Index Top サイハテノマチ

第11話 紫と黒と


 最果ての最果てから森へと戻った四人――三人と一匹。
 家へと戻るハイロとイベリスを見送ってから、クロノはシデンを乗せたまま手頃な草地に歩いてきた。午後の日の光に暖められた草地。
「さすがに寒かった……」
 クロノは草の上に寝そべり、草と地面の暖かさを身体に染み込ませていく。芯に伝わる暖かさが心地よい。自分で考えていたよりも、冷えているようだった。
 土と草の匂いが鼻をくすぐる。
「もう歩かないノ? お散歩は終わり?」
 小さな手でぺしぺしと頭を叩きながら、シデンが訊いてくる。
 しかし、クロノは耳を振って前足に顎を乗せた。完全に寝る姿勢である。
「しばらくここで身体暖める。興味本位とはいえ、あんな寒い所行くもんじゃないな。俺は狼だから、服着てないし……毛皮はあるけど、寒いもんは寒いんだ」
「そう」
 呟きながら、シデンがクロノの背中から降りた。小さい体格のため、それほど重くはないが、背中から降りられると少し寂しい。
「なら、ワタシは一人でお散歩ニ――」
「行くなって……」
 言いながらクロノは素早く頭を上げた。歩き出したシデンのコートを咥え、引き戻す。ここでどこかに行かれたら、夕方まで探し回るはめになるだろう。今朝のようにすぐに見つけられたのは、運がいい。
 引っ張られるままに蹌踉めき、シデンは尻餅を付いた。
「従者なら主の側にいろって、イベリスに注意されたからな。お嬢をほったらかしにしているのは、職務怠慢だとさ。だから、これから少し厳しくしようと思う。少なくとも、俺の見てるところで行方不明にはさせない」
「あの妖精は真面目な子。あなたとは違ウ」
 そう言いながら、シデンがクロノの身体によりかかった。ソファに座るように体重を預ける。毛皮の上から、コートの冷たさが伝わってきた。
 暖かな地面と、ひんやりと冷えたシデンの身体。
 咥えていたコートから口を放し、クロノは小さく鼻を鳴らす。
「それじゃまるで、俺が不真面目みたいじゃないか……」
「あんまり真面目じゃなイ」
 シデンの言葉は正直だった。
「ちくしょう……」
 顔を隠すように前足を鼻の上に乗せ、クロノは目を閉じる。
 自覚が無いわけではないが、真正直に指摘されるのは傷つく。シデンが無遠慮に何でも言ってしまうのは、今に始まったことではないが。
 慰めのつもりか、ぽんぽんとシデンが肩を叩く。
 クロノは手を下ろした。地面を掃くように尻尾を振りながら、
「で、お嬢はどう思う。あの新入り?」
 ハイロ、昨日から森に住むようになった人間の男。髪の毛が灰色だからハイロらしい。最果ての森に来た者の例に漏れず、この森のことを調べようとしている。そして、重要なことは何も分からず諦めるのだろう。
 シデンは黄色い右目を持ち上げ、
「乗り心地は八十五点」
「基準はそこなのか……」
 顎を地面に落とすクロノ。耳を伏せる。
 地面に手を付いてシデンが立ち上がった。クロノの首の辺りの毛を右手で掴んでから、地面を蹴って背にまたがる。人形のような見た目と大きさの小さな少女。クロノの背に乗るには丁度いい大きさだ。いや、クロノがシデンに丁度いい大きさなのだろう。
 シデンは左手で背中の毛を梳くように撫でている。
「あなタは九十八点」
「それは素直に喜んでおくべきなのか?」
 組んだ両手の上に顎を乗せた姿勢に戻り、クロノは訊き返した。暖かな空気と地面。鼻を撫でる柔らかな風に眠気が浮かんでくる。
「誇っていイ。あなたは最高得点」
「ありがと」
 クロノは短く礼を口にした。
「時々ワタシも考えル」
 背中のシデンが思いついたように口を開く。
「この最果ての外の外は、どうなっているのカ? あの雪の壁の向こうにハ、一体何があるのか、ここに来た時からずっと気になっていタ」
「俺も気にならないと言えば嘘だな……」
 クロノは耳を動かした。雪の音を聞くように。
 この最果ての地を包む猛地吹雪。人が出るのも来るのも阻んでいる。しかし、どういう原理か、この人が住むに適した環境の場所があり、そこには大勢の人が住んで生活をしていた。森の住人と街の住人。なぜそうなのかは誰も知らない。
「いつになるか分からないけド――」
 言いながら、シデンはクロノの背中に身体を伏せた。両腕を首に回して、クロノの頭の上に自分の頭を乗せる。どこかおんぶのような姿勢。
 クロノの耳に囁きかけるように、シデンが続けた。
「イつかあの雪を越える方法を手に入れたラ、ワタシは外の世界に行ってみようト考えていル。あの吹雪を越えて、その向こうへ」
「おいおい……。死ぬぞ、それは」
 軽い頭痛を覚え、クロノは軽く首を振った。
「今じゃなイ……。ずっと先、遠い未来のお話……」
 シデンが訂正する。この森にも街にも、地吹雪の雪原を越える方法は存在しない。だが、それは今の話。未来永劫存在しないわけでもないだろう。その未来が、十年後か、百年後かは誰にも分からない。
「その時は、アナタも一緒に来てくれる?」
「返答に困ることを訊くな」
 クロノは目を瞑って答えた。
 くぅ、と気の抜けた音。
 シデンが身体を起こす。
「お腹空いタ」

Back Top Next