Index Top 第2話 二日目のお買い物

第2章 普通ではない方の


 街から三十キロほど離れた西の鉱山。
 バスは中央広場にて停車していた。
 インダストリアルクラフト社中央総合施設。
 大きな本社ビルの前に作られた広場兼駐車場。周囲には研究用の建物や、鉱石から金属を取り出す精製工場、各種倉庫、さらに研究施設などがずらりと揃っている。それだけでも、ちょっとした街のような場所だ。
「ここですか?」
 十階建てのビルを見上げるアイディ。
 しかし、クラウの目的はそこではないようである。
「いや、今回はこっちだ」
 言って、総合施設地区から離れていく。
 アイディはそれに続いた。


 そうしてやって来たのは、二階建ての小さな建物だった。
 総合地区から歩いて十分ほどの場所である。周囲は白い砂地で、灌木が植えられている。屋根から伸びた電線が、西の発電所に向かって伸びていた。建物正面の扉の横には、二十三番研究室と看板が張られている。
「おい、いるかー?」
 チャイムを押し、クラウが声を掛けた。
 が、返事は無い。
「留守か? 今日行くって伝えておいたはずなんだが――」
 腕組みをしている。事前に行くようにと連絡したようだが、相手がいないらしい。忘れられたのか何か用事があって来られないのかは不明だった。
「誰を探しているんです?」
 ふと訊いてみる。
 風に吹かれ、白い砂が流れていく。地面は土の茶色と砂の白が混ざった薄茶色。あまり雑草も生えていない。白い砂の上では基本的に植物は育たない。
 一度小さく眉を寄せてから、クラウが答えた。
「破壊神サマ」
「はかいしんさま?」
 棒読みに繰り返す。
 意味が分からなかった。破壊神サマ。単語の意味が理解できないわけではない。しかし、その単語が何を示すのか想像も付かなかった。冗談のようにも聞こえるが、冗談ではなく意味はあるのだろう。
「誰が破壊神よ? 失礼しちゃうわね」
 後ろから声が聞こえてきた。女の声。
 クラウが振り返る。
「いたのか?」
「ちょっと小物取りにいってたわ」
 女が答えていた。
 一拍の躊躇からアイディも振り返る。
 そこに立っていたのは、日傘を差した背の高い女だった。身長は百七十を越えているだろう。頭に乗せたナイトキャップのような白い帽子。腰あたりまである長い黒髪。その先端を赤いリボンで留めている。服装はドレスのような薄紫色のワンピースだった。両手に白い長手袋。腰にベルトを二本巻き、片方には銃弾らしきものを、片方には平たい小瓶を差している。ベルトの後ろ側には三角スコップが取り付けてあった。
 年齢は四十を過ぎているだろう。
 奇抜な格好だった。似合ってはいるが。
「ところで、この子が噂の書記士さん?」
 不意に女が目を向けてくる。強い意志が見える焦げ茶の瞳。
 こっそりと息を呑みつつ、アイディは一礼した。
「初めまして。アイディ・ライトです」
「こちらこそはじめまして」
 くるりと日傘を回し、女がにっこりと微笑む。
 アイディはふと日傘の握りに目を向けた。普通とは形が違う。じぐざぐに折れ曲がった握り部分。風変わりな意匠である。持ちにくい形だろうが、当人はその形を気にしていないようだった。
「アルベルから聞いたけど、あなた二十六歳なんですって? うちの下の子と同じくらいにしか見えないんだけど」
 瞬きしながら訊いてきた。水源管理局のアルベルとは知合いのようである。どちらも都市機能の根幹に関わる仕事なので、何かしらの繋がりはあるだろう。
 アイディは自分の胸に手を当てきっぱりと頷いた。
「はい。正真正銘二十六ですよ。確かに幼いとか子供みたいとかよく言われますけど。天空都市には半年を一年として数えるとか、そういう風習はありませんから」
 背が低く童顔で幼児体型。子供としか見られないがアイディは列記とした大人であり、成人である。よく子供扱いされたり、信じて貰えなかったりするが、きっちり主張はしておくべきだ。
 女は頷いてから、少し目を細めた。
「うーん、なんか腹立つから埋めていい?」
「へ……?」
 背筋を撫でる悪寒。頬を流れ落ちる冷や汗。
 一瞬呼吸が止まる。冗談や軽口ではない。女の目には本気で実行するという意志が映っていた。埋められる、という恐怖がアイディの身体を撫でる。
 が、あっさりと女は手を動かした。
「ま、いいわ。改めて自己紹介をしましょう。はじめまして、書記士さん。あたしはヴァイオレティアルスティーヴィアウィンディ・バァル=アンリミテッド。このインダストリアルクラフト社の監査役よ。あと、クレセント市ミンストレル大学材料工学教授ね」
 と、微笑む。
「長い名前、ですね……」
 一応書記士の記憶力で頭に刻み込んだが、一回では覚えられないような名前である。
 アイディはマントからノートタブを取り出し、カメラを女に向けた。もしかしたらからかわれているのかもしれない。その疑念を払うために、女の個人データを呼び出す。カメラが女の顔を認識し、書記士の権限で閲覧可能な部分まで情報を表示した。
 画面に現われた情報を眺め、読み上げる。
「ヴァイオレティアルスティーヴィアウィンディ・バァル=アンリミテッド――本籍クレセント市。年齢、四じゅ――う、にあああああああ!」
 アイディの喉から迸る悲鳴。
 ノートタブが地面に落ちた。
 だが、そちらに気を向けている余裕はない。
「何故ですかあああっ!」
 頭蓋内に響く軋む音。目元から溢れる涙。女がアイディの頭に右手を乗せ、頭を指で締め付けていた。いわゆるアイアンクローだが、細い手からは想像も付かない万力のような怪力で締め付けている。
「十七歳よ? ジュウナナさい。オッケイ?」
 涼しい顔で片目を瞑る女。
 女の腕を掴み返し、アイディは泣きながら反論した。
「で、でも、ちゃんと戸籍には――よんんん……いいいいいおおおああああ! 割れる、割れます! コレ、本当に……! 頭が割れちゃいますうううううッ!」
 泣きながらアイディは叫ぶ。鉄硬の術で頭蓋骨を防御しつつ、剛力の術を掛けた手で女の腕を引き剥がそうとするが、全く歯が立たない。理術を使っていないのに、女の力は桁違いだった。このままでは本当に頭を握り潰される。
 理不尽に迫る命の危機。
 あくまでも落ち着いた口調で、女が言ってきた。
「十七歳よ? 十七歳」
「はいっ! 十七歳デス!」
 アイディは屈する。
「よろしい」
 満足げに微笑んでから、女は手を引っ込めた。左手に持っていた日傘を片手で閉じる。奇妙な形に折れ曲がった握り部分。芯内部に細工がしてあり、片手でも閉じられるようになっているようだった。
 腰の後ろに傘を当てると、小さな金属音がして、ベルトに傘が固定された。
「あ……、死ぬかと思いました……」
 右手で頭を押え、アイディはため息を付く。まだずぎずきと頭の奥が痛み、足元もふらついているものの、ひとまず命の危機は去った。足元に落ちたノートタブを拾い上げ、マントの内ポケットにしまう。
「なるほど。この人なんですね……」
 ぼんやりと理解、いや確信する。クラウは代表取締役のエドガーを普通と言った。普通でない人間がいるような言い方だったが、その普通でない人間がこの女である。
 女は両手を広げ、暢気に笑って見せる。
「名前が長いのは仕方ないわね。お父さんが名前付けるのに迷ったからって、全部混ぜて付けちゃったのよ。おかげで市内で一番長い名前になっちゃったわ。でも、さすがに呼びにくいからみんなムラサキさんって呼んでるわね。名前の一番最初がヴァイオレットで、紫色の服をいつも着ているからかしらね?」
 ちょこっと小首を傾げる仕草をしてみせる。
「ムラサキさん?」
 繰り返す。ムラサキ。確かに名前を全部呼ぶよりも、短いニックネームのようなものを使う方が負担は少ないだろう。
 乾燥した風が流れ、白い砂が微かに舞う。
 ムラサキはぱんと両手を打ち合わせた。
「あ、そうだ。ねぇ、書記士さん。ものは相談なんだけど、書記士の権限でアタシの戸籍の年齢、十七歳に固定できないかしら?」
「無理です。そういう権限はありません」
 手を持ち上げ、否定する。
 書記士は一般人に比べると様々な権限を持つが、戸籍を書き換えるような権限は持っていない。そもそも個人で戸籍書き換えの権限を持っている者はいない。
「そう、残念ね」
 肩を落とすムラサキ。
 クラウが口を開いた。呆れたように髪を掻き上げ、説教するような口調で。
「まったくお前もいい加減、そういう少女ごっこは卒業しろって……。エドガーのヤツはお人好しだから何も言わないだろうけど――。上の子は高校生になっただろ? 歳考えろって……。もう四十四だろ。確か」
「ふふ……」
 ムラサキが優しく笑い。
 ギィンッ!
 金属がぶつかり合う甲高い音。
 クラウの召喚した剣が、ムラサキの振り抜いたスコップを受け止めていた。銀色の三角スコップ。クラウの首を刎ねる軌道で、躊躇無く振り抜かれていた。
 ムラサキが楽しそうに笑っている。だがその目には剣呑な光が映っていた。
「相変わらずあなたはデリカシーが無いわね」
「躊躇無くスコップで斬りかかってくる奴が言うな。子供の頃から変わってないよな。そういうところは――まったく」
 顔を強張らせながら、クラウが呆れている。双方理術は使っていない。だが、ギシギシと鳴る刃からは、尋常ならざる力が見て取れた。
 硬い音を響かせ、ムラサキが後ろへと飛び退く。腰の後ろの日傘を引き抜き、
「そうね。せっかくだし、あたしと少し遊んでくれないかしら、クラウ兄ちゃん?」
 笑いながらスコップと傘を構えた。

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13/8/8