Index Top 第8話 科学都市フィジク

第7章 獣の咆哮


 大人の姿となったカラが放つ手刀。
 見る者の思考を置き去りに、薄い残像だけが残る。それをローウェが腕で弾いた。普通なら受けようとも思わないだろう。腕がぶつかりあうたびに、金属のような堅い音が響く。
 巻き付くように蠢くヴィンセントの霧を、大刀が斬り払った。
 ローウェの胸と腹には黒い刃が突き刺さっている。ヴィンセントが作った槍だった。穂先を残して柄は切り落とされていた。刃を抜かないのは出血を抑えるためだろうか。床に血がこぼれているが、それを気にしている様子はない。
「ここ病院でしょ? 病院は静かにしなきゃいけなのよー……」
 尻尾を縮込ませて、クキィは弱々しく抗議した。水色の検査服を着たまま、割れたソファの残骸を頭の上に掲げている。目元に涙が滲んでいた。耳を伏せ、尻尾を足の間に隠し、身を竦める。
 その台詞を聞く者はいない。
 周囲にはタレットが連れてきた術師が防御結界を張っていた。そのためローウェの暴走の被害はある程度抑えられている。クキィは置き去りになっていた。
「くああああぁぁおおおお!」
 ローウェが吼える。獣のような咆哮。全身を包む赤い妖力が、さらに強く燃え上がる。身体強化に絞った妖術と限開式を用いて増幅されている妖力。それが常人の作り出せる強化のほぼ限界値なのだろう。轟音とともに大刀が振り抜かれた。
 ―――!
 カラが飛退くが、遅い。
 オレンジ色の髪の毛が一房、宙に散る。
 根元から切断された左腕が地面に落ちた。
 傷口から溢れる赤い血。腕だけでなく、胸からも出血している。大刀の刃は胸まで斬り込んでいた。あまりに速過ぎてクキィにはどこまで刃が入ったか分からない。一瞬遅れていたら輪切りだっただろう。少なくとも左肺は壊れているはずだ。心臓まで達しているかもしれない。そんな重傷だった。
 残った右手を前に出し、カラが構える。
 金色の瞳映る闘気。腕が千切れているのに怯む素振りもない。
「ぐううううぁぁぁ……」
 口元から涎を垂らしながら、ローウェがカラとヴィンセントを睨み付けている。こちらも傷口から流れる血を意にも介していない。理性を失った狂戦士のような有様。大刀を一振りして血糊を散らした。
「ここが公共施設であることを忘れているのですか、あなたは……」
 ヴィンセントが呆れ顔を見せる。
 黒い霧が地面に落ちたカラの腕を拾い上げた。
 胸から上と左腕を残し、ヴィンセントの身体は黒い霧と化している。霧化した身体でローウェに攻撃を仕掛けているが、いまいち効果は薄いらしい。ローウェがきっちり反撃しているのも理由のひとつだ。ヴィンセントたちもあまり積極的に攻撃していない。ここが病院ということで遠慮しているようだった。
「どうした……! この程度か、超人ども。まだ私は動けるぞ?」
 一方、ローウェはここがどこであるか完全に失念しているらしい。牙を剥き、尻尾を左右に揺らしながら、唸り声を上げている。
「さすがは異端者。生身というのに凄まじい精神力ね」
 カラが空を見た。
 視線を追ってクキィもそちらを見る。
 青い空に羊雲が浮かんでいる。何かあるようには見えなかった。
 カラは視線を戻し、腕を下ろした。纏っていた気迫が消える。
「ヴィンセント」
「ええ」
 頷くヴィンセント。黒い霧となっていた身体が元に戻る。
「その刀を回収することは諦めます。それでは失礼します」
「多分、もう会うことはないでしょう。さようなら」
 それぞれ言ってから、その姿が掻き消えた。
 空間転移の術なのだろう。ほんの微かに複雑な術式が見えた。意味を理解する時間もなく、二人の姿も術式も消えている。
「行っちゃった……」
 頭の上に載せていたソファの破片を下ろし、クキィは息をついた。
 踏み砕かれた中庭、半壊した建物。まるで竜巻が通り過ぎた跡のような光景である。範囲の大きな術は使っていないが、それでも重機同士が激突したようなものだ。幸いにして遠くに見える病院本棟には傷がない。ヴィンセントたちが気を使ったおかげだろう。
 ローウェから立ち上っていた赤い妖力が消える。
「逃げられたか……。仕留め損なった」
 大刀を下ろし、胸と腹に刺さった黒い刃を引き抜いた。地面に落ち、溶けるように消えた槍の穂先。傷口から流れた血が、朱色の服を赤黒く染めている。
 二人が去った理由。
 ガルガスが敵を退けたのだろう。
「大丈夫……?」
 ローウェに近付きながらクキィは声をかけた。
 身体に穴が開いても、小さければ魔術で塞いで何とかなる。それがクキィの考え方だ。さすがにリアの治療法術には遠く届かないものの、クキィも治療魔術が扱える。モグリとはいえ医者に育てられたおかげだろう。
「逃げていなかったのか?」
 クキィの気配に気付き、ローウェが目蓋を持ち上げる。今までクキィの存在に気付いていなかったらしい。いると分かった上で暴れていると思っていたのだが。
 理不尽な思いを噛み締め、クキィは叫び返す。
「逃げる前に殴り合い始めちゃったから、逃げるに逃げられなかったわよ!」
「それはすまなかった」
 ローウェが大刀を持ち上げた。手を開く。
 重力に引かれ地面に向かう、包丁のような刀が――
 消えた。
「生きてるかー?」
 緊張感の無い声が聞こえてくる。
 タレットが歩いてきた。防御壁を作っていた術師たちは遠巻きに様子を伺っていた。改めて見ると、術師たちの服装はばらばらである。暖色系の太陽の教会の教士服、寒色系の月の教会の教士服。私服の者もいる。制服や軍服を着ている者はいない。表情にも怯えがはっきりと見て取れた。本当に即興にかき集めてきたらしい。
「なんとか……」
「まあ、お前は平気だろうと思ってたけどな。あいつら意外と常識あるし。先生の方がヤバいわな。暴れ出したら終わるまで止まらないし」
 二人の消えた付近を眺めながら、あっけらかんと言ってくる。
 クキィはジト目でタレットを見つめた。言っている事は正しいが、腑に落ちない。
「先生」
 タレットがローウェを見る。
 胸と腹に開いた穴、全身から流れる血。カラに何度も殴られ、ヴィンセントの槍に斬られ、あちこちに傷ができている。骨は折れていないようだが、普通に考えれば立っていられる状態ではなかった。
「大丈夫だ。これくらいの傷どうということはない」
 胸の傷口を押えて笑うローウェ。強い術師は意識せずとも身体の損傷を術力で埋められるのだ。以前胸に風穴を開けられて動いていたレイスを思い出す。ローウェも似たような理屈で動いているのだろう。
 タレットは眼鏡を動かす。
「それより、市長やら学長やらからもの凄まじーく怒られると思いますけど、心の準備はできてますか……? さすがに病院で暴れるのはマズいっすよ」
「ああ。憂鬱だ」
 ローウェは空を仰いだ。


「そっちも失敗か」
 木箱に腰掛けたジャックが、視線を向けてくる。
 鞘に収めた剣を横に立て掛けていた。
「うン」
 つなぎ合わせた左腕を持ち上げ、カラは五指を握り込んだ。魔術で無理矢理つなげた腕と胸。思うように力が入らず、魔力の通りも悪い。感覚も薄い。本来ならすぐにくっついてしまうのだが、武器が武器なため仕方ないだろう。
「もうちょっと広い場所だったら、何とかなったと思うケド。多分、分かっててあの場所で暴れたよネ。あの人……」
「死者を出してまで奪うほどのものではありません。こちらに干渉しすぎるのは問題ありますからね。僕たちの行動は本来越権行為ですし」
 ヴィセントが付け加える。
 ローウェはカラたちがあまり無理をしない事を理解した上で、病院という施設を戦場として選んだ。本来なら自分で守るべき者たちを逆に人質とした形である。普通なら考えつかない選択肢だ。こちらの情報を持っているらしい。
「相変わらず手ぬるいな――」
 ジャックが横を向き、呻く。

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12/8/16