Index Top 第9話 橙の取材

第1章 予定していないお届け物


 住宅地の中にあるちょっとした森。
 その草地に身を隠し、手帳を片手に双眼鏡を覗く。
「六日目、現地時間午前九時。変化無し。部屋の掃除などをして過ごす」
 声に出さずに呟き、手帳に書き込んだ。
 中里千景という名の人間が住んでいる住宅。自然界のこの国では若者が親元を離れて暮らすのは普通のことのようだった。
「ふむ――」
 こちらに来てから六日目。ピアたちが住んでいる場所を調べ見つからない場所に見当を付け、じっと様子を伺う。幻影界の生物が自然界で活動するのが身体への大きな負担になることは経験上知っていた。
 ただ静かに動かず、観察する。
「思っていたよりも平穏に暮らしているようですね……」
 正直な感想が漏れた。
 残念と考えるのはさすがに不謹慎だが、それでも紛れもない本音である。
「こんな所で、何をしてる?」
「!」
 不意に声をかけられ、息を止めた。
 慌てて周囲に視線を向け、
「いや、正面、正面」
 どこか投げやりに放たれた言葉に引かれ、正面に目を向ける。
「……いつの間に」
 人間の男が立っていた。
 森の中に似つかわしくない背広姿の男である。人間の年齢はよく分からないが、若くはないだろう。そこにいるはずなのにひどく現実味の薄い――有り体に言って影が薄い。
 男は小さくため息をつき、苦笑を浮かべた。
「影が薄いとはよく言われるけど、真正面に立ってるのに気付かれないっていうのは、少し悲しいものがあるよ。仕方ないんだけどね」
 右手を持ち上げる。
「樹術・樹縛――」


 時計の短針が四時を示している。
「で――」
 頭を掻きつつ、千景は口を開いた。
 とりあえず全員が台所に集まっている。羽を広げて中に浮き呆れたような困ったような顔のピアとネイ、椅子に座って苦笑いをしているミゥと無表情のノア、窓辺に浮かんだままジト眼で呆れているシゥ。
 その視線はテーブルの上に置かれた少女に向けられていた。
「何だコレ?」
 訊く。
 フィフニル族だろう。身長六十センチくらいの小さな身体。
 髪は橙色で、肩下辺りまで伸ばしている。見た目の年齢は十代後半くらいだが、精霊の常として外見と実年齢はあまり関係しない。服装は左右白黒に別れたコートのような服だった。フィフニル族は髪の毛や瞳と同じ天然色の服を着るという風習があるらしいが、この少女は少し違うようだ。もっとも、裾から見えるズボンは橙色である。
 目元に薄い恐怖を浮かべつつも怒りの感情を灯し、千景たちを睨み付けている。
 両腕は背中で木枷で拘束され、両足も木枷で拘束されていた。月雲の樹術による拘束である。木製に見えて強度は鋼鉄よりも高い。口には蔦植物型の猿轡も噛まされていた。さらに妖精炎封じの術で縛られている。千景が作るものよりも本気の拘束だった。
 ジト眼で少女を眺めながらシゥが口を開く。
「オレたちの知合いというか、知合いって言うほど知合いでもねぇけど……ま、そんなヤツだ。名前はニニル。ああ、先に言っておくが、ニルルじゃないからな」
「おう」
 頷く千景。
「それはかえって間違える気がしますけど」
 ネイが小さく呟いている。
 ピアが眼鏡を動かしニニルを見つめていた。
「これからどうしましょう? 拘束したまま放置というわけにもいきませんし。何かしら処置は必要です。とはいえ、わたしたちの持っている権限もほとんどありませんし、できることは限られますけど」
 考え込むように口元に手を添える。
 近くの丘で千景のアパートを監視している所を協会の退魔師に発見され、捕獲され、ここに連れて来られた。フィフニル族の事はフィフニル族で片付けろということだろう。
 滑るように近付いてくるシゥ。背中から展開された羽が青い燐光を帯びている。
「一応向こうの規則じゃ、許可無くこっちに来るのは禁止だ。ヅィから連絡無いってことは許可無しで来たってことだろ? 何のために来た? よりによって、お前が?」
 目蓋を少し下ろし、ニニルを睨み付ける。
「事によっては、少し痛い目も見てもらうが」
「……」
 ニニルが喉を動かすのが見えた。
 橙色の瞳に映る恐怖の色。シゥは軍人である。尋問や拷問を躊躇することもないだろう。これから自分が何をされるのか。ニニルはその事実に怯えている。
 それでも、睨み返すほどの気合いは残っているようだ。
「はい」
 ミゥが挙手する。妙に明るい声で。
「えーっとですね、ちょうど元気そうなフィフニル族探してたんですよー」
 全員の視線が集まるのを確認してから、続けた。頬を少し赤く染め、
「ボクたちってもう自然界の環境に慣れちゃったせいで、投薬実験しても正確なデータが取れないんですよ。だから、こちらに来て時間の経っていないフィフニル族がいると凄く助かりますー。人体実験的な意味で」
「……」
 冷や汗を流すニニル。逃げるように身体を動かす。シゥを見る時以上に怯えの色が移っていた。もしかしたら過去に何かあったのかもしれない。
 ミゥはいつも通りにっこりと笑っているが、目は本気だった。
「二人とも物騒な事言わないで下さい」
 ピアが口を挟んでくる。あまり過激な事はしなくないのだろう。
 ニニルは助けを求めるようにピアに視線を向けていた。
 ニニルを眺めながら、千景はぼそりと口を開く。
「そういや、うちの研究屋がフィフニル族解剖したいって言ってたな。珍しいもの見ると何でもかんでもすぐバラバラにしたくなる分解フェチなんだが……」
「ご主人様も――!」
 非難するように声を上げるピア。
 沼護本家の研究者の女である。本業は退魔師兼医者であるが、一族の内外ともにマッドサイエンティストとしても有名だった。珍しいものを見ると何でもかんでもばらばらにしたがる分解フェチ。フィフニル族をばらしたいと騒いでいた事を思い出す。
「自分にいい考えがあります」
 静かにノアが声を上げた。
 ニニルの視線がノアに向けられる。期待と恐怖の入混じった眼差し。
「ここは中を取って」
「中を取って?」
 ピアが訊く。心持ち引きつった声で。
 ノアが右手の人差し指を立てた。
「拷問して投薬実験して解剖、と」
「うぅ」
 ピアが肩を落とす。
 ニニルは身体を硬直させて脂汗を流していた。ノアの黒い瞳を凝視し、微かに震えている。シゥ、ミゥ、千景の言った事を全部実行されるかもしれないという恐怖。
「あの、みなさん、冗談で言ってるん……ですよ、ね?」
「ん?」
 おずおずと言ってくるネイに目を向けてから。
「ま、半分くらい」
 千景は答えた。
 何も返せぬまま、ネイが瞬きをする。何かを掴むように指を動かしてから、何もせずに手を下ろした。答えを聞いて、かえって不安になっているらしい。
 その様子にニニルがどこか同情するような視線を向ける。
(ネイは知合いらしいな)
 二人の反応に、千景はそう見当を付けた。どのような関係かは分からないが、ネイとニニルはそれなりに親密な付き合いがあるようだった。
 ちらりとネイに青い瞳を向けてから、シゥが小さく吐息する。
 ニニルの口に嵌められた蔦の猿轡を指差し、
「おい、千景。まずはコレ外してくれないか? こいつの口が動かないことには始まらないからな。解き方は知ってるんだろ? オレがやったらぶっ壊しちまうし。どうにも人間の使う術ってのは読みにくいんだよな……」
 額を押さえて目を閉じる。
 人間の使う術とフィフニル族の使う妖精炎魔法は、根本的な形式が違う。そのためお互いその構造が全く読めないのだ。最近はいくらか慣れたが、それでも大体の形しかわからない。シゥが人間の術に干渉する場合、解くという過程を飛ばして破壊になってしまう。千景が妖精炎魔法に触れる時も同様だった。
「そうだな」
 千景はニニルの顔に巻き付けられた蔦に触れた。拘束は硬いが、術式自体は単純である。結び目を解くように、霊力を術式に流し込んだ。
「解」
 蔦が崩れ空に消える。
「ふぅ」
 ニニルが息を吐いた。
 口が動く事を確認してから、眉を傾け、シゥを睨み付ける。橙色の瞳に恐怖の色は映っているが、それ以上に怒りが勝っているようだった。
「まったく! 相変わらずあなたたちは、本当にいい性格してますわね! 人を何だと思っているのですか! あとそっちの人間も!」
 と、千景に怒りの視線を投げつけてくる。
「お褒めにあずかり光栄だ」
 にやりと笑う千景。
 その態度にニニルは歯を食い縛った。怒りに油を注いだらしい。
「さてと」
 淡々と呟き、シゥがニニルの頭を掴む。そのまま千景に向けていた顔を、力任せに自分へと向けさせた。ニニルが顔を強張らせるのがはっきりと分かった。シゥの顔から感情が消えている。尋問に余計な感情は必要ない。刺すようにニニルを見据えていた。
「喋れるようになったところで、さっそく質問だ。素直に答えてくれると、オレたちも貴重な時間を消費しなくて済むし、お前も面倒臭いことにならなくて済む。それがお互いのためだと思うんだが――」
「………」
 ニニルが唇を震わせる。さすがに剥き出しの殺気を直接向けられ、平気でいられるほどの胆力はないらしい。
 構わずシゥは続けた。
「何しにここに来た? ニニル・ニーゼスタス・ラーザイル」

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樹術・樹縛
月雲一族の樹術。樹や蔦植物状の枷によって相手を拘束する。材質は木材のように見えるが非常に高い高度を持つ。

13/6/13