Index Top 一尺三寸福ノ神

第20話 季節の変わり目


 ピピピピ……。
 ベッドに腰掛けたまま、一樹は腋から体温計を取り出した。
「37.8度。やっぱり風邪だね」
 小さな液晶画面に移った数字を読み上げる。
 十月から十一月にかけての季節の変わり目。この時期は気温の上下が大きくなるので、風邪を引く人が多い。一樹も見事に風邪を引いてしまった。親には風邪の事は伝えてあり、大学を休むことも伝えておいた。
「大丈夫なのですか、一樹サマ?」
 ベッドの横に座ったまま、鈴音が不安げに見上げてくる。
 一樹は口端を持ち上げ、軽く鈴音の頭に手を置いた。柔らかな黒髪を撫でながら、安心させるように告げる。
「大丈夫だよ、ただの風邪だから。んっ……げほ……。長くても明後日までには治っていると思うし。とはいえ、ちょっと熱が高いから病院行くべきかな?」
 喉をさすりながら、一樹は天井を見上げた。症状は喉の痛みと咳、発熱に軽い頭痛、倦怠感。喉から感染したのだろう。風邪としては普通だが、症状はやや重い。ただ寝ているだけでは、明日も休むことになるだろう。
「お医者様の診断を受けるのですか?」
「うん。少し寝てから近所の病院行ってくるよ」
 言いながら、一樹は毛布を持ち上げベッドへと潜り込んだ。病院までは歩いて十分ほど、自転車で行けば五分も経たずに着く。さすがに出歩けないほど症状は重くない。
 鈴音が枕元に正座をした。膝の後ろに手をやり緋袴の裾を少し上げながら、その場に両膝をつく。両手を膝の上に置いて、
「ということは、注射をされるのですね?」
 黒い瞳にきらきらとした輝きを灯し、真顔で訊いてくる。
 一樹は自分の額を撫でつつ、苦笑いを見せた。窓から差し込んでくる午前中の日差し。昨日はかなり冷え込んでいたが、今日は晴れて気温は上がるらしい。
「何か嬉しそうだね……」
「それは一樹サマの思い込みなのです」
 断言する鈴音。もっとも、説得力はない。
 言い返すのも不毛だと思い、一樹はその事については何も言わないことにした。質問に対しての答えを口にする。
「これくらいじゃ、注射はされないよ。インフルエンザにかかって39度以上熱出れば話は別だけど、これくらいじゃ風邪薬貰うだけだよ」
「残念なのです」
 鈴音が肩を落とす。へなりと傾くアホ毛。本気で残念がっているようだった。
 一樹は布団から左手を出し、鈴音の頭に乗せる。
「そう言うなら鈴音が注射して貰えばいいじゃないか。医者のツテが無いわけでもないし。予防接種ってことでプスッと」
「な、何を言っているのですか、一樹サマは……!」
 わたわたと両手を動かし、鈴音が慌てていた。腕の動きに合わせて、白衣の袖が揺れている。自分が注射されるのは嫌らしい。
 鈴音の頭から手を離し、一樹は天井を見上げた。
「頭が熱い……」
「それならワタシに任せて欲しいのです」
 その場に立ち上がり、自分の胸に右手を当て、鈴音が元気よく言い切る。何か思いついたらしい。もっとも、さほど期待はできないだろう。
 一樹が見ていると、鈴音は両手を胸の前で向かい合わせた。
 両手で印を結ぶ。印については知らないが、それほど複雑なものではない。数は三つ。術を使うには印を使うと言っていたが、実際に印を結ぶのを見るのは初めてだった。
「冷気の術なのです!」
 鈴音が右手を振り上げると、手の平に生まれる青白い光。雪のように小さな氷の結晶が光の周囲を舞っている。術で冷気を作り出したようだった。
 その青白い光を差し出してくる。
「これで、頭を冷やすのです。効果はばっちりなのです!」
「………」
 一樹はそっと右手を伸ばし、慎重に冷気に触れてみた。何もない空間に冷気が凝縮している。核になるようなものはなく、空気そのものが非常に冷たい。
 一樹は手を引っ込めた。指先を見つめながら、訊く。
「冷たすぎない? これじゃ、凍傷になりそうだけど」
「そうなのですか?」
 訝しげに応じてから、鈴音は無造作に冷気に左手を突っ込んだ。
「ッ!」
 目を丸くして手を引っ込める。
 同時に冷気が霧散した。集中が切れたせいだろう。だが、それはどうでもいいことである。氷よりも冷たい冷気に無防備なまま左手を突っ込んだのだ。
 鈴音は赤くなった左手を見つめながら、涙声で呻く。
「痛いのです……」
 一樹は仰向けの体勢から、身体を傾け鈴音に向き直った。冷感が麻痺して痛覚しか働いていないのだろう。ため息をついてから、両手を差し出し、右手を軽く動かす。
「僕の手に、鈴音の手を乗せて」
「はいなのです」
 素直に頷き、鈴音はその場に正座をした。今度はただ足を折り曲げただけである。袴をただす余裕はないのだろう。差し出された一樹の手に自分の手を乗せる。
 一樹は両手で鈴音の左手を包んだ。小さな手は冷たくなっている。
「凍傷にはなってないと思うけど、確か治療の術は使えたよね?」
「一応使えるのです。切り傷くらいは治せるのです。本当は一樹サマのケガを治して上げたかったのですけど、自分の治療の方が先になってしまったのです……」
 一樹の手に包まれた自分の手を見つめながら、鈴音は無念そうに眉を下げた。役に立ちたいのに、逆に手間を掛けさせているのはもどかしいだろう。
 その姿を眺めながら、一樹はぼんやりと考える。
(鈴音って術自体使い慣れていないんじゃないか……?)
「うー」
 鈴音が一樹の手に自分の右手を乗せた。
 右手も冷気の術を作っていたせいか、ほんのりと冷たい。
「一樹サマの手、暖かいのです……」

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