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第29話 冷たい空気


 しとしとと雨が降っている。
 窓から見える外の風景。いつもより灰色で、湿っぽい。
「寒いなぁ」
 台所の椅子に座って本を読みながら、僕は腕を撫でた。微かに鳥肌が立っている。前に最果ての果てに行った事があるけど、あれは寒すぎてかえって寒さが解らない。今は身に染みる肌寒さだった。
「雨の影響で気温が下がっている」
 テーブルに座ったまま、窓の外を見るイベリス。
 寝間着から普段着に着替えている。大きな三角帽子を被り、黒い上着とケープ、スカートという格好だった。傍らには鈍い金色の杖が置いてある。絵本に出てくる魔法使いのようだった。魔法の類は使えないようだけど。
「上着を羽織った方がいい。身体を冷すと風邪を引いてしまう」
 イベリスの赤い瞳が僕を見る。
 心配しているようなそうでもないような、事務的な口調だった。
 半袖の上着と茶色いベスト、灰色のズボンという秋服。それが僕の服装だった。涼しい時はいいけど、こう肌寒いとさすがに冷える。
 僕は本を置き、椅子から立ち上がり、クローゼットへと向かう。大きな木のクローゼット。僕がここに来た時からあるものだ。備え付けの備品らしい。
 扉を開けて、並んだ服を眺める。
「これでいかな?」
 取り出したのは長袖の上着だった。やや厚手の素地で、茶色に染めてある。僕の着ているベストに似た素材だ。ベストを脱いで上着を羽織る。うん、暖かい。
「これで、よし」
 ベストをハンガーにかけてクローゼットに戻す。これは後で洗濯しておこう。
 テーブルに戻ってから、読みかけの本に手を伸ばし、
「イベリスはその恰好で寒くない?」
 ふとイベリスを眺める。
 イベリスは両足を伸ばして腰を下ろしていた。ぼんやりと赤い瞳を窓の外に向け、両手で金色の杖を抱えるように握っている。何もせずにどこかを眺めている事が多い。袖から覗く腕や、スカートから見える脚やどこか寒そうだ。
 数拍置いてから、僕に顔を向けてくる。
「私はあまり温度差を感じない。多少寒くても、特に問題は――くしゅ」
 小さくくしゃみ。
 さすがに寒いらしい。
 でもイベリスは鼻を手で撫で、何事もなかったような顔をしている。
「見栄張らないの。おいで、イベリス」
 僕は両手を伸ばして、イベリスを持ち上げた。両手に掛かる、微かな重さ。硬貨数枚分だろう。大きさの割に軽い。まるで布でできた人形のようだ。それでいて、生物特有の柔らかさもある。不思議なものだ。
 感心しながら、僕は上着の胸元にイベリスを入れた。
「ここなら少し暖かいんじゃないか?」
 襟元から肩から上を出している。右手に杖を持ち、左手でずれかけた三角帽子を直した。羽は左右に広げている。
「ありがとう。暖かい」
 返事は淡泊だった。本人が暖かいと言っているので、暖かいのだろう。イベリスは嘘をつく事はない。言った言葉は本心だろう。
 僕は椅子に座り、本を手に取った。
「食べられる植物――」
 イベリスが表題を読み上げる。落ちないように三角帽子のツバを手で押さえ、僕を見上げてきた。感情は映っていないが、どこか不思議そうだった。
「食べるの? 私たちはここにあるものなら何でも食べられるのに」
「知っておくと便利かな、と思って」
 苦笑いとともに、僕は答えた。
 制限の無い食事。例え無機物質だろうと普通に食べられる。そのルール。それは、僕たちに"人"であることを辞めさせる試金石のように見えた。ここで食べ物以外のものを口にするのが、僕はちょっと怖い。
 ぞくり、と。
 背筋を撫でる寒さに、僕は肩を竦める。
「寒いな」
 襟元に入っていたイベリスが、上着から抜け出した。襟元を両手で掴み、自分の身体を外に引っ張り出し、四枚の羽を広げて空中へと浮かび上がる。
「でも、おかしい……。まだ、こんなに気温が下がる時期じゃないのに」
 赤い瞳を天井や床に向けていた。
 気温が下がってきている。さっきまではただ肌寒いだけだったのに、なんかはっきりと寒くなっていた。二、三時間で気温が一気に下がったような。
「ん――?」
 窓の外を見て、僕は瞬きをした。
 椅子から立ち上がり、窓辺まで移動。イベリスも一緒についてくる。
「みぞれになってないか、これ?」
 さきほどまで降っていた雨。それが少し大きくなっている。雨粒ではなく小さな氷と水の塊。地面におちた滴には、小さな氷の結晶が混じっていた。みぞれ。
 みぞれが少しづつ固まっていくように思えた。
「雪? 雪にはまだ早いのに……どうして?」
 イベリスが窓の外のみぞれを見ている。
 従者であるイベリスには、この最果ての気候が知識として存在するらしい。その知識では雪が降るのはもっと遅く。なのに、既に雪が降り始めようとしている。
 ……異常気象ってヤツかな?
 他人事のように考えていると、入り口のドアがノックされた。
「おーい、ハイロ、いるかー?」

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11/10/11