Index Top 一尺三寸福ノ神 後日談

第45話 ある冬の日の夜


 蛍光灯の照らす室内。
 閉められたカーテンを少し開け、琴音が窓の外を見ていた。夜の九時。暖房の効いた部屋は暖かいが、肌を撫でる冷たさがある。外はかなり寒いだろう。
「今日は冷えるのだ」
 カーテンから手を放し、琴音が振り返ってきた。
 身長四十センチくらいの女の子である。見た目の年齢は十代後半くらい。赤いリボンで縛ったポニーテイルの銀髪、赤い瞳には気の強そうな光が映っている。赤い着物は、袖と胴部分が分かれ、隙間から白い襦袢が見えた。黒い行灯袴と足袋と草履。首には神霊と書かれた白いお守りを下げている。
 レポート用紙に走らせていたシャーペンを起き、一樹は眼鏡を動かした。レポートを綴じてから、窓を見る。
「一月の半ばだからね。それに、寒気が流れ込んでるって天気予報でも言ってたし。日本海側じゃ大雪降ってるし。暖房付けてても寒いよ」
 西高東低の冬型。寒気が流れ込み、日本海側では大雪。この冬一番の冷え込みである。日本海側は北海道から九州まで大雪とニュースになっていた。
 ようするに寒い。
 フローリングを琴音が歩いてくる。
「オレはまだ本物の雪を見たことないのだ。小森一樹、お前は見たことあるのか?」
 机の横まで歩いて来てから、床を蹴った。
 猫のような俊敏さで跳び上がる。一樹が座っている椅子の縁を蹴ってから、机の縁に腰を下ろした。机に置かれたレポート用紙と参考書を見て少し眉を寄せる。
 一樹はカーテンを見た。今日も天気は晴れである。
「今年はまだ見てないけど、雪なら何度も見てるよ。関東地方は滅多に降らないけど、それでも年に二回くらいは降ったりするからね」
「むぅ。降るだけではつまらないのだ……」
 銀色の髪を手で梳き、両足を動かしている。
「積もるのは数年に一回くらいだね。二年前だったかな? 二月に大雪が降ってね。窓を開けると、静かな白と黒の世界。あれはきれいだった。でも、交通機関が止まったり寒かったり、大変だけどね」
 左手を持ち上げ、一樹は笑った。
 冬の太平洋側は毎日晴れだが、雪が降るときは降る。単純に降るだけなら年に一回か二回かはあるだろう。積もることは少ない。数センチ以上の積雪は数年に一度。一樹の記憶にある大雪は四回だった。
 琴音は両腕を組み、目蓋を少し落とし、赤い瞳を一樹に向ける。
「羨ましいのだ……。積もった雪は、オレも見てみたいのだ。写真やテレビじゃ見るだけじゃ、つまらないのだ。でも、さすがに雪は降らせられないのだ……」
 自分の手を見つめた。
 琴音の話によると、空の神ならば自由に天候を操れるらしい。積もるほどの雪を降らせることも可能だろう。人間にも天候操作ができる者もいるとかいないとか。一般人には想像が付かない世界だ。
 一樹は眼鏡を動かし、天井を見る。
「積もった雪見るなら、山の方に行かないと」
 この時期、少し高い山に行けば大抵雪が積もっている。
「山……」
 琴音は瞬きしながら、そう呟いた。
 それから、小さく吐息。肩を落として呻く。
「そういえば、あのアホ狼は山神なのだ」
 琴音がアホ狼と呼ぶ、山神の大前仙治。鈴音琴音の依代であるお守りを作り、紆余曲折あってそれを一樹に渡した男。山神の仕事は霊的な意味での山の管理らしい。私用などでこっちに出張に来ることもあるようだった。
 一樹も何度か直接話をしたり、手紙のやりとりをしたりしている。
「茨城の山奥って聞いてたけど、そっちなら積もってるんじゃないかな?」
 頭の中に北関東の地図を広げ、空気の流れを予想する。福島県や栃木県に近い山なら、豪雪というほどではないが、十分雪は降るだろう。
「雪の写真送って欲しいって連絡入れれば送ってくれるかも。……あの人のことだから、雪を箱詰めにしてクール便で送ってきそうだけど」
 そう苦笑いをした。思いついた事をそのまま実行してしまう。仙治はそういう性格だと、一樹は認識していた。それで余計な災厄を招きやすいようだ。
 琴音は腕組みをしたまま、仰々しく頷く。
「やりそうなのだ。というか、絶対やるのだ」
「雪は気長に降るまで待つしかないよ」
 一樹はそう言って、窓を指差した。
 冬になれば一回くらいは降るものだ。運が良ければ、いや運が悪ければ大雪となって交通機能が止まったりする。一樹たちは大人しく待つしかない。
「分かったのだ」
 琴音が頷く。
 一樹は時計を見た。午後十時半。レポートはおおむね終わらせたし、今日は急いでやることもない。明日はいつも通りの予定だ。
「そろそろ寝ようか」
「寝る時間なのだ」
 呟いて、琴音がリボンを外した。結い上げていた銀髪が、背中に流れる。微かな音が聞こえた。解いたリボンを袖に閉まってから、両手を持ち上げる。
 一樹は琴音の腋に両手を差し入れ、人形のような身体を抱え上げた。小さく軽い身体である。重さは一キロもない。柔らかく暖かい抱き心地。
「ぬいぐるみみたいだよな」
「オレはぬいぐるみじゃないのだ」
 一樹の呟きに、琴音がそう言い返した。

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11/12/28