Index Top サイハテノマチ

第4話 隣のオオカミ


「俺はクロノ。よろしく」
 椅子の上にお座りの姿勢を取っている狼。
 家に入ってくるなり、慣れた仕草で椅子を咥えて後ろに引き、その上に飛び乗っている。その仕草は狼というよりも、狼の姿をした人間だった。
「クロノ……さん?」
「クロノでいい」
 戸惑う僕に、尻尾を動かしながら慣れた声を掛けてくる。
 その言動の年齢は、僕より一世代上くらいだろうか? 人間でいうと二十代後半くらい。狼の外見年齢というのも分かりにくいし。ついでに、お互いに初対面だというのに、不思議と初対面な感じがしない。
 イベリスが杖の先で帽子を持ち上げ、台所に眼を向ける。
「とりあえず、お客様にはお茶を出しましょう」
「お茶って言われても……」
 台所を見回しつつ、僕は頭をかいた。
 お茶を出す以前に、お茶があるのかも分からない。なにしろこの家に来たのは、数分前なんだから。まだどこに何が置いてあるのかも確かめていない。
 クロノが右前足を上げ、棚を示した。
「茶ならそこの引き出しの二番目に入ってるぞ。あと、ヤカンはそっちの棚。ティーポットはそこの上、カップとかも一緒に入ってるだろ?」
 と、順番に示していく。
 言われた通りに、僕は引き出しを開けた。そこにはガラス瓶に入ったお茶が数種類収められている。何で……? それから、棚からヤカンを取り出し、ティーポットとティーカップ、ソーサー、トレイを取り出した。クロノの言った通りに全部入っている。
「お湯沸かしてくる」
 杖を背負い、イベリスがヤカンを持ち上げ流しへと飛んで行った。一度ヤカンを置いてから、蓋を取り水道の蛇口を捻って中に水を入れる。ある程度水が入ったら、水を止めてヤカンに蓋をした。水の入ったヤカンをコンロに乗せ、火を付ける。
 身体が小さいから大した事はできないって言ってたのに、意外と働き者……。
 イベリスの動きに見入ってた僕は、我に返ってクロノに向き直った。
「何で道具の場所知ってるんです?」
「ここの荷物を置いたのは俺たちだからな。知ってるのは当然だよ」
 後ろ足で首もとを掻きながら、クロノは素っ気なく答えた。
 なるほど。自分で家具とかを置いたなら、何がどこにあるのか分かって当然だ。分かってしまえば、どうってことのない疑問。でも、気になることがひとつ。
「たち、って?」
「俺の主のお嬢だ。隣ってことで教授に頼まれた」
 その答えは多分予想していたものだ。クロノの主人。少なくとも人間か、それに近い何かだろう。一匹の犬……じゃなくて狼が、日用品を整える姿というのも想像できない。
 白い眉を微かに動かし、イベリスはクロノを諫めた。
「従者は主と一緒にいるもの。そういう決まりなのに、なぜあなたは一人なの? 従者としての職務怠慢は良くない」
 そう言いながら、身体は別の動きをしている。ポットの蓋を開け、中にお茶を入れていた。人間には届かないみたいだけど、小さな身体の割にかなり力はあるようだ。
「俺に言うなよ……」
 横を向いてぼやくクロノ。従者としての役割を果たせていない自覚はあるらしい。右前足で耳の後ろを撫でてから、
「さっきまで背中に乗せてたんだけど、気がついたらいなくなってて。眼を放すと、すぐどっかに行っちまう……。放浪癖っていうのかなァ? いなくなってもそのうち帰ってくるから大丈夫だけど。世話が焼ける。はぁ」
 愚痴ってからため息をつく。
 内容はどうでもいいけど、気になる言葉があった。
「背中に乗せてた……って?」
 クロノの体格は大きいけど、大人が乗れる大きさじゃない。それに乗れるってことは、子供? お嬢って呼んでるから、女の子かな?
 考え込む僕を観察するように、クロノは黒い瞳を細めている。
「ふむ。あんたは割と"普通"なんだな。と、沸いてるぞ」
 沸騰するヤカンを前足で示す。やっぱり、人間臭い……。
 僕はヤカンを火から下ろし、火を止める。中身のお湯はお茶三人分くらいだろう。イベリスは必要なだけしか水を入れなかったらしい。
 お湯をポットに注ぎながら、僕は尋ねた。
「何ですか、普通って……?」
「この最果ての森に来るのは、人間だけじゃないってこと。お嬢は俺の背中に乗れるくらいの小人だ。小人っていっても、そっちの妖精の女の子ほど小さくはないけど。身長は六十センチも無いよ」
 僕は近くに浮かんでいるイベリスを見る。
 赤い瞳で無感情に見返してくるイベリス。身長はおよそ二十センチくらい。三角帽子のせいで、もう少し高く見えるけど。身長六十センチ弱、イベリスの三倍弱。僕の三分の一くらいか。なるほど、僕の思考はは確かに普通だ。
 カップにお茶を注ごうとして、僕は動きを止めた。
「カップで大丈夫だ」
 言われた通りカップにお茶を注ぎ、ポットを置く。
 お盆にお茶を乗せてから、テーブルに戻り、僕はお茶を順番にテーブルに並べた。クロノの前、僕の席の前、イベリスの前に。それから、席に着く。
 イベリスがテーブルに降り、杖を下ろした。どういう仕組みなのか、横向きのまま空中に固定される杖。そこに腰を下ろしている。椅子代わりのようだった。
「じゃ、遠慮無く頂くわ」
 首を一度縦に動かしてから、クロノは両前足でカップを器用に掴み上げる。そのまま中のお茶を口に流し込んだ。淹れ立ててかなり熱いはずなんだけど、その辺りは気にしないらしい。ほぼ一口で全部飲んでしまっている。
 カップをソーサーに置き、右前足で口元をぬぐった。
「やっぱり実は人間ですか?」
「いや、多分狼だ。あと、犬じゃないからな」
 僕の問いに前半は曖昧に、後半はきっぱりと答えてから、椅子から飛び降りた。
 すたすたと入り口の方へと歩いていく。軽く床を蹴って飛び上がり、ドアノブを咥えてドアを開ける。その動作はやはり狼の姿をした人間を思わせた。
 家を出る前に、クロノが肩越しに振り返ってくる。
「ま、気になったから見に来たけど、特に困るような事はないな。何か分からない事があったら、気軽に声かけてくれ。俺は今日は隣にいるから」
 そう言ってドアの隙間から滑るように外に出て行った。
 パタン、とドアが閉まる。
「お茶にしましょう」
 イベリスが両手でティーカップを持ち上げていた。

Back Top Next