Index Top 第7話 夏の思い出?

第15章 買い物


 ベッドに仰向けに寝転がったまま、リリルが擦れた声を出した。
「どうやら、アタシはここで死ぬらしい……」
「死なん、死なん……」
 ベッドテーブルに水差しを起きながら、浩介は右手を振って否定の仕草をする。二日酔いのようだった。朝から酷い頭痛と吐き気と虚脱感に悩まされている。顔もかなりやつれていて、目に生気もない。
 浩介は近くにあった椅子に腰掛け、
「二日酔いで死ぬわけないだろ。いや、酒の入った料理で酔い潰れるだけじゃなくて二日酔いにもなるのか……。弱いってレベルじゃないな」
 感心する。身体が子供になっている影響かもしれない。酒が入った料理を食べて二日酔いまで悪化するのが分かっていれば、最初から食べなかったはずだ。大人の身体では食べても平気だったものを、その感覚で食べてしまったのだろう。
「元々子供って酒に弱いしな」
 腕組みしながら、適当な推測を立てる。
 午前十時過ぎ。外は既に三十度を越えているが、エアコンの効いた室内は涼しい。元々この部屋にエアコンは無かったが、リリルが別の部屋にあったものを取り外して、この部屋に設置したのだ。作業着姿で工事をする姿は妙に似合っていた。
 リリルは目を閉じてから、大きく吐息する。
「死ぬ前に……せめて、ソーマの婆さんを思いきり殴っておきたかった……」
「無理だろ。昨日もあっさり返り討ちにあったし」
 コップに水差しの氷水を注いでから、浩介はそのコップをリリルに差し出した。
 少しだけ身体を起こし、リリルは右手を伸ばしてコップを掴む。中身の水を全部飲み干してから、金色の瞳を向けてきた。
「じゃ、コースケ。お前でいいや」
「嫌だよ……」
 首を振る。肯定したらそのまま殴りかかってきそうな雰囲気だった。契約のおかげでリリルが浩介に手を出すことは出来ないが、浩介の許可があれば普通に殴れる。しかも、格闘技の経験があるため、小さい身体の割に打撃はかなり重い。
 リリルは窓の外へと顔を向けた。
「あの木の葉が全部落ちたら、アタシは死ぬんだな……」
 眺めているのは、家の正面の林に生えている木だろう。しかし、どの木を眺めているのかは分からなかった。もっとも、どの木にしろ青々と葉が茂っていて散る気配はない。真夏なので当たり前ではあるが。
「アイスクリームでも買ってきてやるから、大人しく寝てろ……」
 浩介は額を押さえつつ、狐耳を垂らした。
 素早く浩介に向き直るリリル。
「超ビック抹茶アイス頼む」
「………」
 目蓋を下ろして、リリルを睨む。
 やつれた黄色い瞳に気力の光を点しているリリル。
 浩介は尻尾を垂らした。近所のスーパーに売っている抹茶アイスのことである。特大サイズで、二、三人で食べるものだ。だが、甘いもの好きのリリルなら全部一人で食べられるだろう。最近は抹茶味がマイブームらしい。
 浩介はぽんとリリルの頭に手を置いた。
 そのまま、左右に頭を揺さぶる。
「ニギャァアァァァァァアァァ!」
 悲鳴とともに涙を流しながら、リリルは浩介の手を掴んだ。


「涼しい……」
 スーパーの片隅にある飲食コーナー。
 浩介は椅子のひとつに腰掛け、買ったジュースを飲んでいた。
「最近、男に化けるのが面倒になってきてるからなぁ……」
 声に出さずに、そう愚痴る。今は狐耳と尻尾を消し、髪を黒くして、首の後ろで縛っていた。ただ、人間の女に化けているだけで、服装は男物である。白いチノパンに、黒いシャツという夏服。もっとも、女物の服で出掛けること自体少ない。
「いや、着替えるのが面倒ってだけだけど」
 頬杖をついてため息をつく。正確には、女の下着から男の下着に着替えるのが面倒なのだ。逆も然り。変化する度に下着まで全部脱がないといけない。加えて、うっかり間違えれば、男の身体に女の下着という変態的な格好になってしまうのも怖い。
「何している、浩介?」
 正面の椅子を引き、草眞がそこに腰を下ろした。外見年齢十代半ばの狐神の少女。服装は灰色の着物だが、昨日着ていたものとは柄が違う。
「草眞さん」
 呟きながら、浩介は草眞を見つめた。いつの間に現れたのかは分からない。
 スーパーの飲食コーナーという所に、和服姿の狐の少女。えらく場違いに思える。
 浩介の疑問を読み取ったように、草眞は片目を瞑り、
「用事を済ませて帰る途中じゃ。そしたらお主を見つけての。何をしているのか気になって来ただけじゃ。何を黄昏れておる?」
「いえ、外暑いんで……」
 と、目で外を見る。
 空は快晴、気温三十度以上。雲はなく、真昼の太陽が照りつけている。昼過ぎの一番暑い時間だろう。猛暑という表現が似合う天気だった。
「それで、アイスか。随分とデカイものを買ったの……」
 草眞が見つめるのは、テーブルに置かれたビニール袋だった。夜食の材料と一緒に、特大のアイスクリームがドライアイスと一緒に入っている。
「リリルが食べるんですよ。二日酔いで寝込んでまして」
「二日酔いか……。それよりも、それあいつ一人で食うんか……」
 浩介の説明に、草眞は戦いたようにアイスクリームを見つめていた。
 店の外へと目を逸らしつつ、浩介は口元に乾いた笑みを浮かべる。
「食べるみたいです。甘いものはいくらでも食べられるとか言って、前は誕生日に食べるような大きなケーキ一人で食べてましたから」
 精霊なので栄養の偏りやカロリーはさほど気にしなくともよいらしい。以前は甘いもの好きの大人というのは格好悪いと見栄張って甘味嫌いを装っていたが、子供になったので開き直ったと言い切っていた。ややヤケ気味に。
「まあ、いいがの」
 手早く打ち切ってから、草眞が別の話を切り出してきた。
「そういえば、お主。海へ行くらしいな。結奈から聞いたぞ」
「ええ」
 しばらくしたら慢研の合宿で海に行く。行き先は毎年海と山の交互で、去年は山に行っていた。合宿とは名ばかりで内容はただの旅行だが、そういうものだろう。
 草眞は顎に手を当ててから、不思議そうに首を傾げた。
「しかし、お主が結奈たちと海に行けば、何かされるのは確実じゃろう。強制参加でもないようだし、大人しくこっちで待っておればいいのに」
 結奈が何か企んでいるのは確実である。普段は何もしてこないが、浩介に興味を持っているのは雰囲気で分かった。海に行けば、何かしらの悪戯をしてくるだろう。
「大人数でどこか行くのって好きなんですよ、俺。両親が事故で死んでから、そういう機会無くなっちゃいましたしね。オヤジたちが生きてた頃は、家族でよくあちこち行ってましたし。旅行好きでしたから」
 浩介は苦笑しながら、そう答えた。
「それに、慎一にも来るように行っておきましたし、何とかなると思います」
「日暈慎一か……」
 両目を閉じ、草眞が静かにその名を口にする。
 昨日の話では、草眞は日暈家に色々と因縁があるらしい。長い間生きていて、戦うことを生業としている草眞なので、同様に戦いを専門としている日暈家と関わることが多いのだろう。リリルの話では負けっぱなしらしいが。
「天の四家。呪われた一族……」
 その時草眞が口にしていた言葉を、浩介は無意識に呟いていた。
「神代、空渡、日暈、月雲の古い退魔師じゃ。あやつらの持つ強さの対価で、何かしらの形で消滅に向かう気質のことよ。日暈なら狂気的な闘争心のような……。ま、呪いと言うほど仰々しいものではないがの」
「はぁ」
 手短に解説する草眞に、生返事を返す。言っていることが軽い。昨日の呟きに込められた重さは感じられなかった。嘘は言っていないが、事実を全部言っているわけではない、というものだろう。
 草眞はふっと短く息を吐いてから、
「ワシからの忠告じゃ。慎一を合宿に連れて行くのはいいが、あまりやつを刺激しない方がいい。あやつはお主のような連中の中にいるだけでストレスを感じる。その状態でキレたら厄介じゃからな……。日暈の連中は、キレたら本当に手が付けられぬ」
「……何かあったんですか?」
 思わず浩介は尋ねる。
 口調に込められていたのは、強い徒労感だった。仕事などではなく、個人的なことで日暈の人間をキレさせ、その暴走に巻き込まれたのだろう。何があったのかは浩介には想像もつかない。だが、無用な苦労をしたのは容易に分かる。
「誰にでも思い出したくない事はある……」
 頬杖をつき、草眞は窓の外を眺めてため息をついた。

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