Index Top 第1話 旅は始まった 

第2章 歩く不条理


「いや、何でもいいけど……」
 クキィは左手で頭に触れた。焦げ茶の髪を梳いてから、猫耳を指先で撫でる。
 何らかの理由で自分は軍に――おそらくは、国に狙われているだろう。その理由が分かれば、少なくとも現状を把握することはできるかもしれない。しかし、心当たりは無かった。ともあれ、いきなり捕まりそうになり、ガルガスに助けられる。
 ガルガスの目的もよく分からない。
「それより、あたしを助けに来たってどういうことなの? あんたもあたしに用があるようね。そいつら倒してくれたことは感謝するけど」
「礼には及ばん」
 ガルガスが大仰に頷く。風が吹き、コートの縁が少し揺れた。
 長袖で裾が膝下まである漆黒色のコート。さほど厚みはない。材質は布に見える。ポケットは左右にあるものの、前を留めるボタンなどはなく、コートとしての機能は不十分だろう。そもそも夏の始まりにコートというのもおかしな話だった。
 クキィがコートを見ていることに気づいたのか、ガルガスはコートを守るように襟を掴んだ。二歩後ずさり、警戒するように声を抑える。
「これは俺のお気に入りだ。欲しいとか言ってもやらんぞ」
「いらないって」
 左手で否定の意を表する。
 相手のペースに乗ってはならない。話が脱線して、いつまでも結論を引き出せない。そう判断し、クキィは改めて問いかけた。
「あんたの目的は何なの? 答えなさい。あたしを助けに来たとか言ってたけど、具体的にどうするつもり? 助けるからと言って、味方とは限らないわ」
 目付きを鋭くし、射貫くようにガルガスを睨む。殺気を込めた眼差し。大抵の相手ならこれで威圧できるのだが、効果は無いようだった。
 近くの街灯を一瞥してから、ガルガスは隠すでもなく答える。
「お前を俺の友人の所に連れて行く」
 それが予想内の答えと問われれば、肯定する自信はない。しかし、そのような答えは考えていた。つまり、ガルガスの目的も同じと言うことである。
「あたしは何者なの?」
 慎重にカードを切るように、クキィは問いを口にした。
 ガルガスはコートの懐から一枚の紙を取り出し、
「えっと、クキィ・カラッシュ。十八歳。猫型獣人の亜人。身長百五十七センチ、体重五十六キロ。職業は何でも屋。主に護衛、荷物運びなどを行っている。好物は肉、刺身サラダ、嫌いなものは豆る――」
 ゴキッ。
 鉈の背を頬に喰らい、ガルガスは回転しながら倒れた。
 手から離れた紙が地面に落ちる。
「誰があたしの個人情報を答えろって言ったのよ!」
 クキィの右手に握られた大鉈。治療の終わった右腕で引き抜き、立ち上がりざまに頬を力任せに殴りつけた。居合いの一種とも言える。どのみち、この程度でどうにかなるような相手とも思えない。
「何をするんだ。お前の質問に答えただけだろ?」
 身体を起こしたガルガスが、頬をさすっている。普通なら顎が折れたりするのだが、少し痛いだけのようだった。丈夫とか頑丈とか、そういう領域ではない。
「ワザと? ワザとなの? あんたはワザとやってるの?」
「意味が分からない」
 醒めた表情でガルガスが呻いた。
 その眉間に今度は刃の方を叩き付ける。攻撃力を高める破鉄の術をかけて、力任せに。後頭部から地面に激突し、アスファルトに亀裂が入った。普通なら額が割れて即死なのだが、この程度ではかすり傷にもならないだろう。
 事実、何事も無かったように起き上がってくる。
「なかなか過激だな」
「閃光破」
 一瞬で術を組み合げ、クキィは呪文とともに撃ち出した。
 白い閃光がガルガスを直撃する。魔力を熱線と衝撃波に変換させ相手を焼き払う、基本的な攻撃魔術。術式が単純で制御も簡単、威力や攻撃範囲の加減もかなり効くので、よく使われる術のひとつだった。
 光の渦にアスファルトがはぎ取られ、ガルガスとともに吹き飛ばされる。
「たく、時間食ったわね……」
 この男は頼りにならない。
 そう判断して、クキィは走り出した。
 道路に落ちていた銃を拾い上げ、足を動かす。行き先は決まっていない。ただ、ここにいるのが危険なことは分かった。理由ははっきりしないが、自分は狙われている。
 足音を立てないように、クキィは人気の無い裏通りを走った。
 それから、一番近い表通りに飛び出し。
 いや、飛び出す直前に。
「はうッ!」
 いきなり足を取られて、クキィは前のめりに転倒した。誰かの攻撃かとも思ったが、違う。何かに足を引っかけたのだ。それは、脛辺りの高さに張られた細い紐。
 前転しながら起き上がり、銃と鉈を構える。
「逃げるとは失礼なヤツだ」
 ガルガスがいた。
 右手に紐を持ったまま、道の端に座っている。右手に握られた紐は、反対側の街灯に結んでであった。原理は不明だが、ガルガスが張ったらしい。
 クキィはつかつかとガルガスに詰め寄り、その眉間に銃口を押しつけた。口元に浮かぶヤケ気味で凶暴な笑み。牙を剥き、尻尾をゆっくりと左右に動かしながら、
「あんたはあたしの邪魔をしたいの? 嫌がらせ? それとも遊んでるの? というか、あんたを先に始末して逃げればいいかしら?」
「気の短い娘だな」
 その場に立ち上がり、ガルガスは右手の紐を引いた。街灯に巻き付けてあった部分がほどけ、手元に飛んでくる。手首を動かすと、紐が空中で螺旋を描き、きれいに丸くなって手に収まった。無駄に器用である。
 紐を懐にしまい、ガルガスはクキィに背を向け二歩進み、空を見上げた。ほとんど星の見えない暗い空。都会ではどうしても空は味気なくなる。風は吹いていない。
「お前が今持っている選択肢はふたつ。ひとつは、自力で逃げて捕まる。もうひとつは、俺に助けられて一緒に来る。どっちかだ。選べ」
「無論、自力で逃げて逃げ切るわよ」
 そう断言し、クキィはトリガーを引き――
 ドン!
 衝撃が身体を貫いた。
 だが、自分が発砲したのではない。
 ガルガスが真横へと吹き飛ばされていた。巻き起こった爆風に、クキィも数歩後退する。対物狙撃銃による狙撃だった。右腕を突き抜ける激痛。弾は当っていないが、殴られたような衝撃が腕の感覚を麻痺させる。
「このバカはぁ――!」
 周囲に感じるのは、人の気配。数は十人ほど。当たり前の話だった。自分を追い掛けているのは、一班だけではない。行動するならば、複数班の隊を作るだろう。
 弾が当ったらしい右脇腹を撫でながら、ガルガスが起き上がっている。
「むぅ、十三ミリ対物狙撃銃はさすがに少々痛いな。長距離狙撃を行うためのライフルなのに、対物という言い方は変だと思うんだ、俺は。素直に長距離狙撃銃と言えばいいのに。いや、百メートル程度の距離から対物狙撃銃で撃つのも危ないと思うぞ」
「もう……あんたの好きにしなさい」
 諦めにも似た心境で、クキィはそう告げた。鉈を鞘に納め、拳銃をホルスターに納める。ガルガスが窮地に陥ったクキィを助けたのは事実だが、今の窮地を作り出したのもまたガルガスだった。ならば、この状況は当人が何とかするのが道理だろう。
「クキィ。ひとついいことを教えよう」
 しかし、ガルガスは聞いた様子もなく腕組みをする。
 ぐるりと周囲を見回してから、嬉しそうな笑みを浮かべた。
「ケンカは相手の人数が多いほど面白い!」
「………」
「というわけで、行くぜ。うおおおりゃあああああ!」
 無駄に元気な咆哮とともに駆け出すガルガスを眺め、クキィは頬に生えたヒゲを引っ張ってみた。痛みはあるので夢ではないらしい。
「でも、夢だったらいいなぁ」
 ただ、そう呟くしかなかった。

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閃光破
魔力を熱線と衝撃波に変換して標的へと叩き付ける攻撃術。術式が単純なため即座に使用可能で、威力や攻撃範囲の調整もかなり効くため、基本攻撃術として広く使われる。
攻撃時に爆音が響くのが欠点。
流派によって名前が違う。
難易度2〜

対物狙撃銃
13mm弾を使用する、長距離用狙撃銃。主に軽車両や建物を狙うことに使われる。長距離から人間の狙撃にも使われる。人間が銃弾を食らえば粉々になる威力だが、ガルガスは撃たれても痛いだけだった。

10/10/28