地にて新たな生活を開始した。何故祖先が地球を離れることになったのか、この星で生活を始める際におよそ千年分の時間を巻き戻したのか。人間の操る理術とは何を目的として作られた力なのか。
 そこには多くの世界の秘密が眠っている。
 考え出すときりがないし、答えも出ないので、一度思考は停止させる。
 ホージオがカレンダーを見やる。今日の日付は5月20日。
「君の身体を返せるのは、しばらく後になるだろうね。最短でも数ヶ月、長ければ数年。せっかくだし、ミナヅキの身体を存分に堪能してくれたまえ」
 どこからとなく取り出した小瓶を、リクトの目の前に差し出す。乾電池ほどの大きさで、黒い蓋のされたガラス瓶。中にはピンク色の液体が詰まっている。
「何です、これ?」
「媚薬」
 リクトの問いに、ホージオは真顔で即答した。
「…………」
 無言で一歩後退るリクト。
 ぎらりと眼を狂気に灯し、ホージオは口元をつり上げた。どうやらおかしなスイッチが入ってしまったらしい。肩を両腕を大きく広げ、哄笑とともに咆える。
「クアックアックァ! 何を引いているのだね、若人よ! 健全な男子が可愛い女の身体を手に入れたのなら、やることはひとつだろう! 違うかね、違うかネ、リクトくん? いや、既にやっているんだろう、うん? 私の直感がそう告げている!」
 びしっと目の前に指を突き付けてくる。黒い瞳をぎらぎらと輝かせながら。
 リクトが何も言えずにいるうちに、ホージオはさらに叫んだ。
「処分に困っていた副産物だが、せっかくだから君らに上げよう。私からのプレゼントだ。使い道なんぞ決まってるが、好きに使いたまえ! 十個くらいあるから、あとで郵送してあげよう! ただし、使いすぎには気をつけるんだぞ!」
 ぐっと両腕を組み、大きく鼻息を吹き出す。さきほどまの不気味な科学者の姿は消え、はっちゃけたエロオヤジがそこにいた。
「そんなもの勧めないで下さい!」
 泣きたい気分でリクトは言い返すが。
「はい。頂いておきます」
 ミナヅキが右手を差し出した。ホージオは持っていた媚薬の瓶をミナヅキの手に乗せる。
 ミナヅキは腕を引っ込め、手を握り、開く。既にそこに小瓶は無くなっていた。身体の中にしまい込んでしまったのである。反液体の身体。その気になれば、小物は体内に直接収納できる。
「ミナヅキもあっさり貰うな!」
「せっかくですので、貰っておきましょう」
 怒るリクトに、ミナヅキは楽しそうに答えた。改めて、ミナヅキがむっつりスケベな性格であると実感する。取り出すのは無理だろう。
 そして、リクトも媚薬には興味があった。
「あと、リクトくん」
「何ですか?」
 ホージオの呼びかけに、リクトは答える。
 ホージオはミナヅキの身体を指差しながら、
「君もミナヅキの鋼液の術、少し使えるようになりなさい。覚えておくと便利だよ」
「はい?」

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ホージオ
生命科学研究所薬学部門長。リクトを観察している者の一人。
痩せた身体でやや猫背、髪も薄くなっている。しかし眼には狂気的な眼光が灯っている。絵に描いたような怪しい科学者。主に新型薬品を作ることを中心に仕事をしている。役職とは別に所長オルワージュの側近のような立ち位置でもある。
時折狂気のスイッチが入ったり、エロオヤジに変身したりして暴走する。

15/1/11