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第9話 西の果てへ


「この森の果てに行くにハ、この道を進むのが一番速イ……」
 僕の肩に乗ったシデンが、淡々と呟く。
 横では、イベリスを頭に乗せたクロノが足音も立てずに歩いていた。イベリスは金色の杖を両手で抱えたまま、辺りに目を向けている。
「道っていうのかな? 獣道みたいだけど」
 自分たちが歩いている道のような場所を見下ろす。下草の生えていない箇所が真っ直ぐ続いているだけだ。これを道と呼ぶのは、かなり無理がある。獣道と表現するのが一番正しいだろうか?
「十分道だと思うけド……」
 僕の意見に、シデンが首を傾げる。見てはいないけど、首を傾げるのが分かった。無感情な声で、本気か冗談かは分からない。おそらく本気だ。
 ゆっくりとため息をついて、クロノが首を左右に振った。
「お前が正しい。お嬢は気が向けばどこでも歩くから、道の基準が普通と違う……。森の中歩いてるならまだいい方だ。時々木に登ったりしてるしな。しかも、結構な高さまで登るし……。俺は狼だから木登りできないってのに……」
 後半はただの愚痴になっている。
「木に?」
 僕は肩のシデンに問いかけた。
 さっきも僕の肩にあっさり登っている。身体が小さい分、標準サイズの僕よりも身軽なんだろう。でも、木登りというイメージはない。
「お散歩は楽しイ。木登りモ楽しい」
 シデンはそう答えてから、
「でも、飛べるともっと楽しいと思ウ」
 クロノの頭に座っているイベリスに顔を向けた。
 妖精であるイベリスは空が飛べる。どういう原理かは僕も知らないけど、見る限り自由に飛べるようだった。それは素直に羨ましい。
 イベリスが自分の背中に生えた羽を見る。淡い金色の四枚の羽。
「確かに飛べるのは便利かも。行こうと思えばどこにでも行けるから」
「どこにでも行かれたら、俺がさらに困るだろうが……」
 沈痛な面持ちで、クロノが呻いた。尻尾を力無く下げている。普通に歩くだけでも頭を痛める放浪癖に、飛行能力が備わったら打つ手無しだろう。
 イベリスは頭に乗せた三角帽子のつばを動かし、
「でも、小さいのは不便。重いものを持ったり、遠くに行ったり出来ないから。従者の仕事を満足にこなせない。私が別の身体になることはできないけど、あなたくらいの大きさは欲しいと思う」
 と、シデンを見る。
 そういえば、イベリスは自分が小さい事気にしてたな。でも、気にしている割には、一人でヤカン持ったりと色々出来る。体格の割に力はそれなりにあるようだし。
「イベリスはしっかり働いているよ」
「ありがとう」
 僕の言葉に、イベリスがお礼を言う。小さく微笑んだように見えたのは、僕の気のせいだろうか? 残念ながら気のせいだろう。
 僕の足とクロノの足が地面の草を踏む僅かな音が聞こえる。
 シデンが口を開いた。
「あまり大きくても困るかモ」
 イベリスの小さいと困るに対する返事だと思うけど、何が困るんだろう?
 僕の疑問に答えたわけではないだろうが――シデンは右手で僕の頭を撫でた。
「乗れなイ」
 あぁ、確かに……。
 クロノの頭に乗っているイベリスも、頷いていた。
「それはあるかもしれない」
 左手で髪の毛のようなたてがみを撫でている。狼であるクロノは歩いてもあまり頭を揺らさない。イベリスが不快に覚えるほどの揺れはないようだった。
 何でだろう? そこはかとなく敗北感が……。
 こっそりと肩を落としてから、僕は不意に肩をすくめた。
「なんか、少し寒くなってないか?」
 今まで気にしていなかったけど、気温が下がっている。森の中は半袖でいて心地よいくらいの気温なのに、今は肌寒くなっていた。
 僕たち少し開けた場所にたどり着く。
「空見てみろ」
 クロノに言われ、僕は空を見上げた。
 木の枝葉の隙間から見える空。森の中で見上げた時は、晴れていたと記憶している。空の様子は知らぬ間に、変わり果てていた。
「雲行きが怪しい……」
 空を覆っているのは、手を伸ばせば届きそうなほどに低くたれ込めた灰色の雲である。それだけではない。南から北に向かって、物凄い速さで流れていた。上の雲とは別の方向へと流れている千切れ雲。まるで台風の時に見える積乱雲だ。
「なかなか、珍しい雲の動きね」
 空を見上げ、イベリスが感心している。
 シデンも空を見上げていた。
「この空を見るのハ、楽しイ……」
 クロノはその場に腰を下ろし、後ろ足で首元を掻いた。
「最果ての果て。この"最果て"の周りは、猛吹雪になってる。いや、猛地吹雪か。ここの外には近づくことはできるけど、出るのは無理だ。生身じゃ遭難する」
 なるほど。外に行けば行くほど気温は下がり、天候も荒れてくるということか。
 ま、ここで大人しく引き返すのが良策なんだろうけど。
「ここの外ハ、雪がとってもきれイ」
「後学のためにも、見ておいた方がいいかもしれない」
 シデンの呟きに、イベリスが頷いた。感情の映らない赤い瞳を僕に向けてくる。淡々としたジト眼だというのに、言いたい事ははっきりと分かった。
 最果ての果てを見てみたい。
 僕はクロノに目配せをする。
「見るだけなら大丈夫だ」

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