Index Top 一尺三寸福ノ神

第14話 多分復活


 机の上に突っ伏している鈴音。
「うぅ……。か、かズき、サまァ……」
 両手両足を投げ出し、死にかけていた。凍えたように震える身体。光の消えた瞳からは微かに涙を流している。その姿は燃え尽きた灰を連想させた。息を吹きかけたら、そのまま崩れてしまいそうなほどに。
「やり過ぎたかなぁ」
 ベッドに座ったまま、一樹は頭を掻く。
 マニアックな数学や物理の話を一時間ほど、数式や写真や図を交えて無理矢理聞かせ続けたのだ。普通の大学生でも頭が痛くなるだろう。ましてや、鈴音は理系の話が苦手。精神的な拷問に近い。
「鈴音。……大丈夫か?」
 試しに声を掛けてみる。
「だいじょーぶなのです。サイン、コサイン、タンジェント〜♪ 人よ一夜にヒトミ頃〜♪ 人並みに奢れ〜や♪ 富士山麓オオム泣く〜♪ スイヘーリーベ、僕のフネ〜。すーがくは楽し〜いのですぅ……。あは、アはははハ……」
 虚ろな眼差しを空に向けたまま、鈴音は壊れた歌を唱っていた。痙攣しながら、乾いた笑みを浮かべている。自分が何を言っているのかも理解していないだろう。
 一樹はかぶりを振った。さすがにやり過ぎたと反省する。回復しないことは無いだろうが、しばらくはこのままだろう。
 それでも、興味本位で話しかけてみる。世間話でもするように。
「明日近所のホームセンターに買い物に行くんだけど、何か欲しいものある?」
 ピクッ。
 と鈴音の身体が跳ねた。震えが止まり、虚ろだった瞳に光が戻ってくる。どこかへ飛び去っていた意識が戻ってくるのが目に見えて分かった。
 十五秒ほどしてから、鈴音はその場に起き上がる。
「ワタシのお社が欲しいのです」
「今ぼくは物凄く感心している――」
 皮肉でも冗談でもなく、一樹は本心からそう口にした。
 今までの瀕死の状態はどこへやら、机の上に立ったまま腕組みをする。神妙な面持ちで、自分に言い聞かせるように口を動かした。
「やはり神様たるもの、自分のお社が欲しいのです。お社を持ってこそ、神は一人前なのです。神社みたいな大きいのは無理なのは分かっているのです。だから、小さな神棚が欲しいのです。ワタシの神棚なのです!」
 そう言ってからパンと自分の胸を叩く。
 どうやら、鈴音は祭られたいようだった。神のことは全く分からないのだが、そういうものなのかもしれない。本能、という言葉が頭に浮かぶ。
「神棚なら和室にあるけど」
 何となく言ってみる。一階の和室。丁度この部屋の真下辺りに神棚があった。家にあるものは、それだけである。あとは庭の隅に置いてある四角い石。親の話によると、そちらは氏神らしい。
「あれは天照大神の神棚なのです。ワ、ワタシみたいな下っ端の神が一緒に祭られたら、物凄いことになってしまうのです! それは絶対に嫌なのです」
 ぱたぱたと手を動かしながら、鈴音が騒いでいた。
 神棚にあるのは伊勢神宮の大麻である。神としてのレベルの違いなのだろう。思い返してみると、鈴音は神棚のある和室には入ろうとしなかった。
 鈴音は自分の胸に手を当てて、
「ワタシが欲しいのはワタシだけのお社なのです。ちっちゃいのでも文句は言わないのです。だから、ひとつ買って欲しいのです」
「でも、神棚って高いんだよな」
 一樹は眼鏡を動かし、ホームセンターの神棚置き場を思い出した。
 神具や仏具の類は総じて高い。どのように作られているかは知らないが、あまり使われないものなので、単価は高くなるだろう。神棚の類は覚えている限りでは、安いものでも五千円を越える。
 しかし、鈴音はぐっと拳を握り、
「ワタシの福招きと一樹サマの計算能力があれば、簡単に稼げるのです」
 黒い瞳を天井に向けて、言い切る。
 額を押さえてから、一樹は呻いた。
「ぼくはギャンブルやらないぞ……」
「それは残念なのです」
 肩を落として、両腕を垂らす鈴音。予想は的中だった。
 ギャンブルの才能があると言われることはある。だが、一樹自身は賭け事をする気は無かった。九十九回勝ち続けても、最後の一敗で全てを失うような文字通りの賭けをする勇気はない。何も賭けないゲームは行うが。
 鈴音がぽんと手を打った。
「なら、ワタシの福招きでスピードクジを当ててみせるのです」
 駅前にある宝くじ売り場のことだろう。普通の宝くじやロト6などから、その場で最大十万円の貰えるスピードクジまである。
 一樹は眉毛を下ろしながら、冷静に指摘した。
「それ、反動来るよね?」
 鈴音の福招きで、確率二割以下のことを引き寄せると、直後に反動がやってくる。今まで何度か試した結果、福に見合った反動が来ることが分かった。鈴音の力でどこまで大きな福を引き寄せられるかは不明だが、仮にスピードクジで一万円を引けば、一万円分の損失が出るのは確実である。
「大丈夫なのです。損をするのは一樹サマであって、ワタシではないのです!」
 得意げな表情のまま、鈴音は胸を張って見せた。それが本音らしい。
 こめかみの辺りを指で掻いてから、一樹は口を開いた。
「巨大数表示のためのクヌースの矢印表記」
「はゥッ……!」
 ぽてりと倒れる鈴音。効果は抜群だ。
 満足げにその姿を眺めてから、一樹はベッドから起き上がった。
「水飲んで来よ」

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参考 >>クヌースの矢印表記