Index Top 第9話 短編・凉子と浩介

第5章 リミッター解除!


 河原を吹き抜ける冷たい風。
「どうしてこうなってる?」
 流れる黄色い髪の毛を手で押さえながら、浩介は空を見上げた。青く澄み渡った快晴の空。雲ひとつ浮かんでいない。
 少し離れた所に、凉子とリリルが立っている。
 凉子が両手で構えているビデオカメラ。
「頑張って、浩介くん!」
「まー、あれだ、コースケ。死ぬなよ。いや、死んでもアタシは全然困らないけど。というか、せっかくだから一回死んでこい。多分貴重な体験になるぞ、がんばれ」
 やる気なく手を動かしながら、リリルが無責任に声をかけてくる。
「他人事だと思って……」
 歯を軋らせながら、浩介は尻尾を下げた。何故こんなことになっているのかは、自分でもよくわからなかった。凉子に話したのがマズかったのかもしれない。
 正面に目を戻す。
「僕の準備はできてる。いつでも来い」
 短めの黒髪に青い長袖の上着と黒いデニムのズボン。どことなく田舎者っぽく、地味な印象の男。瞳に映る淡泊な感情。防具はなく、武器も持っていない。
 日暈慎一。守護十家斬天の日暈、その宗家の次男。
 浩介のリミッター解除と手合わせしたいと言ってきた。最初は拒否したのだが、色々あってこうして対峙することとなっている。普段連れている妖精のカルミアは、結奈に預けているらしい。理由は簡単に想像が付いた。
 浩介は大きく息を吸ってから、
「ええい、ままよ」
 両手を打ち合わせた。小さな術式を作り、身体に流し込む。何かの現象を起こす術式ではなく、ただ鍵となる非常に単純な術式。
「猛狐展開!」
 そこで意識が切れた。


「…………」
 ソファに座り、浩介はテレビを眺めていた。凉子が撮影したビデオ。
 隣に、凉子とリリルが座っている。
「ぉぉぉ――!」
 画面の向こうでは、浩介自身が牙を剥いて慎一を睨み付けていた。普段の自分の姿からは想像も付かないような、獣のような気迫である。全身から立ち上る法力の輝き。普段の浩介の作れる法力の十数倍はあるだろう。
 浩介が拳を握り締め、慎一に殴りかかった。
 がっ。
 突き出された拳を顔面に受け、慎一が吹っ飛ぶ。浩介の動きは凄まじく速い。瞬身の術を使っているようだった。それでも、慎一の反射速度なら避けることも防ぐ事もできただろう。それをしなかった。
「わざと受けたね」
「様子見か」
 隣に座っている凉子とリリルがそう頷いている。リミッター解除状態の力を見るために、わざと受け止めたたらしい。一応鉄硬の術の防御はしているようだった。
 すぐさまその場に立ち上がる慎一。出血はない。
「ぐぅぅぅ!」
 獣のような唸り声とともに、浩介が追撃する。
 慎一の身体を白い輝きが包んだ。霊力と気を練り合わせ、高い爆発力を生み出す、日暈の血継術・合成術。その剣気の輝き。前に踏み出し、一瞬で浩介の懐に飛び込む。
 ガゴッ。
 慎一の右拳が、浩介の顎を打ち上げた。腕が消えたかと思うほどの速度で振り上げられた拳。浩介の頭が跳ね上がり、堅いものの割れる異音が響く。
「え?」
 狐耳を伏せ、浩介は画面の向こうの自分を見つめた。背筋を駆け抜ける悪寒。
 仰け反った浩介の胸に、慎一が左掌底を叩き込む。
 バキキッ。
 続けて響く何かの割れる音。
 慎一は軽く身を沈めて、その場で一回転。後回し蹴りが、浩介の腰に叩き込まれる。白い剣気を輝きを帯びた一撃。おそらく破鉄の術と瞬身の術を乗せているだろう。
 ゴギ。
 響く鈍い音。
 駄目押しとばかりに顔面を掴み、後頭部から地面に叩き付ける。
 派手に痙攣する浩介の身体。
「待て、待て……」
 全身に冷や汗を流しながら、浩介はリモコンの停止ボタンを押した。震える指で画面を指差しながら、凉子とリリルに目を向ける。声が掠れていた。
「おい待て、これ――! 今、何か聞こえちゃいけないよーな音が立て続けに聞こえた気がするんだけど。ちょっと大丈夫か、俺?」
 狼狽える浩介に、凉子があっさりと答えた。
「顎叩き割って肋骨折って骨盤砕いたって言ってたよ」
「うおぉぃ!」
 手をわななかせながら、思わず叫び返す。目元に涙が滲んでいるのが自分でも分かった。人間ならば全治数ヶ月の重傷である。こうなってしまっては動けない。
 リリルが再生ボタンを押す。
「がああっ!」
 画面の向こうの浩介は元気に立ち上がった。
 さらに、何事も無かったかのように慎一に殴りかかっている。
「何で立つんだよ、俺! 何で立てるんだよ! しかも元気に殴りかかってるんだよ!」
 意味がないのは理解しているが、叫ばずにはいられない。動けるはずのない重傷だというのに、それを無視して動いている。勢いよく拳を突き出し、脚を振り上げていた。
 だが、慎一はそれを捌き、拳を爪先を的確に叩き込んでいく。白い剣気が弾け、人体を殴ったとは思えないような音が響いていた。
「ああっ! なんか折れちゃいけないとこが折れてるぅぅぅ!」
 前腕が太股が折れ、みぞおちに顔面に喉に、拳が足が容赦なく叩き込まれている。手合わせという生易しいものではない。慎一は本気で壊す攻撃を打ち込んでいた。
「落ち着いて浩介くん……」
 凉子が浩介の肩を掴む。
 浩介はテレビを指差し、叫ぶ。
「てか、何で動けるんだよ!」
 あちこち身体がへし折られ、急所に豪打を叩き込まれているのだ。普通ならとっくに行動不能に陥っている。それなのに画面の向こうの浩介は平然と動いていた。
 腕組みしながら、リリルが説明してくる。尻尾を揺らし、
「色々致命打喰らってるけど、コレ全部一瞬で治してんだよ。普通なら殴られる前に防御するのに、それやってないんだ。身体壊されてもすぐに修復できるから、防御自体まともに考えてない……。ホントにソーマの婆さんだな。アレほど無節操じゃないけどよ」
「………」
 唾を飲み込む。
 錬身の術。草眞の十八番らしい。全身の体組織を自在に操る術。草眞はそれを限界まで極め、実質的な不死を手に入れている。浩介もそこまでではないが、かなり高度なレベルで錬身の術を使っているようだった。
「……この俺って具体的にどれくらい強いんだ?」
 テレビを指差し、こわごわと訊く。狐耳を伏せ、尻尾を垂らし。
 凉子は視線を持ち上げ、静かに答えた。
「確実に私よりも強いよ。力も速度も反射も。それに、回復速度が規格外。超高速のオートリジェネだもん。攻撃がまともに効かないっていうのは面倒だよね」
「そうだな。アタシが魔石使えばなんとか倒せるくらいかな?」
 腕組みしながら、リリルが呟く。
 魔石の魔力補給で大人化したリリルは、結奈よりいくらか弱いレベルだ。それでも苦戦するような口振りだ。そう考えると、リミッター解除状態の浩介はかなり強いのだろう。緊急事態にしか使うなと言われた意味も理解できる。
「慎一さんの話だと、蟲無しの結奈と殴り合ってぎりぎり勝てるくらいだって」
 凉子が楽しそうに付け足す。一応凄いらしい。
 ザンッ!
 慎一の手刀が、浩介の右腕を根元から切断した。
「腕ぇええぇ!」
 悲鳴を上げる浩介。慌てて自分の右手を掴む。ちゃんとそこに腕はあった。だが、テレビの向こうの自分は腕を斬り落とされている。
「……え?」
 だが、驚きが止まる。尻尾が垂れた。
「ぉぉおおぉぉぉぁぁあぁぁ!」
 ギギギ……ガキッ!
 蠢くような異音とともに。切断された腕が再生した。肉と骨が蠢き、瞬く間に指先まで作り上げる。普通の腕よりも、五割ほど長い腕。指先から伸びた鈎爪。肘から後ろに伸びた一メートルほどの白い棒。骨だろう。
 切られた腕は、その場で塵ように崩れ始めていた。
「これは、草眞さんの必殺技。骨の爆杭! パイルバンカー!」
 テレビの向こうで凉子が声を弾ませている。
 浩介が左手を突き出した。その腕が勢いよく伸びる。錬身の術の効果なのだろう。今までを上回る速度で、慎一の喉を鷲掴みにしていた。その時には既に浩介は慎一に接近していた。速度がさらに一段増してる。
 浩介が慎一目掛け、右手を突き出した。法力の爆発によって骨の杭を射出する。
 ――寸前に、慎一が左手で浩介の腕を払っていた。
 ボッ!
 慎一の背後で爆発が起こる。撃ち出された杭が、地面を抉り飛ばした。大砲のように飛ぶ、長さ百五十センチほどはある白い骨。爆散する土砂。それは比喩抜きで砲撃のような破壊力だった。慎一が受けずに攻撃を弾くほどに。 
 そして。
 無言のまま慎一が一歩前に出た。踏み込みから身体の回転、流れるような全身の連携から拳が突き出される。白い剣気を纏った正拳が、浩介の顔面を直撃した。
「あ……」
 浩介の喉から声が漏れる。
 画面の向こうの浩介が、数歩後ろに下がり仰向けに倒れた。今まではすぐに起き上がって反撃していたのだが、今回はぴくりとも動かない。
「死んだ?」
 思わず呟いた浩介に、凉子が苦笑いとともに言ってくる。
「生きてるでしょ」
「お前の場合、ソーマの婆さんと違って、脳はちゃんと脳として働いてるみたいだから、そこ叩かれるとさすがに弱いみたいだな」
 マイペースにリリルが解説していた。

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猛狐展開
樫切浩介という枠を外し、草眞の分身体として動くようになる術。非常に単純な術式を、鍵のように自身に組み込むことで発動する。リミッター解除。
膂力、俊敏性、反射速度、耐久力が爆発的に増加し、高いレベルで錬身の術を扱えるようになる。攻撃の基本は術強化による打撃。またほとんどのダメージを即座に再生するため、攻撃がまともに通じなくなる。誰かと対峙した場合、相手を行動不能にするか、自分が意識喪失するまで止まらないので緊急時以外には使うなと言われている。

骨の爆杭
前腕の骨を巨大な杭に変化させ、法力の爆発によって相手に撃ち込む術。骨のパイルバンカーを形容される。浩介が扱うものは草眞のものよりも威力は劣るが、それでも非常に高い破壊力を持つ。
12/12/6