Index Top 第7話 夏の思い出?

第10章 午後の来訪者


 手提げ袋を左手に持ち、浩介は右手で扉を開けた。
 冷房の効いたリビング。外の暑い空気と部屋の冷たい空気との温度差に、尻尾が縮むような錯覚を覚える。それでも、ほどよく冷えた空気は心地よかった。
 居間へと足を進めながら、声を上げる。
「リリル、あったぞー」
「ん?」
 ソファに寝転がって本を読んでいたリリルが、首だけ向けてきた。今日は用事も無いので、家でごろごろしているらしい。銀色の眉を動かし、訊いてくる。
「何があったんだ?」
「お前が探してた服」
 浩介が答えると、リリルはしおりを本に挟んで、それをリビングテーブルに置いた。分厚いハードカバーの本である。何の本なのかは分らない。深緑色の表紙には筆記体のアルファベットが書かれているが、浩介にはその言葉を読むことはできなかった。
「これ」
 手提げを差し出すと、リリルはそれを受け取り、中身を確認する。
 薄い光沢のある黒いジャケットやハーフパンツ、指貫手袋、ブーツ。他には、下着類やシャツ、シルバーアクセサリなどが入っていた。一番最初にリリルが着ていた衣服である。どこかにしまい忘れていたものだ。
「どこにあったんだ?」
 睨んでくるリリルに、浩介は狐耳を弄りながら、答える。
「物置部屋に冬服と一緒にしまってあった」
「………」
 呆れたように目蓋を下ろすリリル。ゆらりと黒い尻尾が下がった。
 普通に考えればそんな所に紛れ込んでいることはない。しかし、行方不明になったものというのは、得てして全く心当たりの無い場所から現れるものである。
「まあ、いいや」
 手早く思考を切り替えてから、リリルは紙袋を置いた。
 中の衣服をリビングテーブルの上に広げていく。
 丈の短いノースリーブのシャツ。淡い光沢のある上着とハーフパンツ。厚手の布らしいが、手触りなどは皮革にも似ている。人間の知らない素材なのかもしれない。スカートの後ろ半分のような腰布。指貫グローブに、黒いソックス、ブーツ。下着はスポーツ下着のようなしっかりしたものだった。あまり色気もない。
 その他銀のアクセサリなどがいくつか。
 それらを眺めながら、リリルは尖った耳の先を指で弾く。
「うん、一応全部揃ってるな。無くなってたら弁償して貰おうと思ってたんだけど、その必要はなさそうだ。残念だけど」
「にしても、奇抜な衣装だよな……。ヴィジュアル系?」
 リリルの衣服を眺めながら、浩介は腕組みをした。尻尾を動かしながら神妙に頷く。最初の頃は魔族とは全般的にこのような衣装センスを持っていると思っていた。だが、実際はリリルの美的感覚が常識離れしているだけのようである。
「お前にアタシの美的感覚が理解できるとは思ってないよ」
 リリルはそう両腕を広げてみせた。
 改めて自分の服を見つめる。
「さて」
 てきぱきと慣れた手付きで服を畳んでから、紙袋へと入れる。
「頼みがある」
「何だ?」
 訊き返すと、目で紙袋を示し、
「これ、クリーニングに出してきてくれないか? 変な所に置かれてたみたいで、埃っぽくなってるから。日本のクリーニング屋って腕いいって聞くし」
「何の羞恥プレイだ……!」
 頬を引きつらせつつ、浩介はリリルの頭を猫耳帽子越しに掴んだ。
 この奇抜な服を持ってクリーニング屋に行くのは、かなりの勇気がいる。それを勇気と表現すべきかどうかも分らない。何にしろ、男の姿で行くのも女の姿で行くのも、店員に変な目で見られるのは確実だ。
「いいだろ、コスプレ衣装とか言えば」
 きっぱりとリリルが言い切る。
「一応それっぽい服って自覚はあるんだな……」
 リリルの頭から手を放し、浩介は顔を押さえた。
「そもそも、お前の服を何で俺がクリーニング屋に持ってく必要あるんだよ。自分の服くらい自分で何とかしろ。魔法で洗うとかできるんだろ?」
 手を放して、リリルを見下ろす。
 リリルは洗浄の魔法が使えた。手から泡を作り出して、それで汚れを落とす。食器類の油汚れなどは無論のこと、衣服の醤油染みなども難なく落とす強力な魔法だった。
「あれ、効果が強力な分あんまり生地に優しくないんだよ……。安物の既製品ならともかく、これには使いたくない。頑丈な布だけどな」
 眉間にしわを寄せて、リリルは尻尾を左右に動かす。術や魔法というものは、便利そうに見えてそれなりに不便なところもある。
 ふっと息を吐いてから、
「しかたね。自分で洗うか」
「自分で洗うって?」
 浩介の問いに、リリルは至極当然とばかりに答えた。
「温水手洗いに決まってるだろ」
「いや、いいけど」
 リリルが風呂場でせこせこと自分の衣服を洗っている姿を想像しながら、浩介は額を押さえた。見た目は派手であるが、裏では意外と地味な努力をしているらしい。
 ピンポーン。
 インターホンが鳴った。
「誰か来たぞ」
 衣服を紙袋に片付けながら、リリルが視線で玄関を示す。
 浩介は時計をみやった。午後二時半。
「凉子さんが来るって言ってたから。多分それだと思う」
 答えながら、浩介はリビングを横切り、玄関へと向かった。
 冷房の効いたリビングを出ると、ぬるりと絡みついてくる空気。気温三十度を越える屋外ほどではないにしろ、空気は生暑い。
 玄関を見ると、それを見計らったようにドアが開いた。
「浩介くん、こんにちはー」
 気楽な挨拶とともに、凉子が玄関へと入ってくる。黒い半袖のワンピースに白い羽織を纏った姿。腰には三本の乖霊刃を差していた。いつも通りの格好である。しかし、いつもよりもきれいに見える。洗濯したてのような清潔さ。
 その理由もすぐに理解する。
「久しぶりじゃな、浩介」
 年端もいかない少女が立っていた。十三、四歳ほどだろう。しかし、鋭利さを漂わせる表情で、年齢に似合わぬ落ち着いた雰囲気を漂わせていた。腰の辺りまで伸ばした狐色の髪。頭には狐耳。淡い灰色の着物を着ている。以前見た時は六本の尻尾があったが、今は一本だった。尻尾減らしの術だろう。
「草眞さん……」
 浩介は息を呑む。
 草眞は薄い笑みを浮かべたまま、浩介を見つめている。尻尾を振りつつ、
「狐に摘まれた顔とはこんな顔を言うのじゃな。別に驚くことはあるまい。元気そうにしているかと気になったから顔を見に来てみただけじゃ」
「そう、ですか」
 尻尾を縮込ませつつ、浩介は頷いた。言っている事におかしなことはない。だが、来るという言葉も無くいきなりだったので、気が引けてしまう。
 それを察したのだろう。草眞は頷きつつ、
「前もって連絡できればよかったのじゃが、わしも急に休暇が入っての。まあ、すまんと思ったが、連絡無しで来てみた」
「はぁ」
 曖昧に返事をする。返事をするしかない。
「上がらせてもらうぞ」
 言いながら、草眞は履いていた草履を脱いでから、上へと上がり近くにあったスリッパに足を入れた。それに続くように凉子も上がってくる。
「そういえば、リリルいる?」
 凉子が口を開いた。そこはかとなく楽しそうに微笑んでいるが、細かいことは気にしないでおく。無自覚に余計なことをするのは、いつものことだった。
「リビングにいると思うけど……」
 答えながら、浩介はリビングのドアを開けた。
 しかし、リリルの姿はない。さきほどまで読んでいた本がリビングテーブルに置いてあるだけだった。跡形もなく消えている。
「あれ。草眞さんが来たから逃げちゃった?」
 頬のヒゲを指で撫でつつ、凉子はそう呟いた。

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