Index Top 第8話 赤の来訪

第5章 翌日


 目を開け、千景は身体を起こす。子供の頃からすぐに起きられるように訓練を積んでいるため、寝起きはかなりいい。多少眠気は残っているが。
 窓から差し込む朝の白い光。普段起きるのは午前七時だった。夏至が近いこの時期だと、既にかなり強い日差しが差し込んでいる。
「………」
 無言で千景は視線を動かした。
 千景が使っている机。その椅子に小さな椅子を乗せ、ネイが本を読んでいた。部屋は明るいのに、スタンドライトが点いている。
 床に敷かれた小さな布団。そちらは使った様子がない。
「ネイ……」
「はい。何でしょう?」
 声を掛けられ、ネイが振り向いてきた。やや目蓋が落ちている。だが、赤い瞳には爛々とした輝きが映っていた。一線を越えた興奮の輝き。
 千景は無言で指を窓に向ける。
 そちらに目を向け、動きを止めるネイ。
「あれ……? 朝……?」
 気の抜けた声で呟いてから、一度眼鏡を取って手で目を擦り、眼鏡を掛ける。明るい外の景色を眺めて何度か瞬きをしていた。目の前にあるものが信じられないらしい。
「徹夜で読んでたのか、本」
 額を押さえ、訊く。
 視線を泳がせつつ、ネイは小声で言い訳を口にした。
「そ、そうですね。面白かったのでつい夢中になってしまって」
 乾いた苦笑を浮かべている。全く別の文化の本は興味深いのだろう。ただ、今熱心に読み込んでいたのは眼鏡の専門書のようだった。
 ぱっと明るい笑顔を浮かべるネイ。
「あ。でも大丈夫ですよ。徹夜は慣れていますので」
 少し前まで滅亡の危機に瀕していた妖精郷。その時は徹夜どころではない修羅場をくぐってきたのだろう。その経験から徹夜程度は大したことないと考えているようだった。
 一度背筋を伸ばし、千景は起き上がった。ベッドから足を下ろし、
「一応言っておくとだな。こっちの生き物じゃないお前らが、向こうの感覚で動こうとするとガタが来るぞ。ちょっとこっちに飛んできてみろ」
「はい?」
 瞬きしながらも、言われた通りに椅子から立ち上がった。
 背中から赤い羽を作り出し、宙に浮かぶ。そのまま千景の方に飛んできた。普段ならば何の問題もなく、移動できただろう。
 しかし、不意にネイの身体が傾いた。
「あ……れ?」
 驚いたように、ネイが声を漏らす。ふらふらと蹌踉めきながら落ちていく。体勢を立て直そうとしているようだが、言う事を聞かないようだった。
 千景はベッドから起き上がり、落ちかけたネイを両手で抱える。小さな身体と、生き物とは微妙に違う儚さ。背中から展開されていた羽が消える。
「ピアたちの話じゃ慣れるまで体感的に体力が半分くらいに落ちるらしい。でもって、飲食で体力回復っていうのも無理だから、一度消耗したら回復するのも遅い」
 説明する。
 精霊類は人界では飲食をすることができず、自然エネルギーの吸収という形で活動エネルギーを補充している。生物に喩えるなら、常に一定量の食事しかしていないようなものだ。また、身体が慣れるまでに、体調の調整にエネルギーを消耗する。結果、こちらに来てしばらくは、幻界にいる時の半分くらいの体力になってしまう。
 千景に抱えられたまま、ネイが小さく眉を寄せた。
「そうなんですか? それは気をつけないといけませんね」
「あと」
 千景はネイの背中に手を当てた。普段羽を出している部分。そこが中と外との接続部らしい。そこに霊力を流し込む。
「えっ?」
 ネイが驚きの声を漏らした。身体の変化が信じられないようである。
「聞いてるとは思うけど、俺の霊力で妖精炎の回復ができる。他の人間のじゃ無理みたいだけど、俺は例外的に波長が合うようだ。霊力を食べてるようなものらしい」
 手を動かしながら、千景は説明した。霊力の妖精炎への変換。普通の術師の霊力では無理だが、千景はそれができる。相性というか、体質のようなものらしい。それが千景がピアたちを預かっている理由でもある。
「でも、それでは千景さんに負担にならないでしょうか?」
 千景の腕から抜け出すネイ。六枚の羽を広げて空中に留まる。さきほどのような不安定さはもう無い。眉を傾け、千景を見つめている。
 ネイの妖精炎を回復させるのに、千景の霊力を大量に消費すると考えたのだろう。
「それは心配しなくていい。お前らを全回復させるのに必要な霊力って実のところかなり少ないし。元々幻界の生き物の総容量って人間基準だと桁違いに少ないんだ」
「そう、なんですか?」
 意外そうな顔を見せる。
 幻界の生物は薄いのだ。かなりの妖精炎総量を持つだろうピアやシゥでも、人間基準では駆け出し術師の総量にも届かない。千景が少量の霊力を渡すだけで妖精炎が全回復するのもそのためだ。
 もっとも、量が少ないからと言って力が弱いわけではない。
 千景は続ける。
「だけど逆に干渉力が桁違いに大きいから、人間の感覚じゃほんの少しの力でも、無茶苦茶な大きさの現象を起こせる。――燃費がいいとかそういう領域じゃないけど……そのあたりは幻界生物の特性なんだろうな」
 幻界生物が持つ薄さと、同時に持つ現実からの距離。それは非常に大きな干渉力となって現われる。人間の数十倍。人間が大量の霊力を組み込んで起こせる現象を、僅かな妖精炎の消耗で実現できる。総量は少ないのに、千景と同等の力を作り出せるのはそのような仕掛けだった。非現実な現象を起こす、根本の仕組みが違うとも言えるだろう。
「はぁ……」
 曖昧にネイが頷いている。
 このような術論理にはあまり興味が無いらしい。
 千景は話を戻した。床に敷かれた布団に指を向け、
「妖精炎で体力の補充はできるけど、あくまで気休めだ。ちゃんと寝ろ」
「はい。すみません」


『千景さん、千景さんっ!』
 携帯電話の向こうから、ミゥの興奮した声が聞こえてきた。
 大学の昼休み時間。人気のない場所で、千景はピアたちに連絡を取っていた。近状報告と情報交換が主な目的である。のだが、何故か興奮したミゥの声。
「どした?」
 千景の問いに、ミゥが元気に言ってきた。
『あのですね、あのですね! ここにある検査機械、いくつか欲しいのですけど、何とかならないでしょうかー? 実家なり協会なりに掛け合ってもらえません? これがあれば色々できそうなんですよー!』
「無茶言うな……」
 薄々予想はしていたが、ミゥは病院に置いてある検査機器に興味を持ったらしい。ノアも同じく興味を示しているだろう。だが、医療機器は非常に高価であり、容易に持ち出せるものでもない。そもそも人界の物質を幻界に持って行けるかも怪しい。
 千景の反応は予想していたようで、ミゥが妥協案を口にする。
『では、せめて設計図とかでも……』
「それも無理。諦めろ」
『むー』
 千景の答えに、不満そうな声を上げた。
 設計や構造などは企業のものであり、簡単に持ち出せるわけではない。製品を持ち出すよりも難しいかもしれない。ミゥもそれを分かっているのか、それ以上は言ってこなかった。駄目で元々の考えだったのだろう。
『ご主人様。すみません……』
 ピアの声が聞こえた。
「いや、いい。気にするな」
 苦笑いとともに、千景は告げる。ミゥが好奇心のままに行動するのは今に始まったことではないし、自制させるのも無理だろう。
『ネイは、どうしています?』
「徹夜で本読んでたから、寝かせたよ。一応俺の霊力で妖精炎の回復はさせておいた。他には特に問題はないかな。あ、あと歌聞かせてもらった」
『ネイの歌ですか。あれは本当に素敵です』
 静かに、ピアが呟いた。
 千景もネイの歌を思い出す。心に染み込むような歌声。言葉は分からずとも、その力は感じられる。ネイ自身、歌には強い誇りと自信を持っていた。
 息を吐き出し、千景は訊く。
「それと、ネイから幻燐記憶ってのを聞いたんだが。口付けを介した情報の受け渡しで、日本語の知識をヅィから受け取ったって言ってたな。ピアたちも使ってるのか? 初めて聞いたんだけど」
『時々、ですけど』
 曖昧に頷いてから、数秒の沈黙。
 ピアの驚いたような声が耳に届いた。
『あれ……言ってませんでした?』
「うん」
 素直に頷く。
 隠していたわけではなく、本当に説明し忘れていたのだろう。千景も幻燐記憶を使う所を見ていなかったので、疑問に思う事もなかった。もしかしたら千景が忘れていただけかもしれないが。
『口付けによって、情報を相手に渡す妖精炎魔法です。あくまで伝言用ですけど……。言語体系を丸ごと伝えるとなると膨大な妖精炎を消費しますし、ヅィほどの使い手なら可能ですが……』
 考え込むように、言葉が途切れる。
『ヅィは何を考えているのでしょう?』
「そうだなぁ」
 ピアの疑問に、千景は視線を上げる。
 青い空を背景に立ち上る雄大積雲。空へと立ち上がる白い雲。そのまま成長すれば積乱雲となって雨を降らせるが、今日は一日中晴れらしい。
 ヅィが何を考えているのか。
「それはそのうち分かるだろ」
 千景は適当に答えた。

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13/1/31