Index Top 第5話 平穏な旅路

第1章 朝のひととき


 眼を開けると、白い天井が目に入ってきた。
「あれ……?」
 寝起きの鈍い思考を動かしながら、クキィは瞬きをする。
 いつも見ている安宿のくすんだ天井ではない。無機質で清潔な白い天井だった。手を伸ばせば届きそうなほどすぐそこにある。空気も匂いもまるで違う。
 自分が一体どこにいるのかと記憶を辿り。
「あ。そうだった」
 思考が繋がり、苦笑いをしながらクキィは身体を起こした。
 キャンピングカー後部の居住スペース。狭い空間に机や棚が置かれている。空間を最大限利用しているため、手狭に見えて色々と機能性は高い。クキィが寝ているのは、一番後ろに作られたベッドだった。普段は電子コンロだが、コンロ部分を収納してベッドにすることができる。
 時計を見ると朝の七時。
 クキィがいる後ろの反対側、一番前のロフトにもベッドがある。運転席の真上のスペースで、いつもはリアが寝ているが、今はその姿は無かった。起きて外にいるのだろう。リアは起きるのが早い。
「いつも早起きね。アタシとは大違いだわ」
 クキィはベッドから降りて頭をかいた。今着ている縞模様のパジャマは、ログ市に滞在してる時に買ったものである。生地が良いためか、寝心地はよい。
「ふ、あーァ……っ」
 両腕を真上に振り上げ、クキィは大きく欠伸をした。尻尾をぴんと立て、足から手の先まで筋を伸ばす。耳の奥に響く、微かなノイズ。寝ている間に固まった筋肉が、いくらかほぐれた気がした。
 目元を手で擦り、頬のヒゲを指で整える。
「やっぱり現実味無いのよね。鍵人とか、世界の命運を握るとか……そういう難しい事言われても全然分からないし。元々ただの家出娘だったのに」
 パジャマの上下を脱ぎ、ベッドに放り投げた。
 自分の身体を見下ろしてみる。
 寝間着の下は灰色のハーフトップブラと、ボーイレッグショーツという恰好。色気よりも動きやすさというのが、クキィの考え方だった。ショーツの後ろには尻尾を通すための隙間が付いている。
 獣人系亜人特有の引き締まった四肢と薄茶の被毛。胸元からお腹にかけては、毛は白く、またあまり毛も生えていない。ともあれ、被毛の無い他の亜人や人間よりも、服装には気を使う必要があった。
「なんとなくあいつらと一緒に旅なんかしてるけど……」
 そう考えてみても、答えはでない。
 壁に掛けられた普段着。白いシャツと、赤いズボンと上着。ズボンと上着は元々作業着のようなものであり、多少ごわごわしているものの、とにかく丈夫である。
「アタシ、どうなっちゃうんだろう?」
 クキィは手を伸ばして、壁に掛けてあったシャツを取った。
 ハンガーを外してから、両手を袖に通し最後に頭を通す。裾を腰まで下ろしてから、今度は赤いズボンを掴んだ。両足を順番に通してから、後ろの隙間に尻尾を通し、上のホックを留める。尻尾を動かして、違和感がない事を確認。それからベルトを巻いて、バックルを留めた。最後に赤い上着を羽織って着替えは終わり。
 右手を握って開く。
「悩んでも仕方ないわね」
 そう結論づけ、クキィは靴を履いた。
 居住スペースを横切り、ドアを開ける。
 鼻をくすぐる心地よい朝の空気。街中では感じられない自然の匂いだった。道路脇にある空き地に、キャンピングカーは駐まっている。周囲に広がる草原。青い空はには、千切れた雲が浮かんでいた。
「クキィさん、おはようございます」
 笑顔で挨拶をしてくるリア。
 妖霊系亜人種の女だった。背は高く百七十センチ近い。妖霊族特有の長く尖った耳が印象的である。長い緑色の髪の毛を首の後ろで一本結びにしていた。落ち着いた緑色の瞳でクキィを見ている。
「おはよう、リア……」
 右手を緩く上げ、クキィは挨拶を返す。
 ショールのような肩布飾りの付いた長袖の上着と、足首あるまであるスカート。頭に円筒形の帽子を乗せている。それらの色は水色で統一され、各部に月を模した銀の刺繍が施されていた。月の教会の聖職衣らしい。右手には背丈と同じくらいの教杖を持っている。先端には三日月を模した飾りが取り付けられていた。
「悪い夢でも見ましたか? 少し表情が曇っていますけど」
 クキィの顔を見ながら、リアが言ってくる。
 クキィは自分の手を見つめてため息をついた。
「今こうしてるのが夢みたいに思えてね。いきなり誘拐同然に引っ張りだされて、まだ二週間経ってないわよね? よく分からない旅になって、本当に人外の連中に何度も出くわすわ……。漫画の中にでも放り込まれた気分よ」
 再び吐息してから、空を見上げる。
 白いちぎれ雲の浮かぶ青い空。街から離れた場所で、朝ということもあり、空は高く澄み切っていた。それは酷く現実離れした光景に映る。
「確かに、いきなりでしたから。戸惑うのは無理ありません」
 落ち着いた微笑みを見せるリア。
 足音に気付き、クキィは横を向いた。
 運転席の影から、人間の男が現れる。
「おう。起きたか」
 背の高い痩せた四十ほどの中年。適当に切った灰色の髪と無意味に気取った表情で、四角い眼鏡を掛けていた。細い身体を包むのはくたびれた灰色の背広と、ぴしっと糊まで利いた白衣である。
 右手には吸いかけの煙草を持っていた。
「おじさん、徹夜?」
 タレットの眠そうな顔を見ながら、クキィは訊く。
 煙草を口に咥え、周囲に目を向けるタレット。
「見張りは必要だからな。誰かがやらないといかん」
 見晴らしのよい草原。生えている草はほとんど膝丈で、腰丈以上の草はほとんどない。生えている木も細い灌木で、人が隠れられるような場所は無い。術を使って隠れれば移動はできるが、その場合はリアの探知術に引っかかるだろう。
 クキィは目蓋を下ろし、ヒゲを撫でる。
「ぶっちゃけ見張りって必要かしら? 変な連中には襲われたけど、ディスペアもヴィンセントもアタシの命取ろうとか誘拐しようとかそういう目的じゃなかったし」
 紫煙を吐き出し、タレットが眼を閉じた。
「現状、連盟も協会も怪しい情報類は掴んでない。過激論はあるにはあるんだが、隅っこでちまちま議論ごっこしてるだけで、こっちに来る様子も無く。連盟と協会で保護、管理ってことになったら、どこも興味無くしたらしい」
「大変ね」
 尻尾を下ろしながら、他人事のように呟く。
 それから、クキィは周囲に目を向けた。運転席や助手席、車の影などを見てから、視線を上に向ける。キャンピングカーの屋根の上に、ガルガスが座っていた。
「あんたは何やってるの? そんなところで」
 訊く。
 年は二十歳前後だろう。長く伸びた黒髪と野生動物を思わせる鋭利な黒い瞳。服装は黒い上着と黒いズボン、その上に丈長の黒いコートを纏っている。
「さっき目が覚めたんだが、やる事がないので、こうして朝日を眺めている。空気のきれいな場所で見る朝日はきれいなものだ。しかし、とっても暇だ」
 東の空の太陽を見ながら、そんな事を口にした。
 自分のお腹を撫でてから、タレットを見下ろす。
「おっさん、朝飯はいつだ?」
「パン焼いてスープ作って、三十分後くらいかな?」
 吸い終わった煙草を携帯灰皿に片付け、タレットは応えた。
「お料理好きですね、タレット先生」
「面白いからな、料理って」
 リアの言葉に、両腕を広げてみせる。料理を作る機会がある時は、大抵タレットが料理を作っていた。ガルガスとクキィは料理ができず、リアは宗教上の理由か質素な料理を好んで作るためだった。
 居住スペースのドアを開け、中に入るタレット。
 それを見送ってから、クキィはリアに声を掛けた。
「ねえ、リア」
「何でしょう」
 緑色の瞳を向けてくるリアに、数秒の躊躇いを置く。
 一度息を吸い込み、クキィは口を開いた。
「お願いがあるんだけど、アタシに戦闘技術教えてくれない? そういうの詳しいでしょ、リアって。少なくとも、自分の身は自分で守りたいからさ」
「うーん」
 両手で杖を握ったまま、リアは少し考え。
「分かりました」
 頷いた。

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11/8/25