Index Top 第8話 落ち葉の季節

第4章 リリルに連れられて


 カタイ衣服店と、表の看板には書かれていた。
 店内に漂う衣類用防虫剤の香り。店内の棚やに並んだ色々な服。半分以上は和服基調のものであるが、洋服基調の服もそれなりに置いてあった。学校の制服なども置いてあるらしい。
「きみが浩介くんね。リリルちゃんから話は聞いているよ」
 そう笑ったのは、狗神の男だった。
 白いシャツと黒いスラックス姿。見た目の年齢は三十代半ばだろう。灰色の髪を肩辺りまで伸ばして、眼鏡を掛けている。頭の上には犬耳があり、尻尾が左右に動いていた。背は浩介よりも少し低い。
 店主の片井直弘だ。
「狐神になった人間か……」
 眼鏡越しにじっと浩介の姿を眺めている。
 白を基調とした清潔感のある店内。店の半分は服が売られていて、残り半分は布や裁縫道具が売られている。和服と洋服の割合は半々だろう。アクセサリ類も売っているようだ。衣装の注文も受け付けているらしい。
「君の噂は色々聞いているよ。それなりに有名人だからね」
「それはどうも」
 頭を撫でながら、浩介は曖昧な笑みを返した。
 一度死んで草眞の分身を与えられて生き返った人間。それなりに有名なようである。一度死んで生き返った人間としても、狐神族第三位の分身を手に入れた者としても。有名だからといって、目に見えて変わる事があったわけでもない。
「しかし、思っていた以上に美人だ。ちょっとびっくりしたよ」
 顎に手を当て、直弘は頷く。
「ありがとうございます」
 浩介はとりあえず礼を言った。
 自分の容姿について考えることは少ないが、浩介は美人の部類に入るようだった。しかし、この身体は自分のものであって自分のものではない。美人と言われても、他人事に感じてしまう。奇妙な感覚だった。
「当たり前ですよ。草眞さんの分身ですから!」
 浩介の肩に両手を起き、凉子が断言する。尻尾をぴんと立てながら。尊敬している草眞を褒められているようで、嬉しいらしい。
「モデルの話に戻るが」
 リリルが口を開く。
 直弘は頷き、近くの台に置いてあった化粧箱を持ち上げた。淡い青色と白の和紙で飾られた四角い箱。頑丈そうな作りで、見た目も上品である。
「浩介くんは、これに着替えておいてくれないかい。着方書いた紙は中に入ってるから。もし着られないなら、凉子ちゃんに着方聞いてくれ」
「はぁ」
 曖昧に頷きながら、浩介は箱を受け取った。中身は服であるため、重くはない。しかし、箱を包む空気が、その重さを見掛けよりも大きくしていた。
「じゃ、ボクは撮影機材の準備をするから」
 直弘が店の奥を示す。
 リリルに連れてこられた服屋。凉子の知合いの店らしく、リリルも時々利用していると言っていた。ともあれ、何が何だか分からぬうちに、浩介は店に飾る写真のモデルの仕事を任されてしまった。とんとん拍子に話が進んでいく。
 凉子が笑顔で手を上げる。
「それじゃ、こっちは私たちでやっておきますので、店長は撮影の準備頑張って下さい。期待して待ってて下さいね」
「期待して待ってるよ」
 直弘は落ち着いた笑みを浮かべて、そう告げた。そのまま店の奥へと消えていく。灰色の尻尾が揺れていた。
 直弘が戻ってこない事を確認し、浩介はリリルに半眼を向けた。
「どういうことだ、これ?」
「服屋のおっさんがモデルを探していたから、アタシはモデルに丁度いいやつを連れてきた。謝礼もくれるっていうし、人助けと思って頑張ってくれ」
 不敵に笑いながら、片手を上げる。
「頑張ってね、浩介くん」
 隣では凉子が楽しそうに笑っていた。


 クリーム色の壁に囲まれた四角い小部屋。それなりに広い。正面には大きな鏡が取り付けられている。鏡の横には、荷物を置く台。後ろは厚手のカーテン。右の壁にはフックが取り付けられ、そこにハンガーが掛けられていた。
 試着室である。更衣室代わりだった。
 浩介は渡された化粧箱を台に起き、カーテンを見る。
「逃げられないか……」
 眉間を押さえ、そう呻いた。
 外では凉子とリリルが服を眺めている。足音や気配でそうわかった。浩介が着替え終わるまで適当に時間を潰す気のようである。
「やっぱり人間じゃないよな」
 鏡に映る狐神の女。
 顔付きは草眞に似ている。自分の面影は残っているが、やはり別人だった。身体が別物なので当然かもしれない。あまり鏡で自分を見ることはないが、こうして全身を写してみると自分が全く別の存在になってしまったのだと理解させられる。
 浅い緑色のジャケットにジーンズという男物の服装。男装の女と言えば聞こえはいいかもしれない。家にあった服を着ているだけだが。
「同じもの着てるのに、男の時よりも様になってるように見えるのは何でだ?」
 今更愚痴を言っても変わらない。
 浩介はジャケットのボタンを外していった。浅い緑色のフードジャケット。布地は薄く真冬の寒さは防げない。もうしばらくしたら、冬用の上着を出すべきだろう。
 袖から両腕を抜き、横のハンガーに掛ける。
 白い半袖のシャツ。シャツの布地を押し上げる胸の膨らみ。男にはない乳房だった。シャツの表面には、薄くブラジャーの輪郭が浮き出ている。
「これは、気にした方がいいかも」
 輪郭を指で撫でながら、狐耳を伏せた。
 浩介は頭の狐耳の先端を摘み、左右に動かす。狐耳の付け根から首筋を通り、背中へと流れていく軽い痺れ。少し尻尾が跳ねる。
 狐耳や尻尾はよく感情を表すように動いていた。犬が尻尾や耳を動かすような生理現象であり、無意識に動く。意識して抑えることもできるが、それは難しい。元々人間だった浩介の場合、凉子や草眞よりもはっきりと感情が出てしまうようだった。
 狐耳から手を放し、シャツを脱ぎ、ハンガーに掛ける。
 続けて靴下を脱ぎ、ジーンズも脱いだ。
 脱いだものは畳んで横の台に置いておく。
「うむ」
 鏡に映った下着姿の女を見つめ、浩介はしたり顔で頷いた。店内は弱い暖房が効いているので寒くはない。しかし、素肌を撫でる空気は冷たい。
「自分の身体ながら、エロいな」
 乾いた笑みが浮かんだ。
 白いフルカップのブラジャーと白いビキニショーツ。飾り気のない下着だが、かえって肢体の形を際立たせている。色白で滑らかな肌。滑らかな曲線を描く四肢。きれいな谷間のできた胸元。細くくびれたお腹。
 百七十センチの身長もあり、どこかモデルのような身体である。
 背中の後ろでゆっくりと尻尾が左右に動いていた。
 両手を胸の下で組み少し持ち上げる。お尻を横に向け、尻尾を立てた。胸の谷間やお腹の曲線、お尻の丸みがはっきりと分かる。非常に官能的な恰好だ。
「女としては最上級に作ってあるか」
 草眞の言葉を思い出し、納得する。この身体は草眞の分身体。身体組織を操る錬身の術を用いて、かなり手を加えてあると言っていた。日常生活では気にならないが、自分の身体がいびつであるという自覚はある。
「うーむ」
 浩介はお腹に手を当て、下に動かした。お腹からショーツの縁を撫で、下腹部を通り、太股へと抜けていく。きめ細やかな肌の手触りと、ショーツの生地の手触り。太股から脚の付け根を通り、再びお腹で手を戻した。
 そこには何もない。
「女だな……。本当に」
 手を見つめて呟く。
 無いものがあるよりも、あるものが無い方が違和感は大きい。
 しかし、全部済んだ事である。
 浩介は息を吐き、店主から渡された紙箱に触れた。
 蓋を開けてみる。
 最初に目に入ったのは、折り畳まれた紙だった。広げてみると、服の着方が手書きの絵とともに細かく書かれている。見る限り普通の服のようだ。
「随分と細かいな」
 女物の服を着慣れていないと考えたのか、かなり分かりやすく書かれている。だが、書かれている量が多くて、一度には覚えきれない。
「順番に見ていけばなんとかなるだろ」
 着方の紙は横に置き、次のものを取り出す。
 続けて出てきたのは、白い布だった。白く細長い布。手に取ってみると、それはリボンだった。髪を縛るためのものだろう。着方の絵にも頭にリボンが付いている。
「こっちは……」
 次は白い上着である。
 材質は絹のようだった。襦袢に似ているが、作りは洋服に近い。ボタンも付いている。袖は和服のように袂が付けられていた。袖口には赤いフリルが飾られている。
 箱の中を見ると、緋色の布が納められていた。
「巫女服か、これ?」
 浩介は首を傾げる。
 巫女装束ではないが、巫女装束を模した服のようだった。

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12/1/12