Index Top 一尺三寸福ノ神

第5話 おやすみの時間


 時間は夜の十一時前。
 就寝前のトイレを済ませて、一樹は自分の部屋へと戻った。見慣れた自分の部屋。鈴音が来たこともあり、掃除をしておいたのできれいに片付いている。蛍光灯が部屋全体を白く照らしていた。十月も半ばで空気は肌寒い。
「戻ったよ」
「一樹サマぁぁ……」
 布団から顔を出した鈴音が、情けない声を上げている。目元には涙が滲み、身体は震えていて、誰が見ても怯えているのが分かった。
「一人は怖かったのですぅぅ」
「いや、ごめん。本当に。あんなに怖がるとは思わなかったから」
 苦笑しながら、一樹はそう言ってみる。興味本位でホラー系のアニメを見せてみたら、予想以上に効いてしまった。それほど怖い展開ではないのだが、この怯えよう。見終わった直後ほどではないものの、見ての通り今でも怖がっている。
 布団をかぶったまま、鈴音が怒ったように人差し指を向けてきた。
「一樹サマ! その言葉に全く反省の色を感じないのです! 笑いながら言っても説得力がないのです! いや、むしろワタシが怖がっているのを楽しんでいるのです。悪意を感じるのです。あなたは、酷い人なの――」
 パッ。
 という音が部屋に響いた。木の爆ぜるような、ほんの微かな音。
 鈴音は無言のまま布団から飛び出し、転がるように床を走り抜ける。長い黒髪が尻尾のように揺れていた。そのまま跳び上がって、一樹の胸へとしがみつく。本人の主張とは反対に、かなり機敏に動けるらしい。
 抱きついてきた鈴音が落ちないように、一樹は鈴音の背中を右腕で支える。人形のように軽く小さく、しかし生き物の暖かさと柔らかさを持った身体。
「な、何なのですか! 今の音は……!」
「ただの家鳴りじゃない? そんなに怯えるとないと思うけど」
 冷静な意見を返しながら、一樹はベッドへと向かった。音からして普通の家鳴りだろう。まるで見計らったように鳴るので怖いのだが、家鳴りというのはそんなものである。
 ベッドに腰を下ろし、一樹は宥めるように鈴音の頭を撫でた。
「それより、鈴音も一応神様なんだし。何でお化けが怖いんだ? ぼくはそういう事はよく知らないけど、祓ったりできるんじゃない?」
「ワタシは幽霊くらいは祓えるのです……。でも、怖いモノは怖いのです。生理的反応だから仕方ないのです。そもそも、妖怪とか幽霊とかはあんな風に人を怖がらせたりしないのです! 制作者はしっかりと情報収集をするべきなのです!」
 小さな手を握り締め、黒い眉毛をV字に傾け、半ばキレ気味に叫ぶ鈴音。恐怖を振り払うために、アニメに八つ当たりしているらしい。気持ちは分からないでもない。
 だが、一樹はマイペースに鈴音をベッドに下ろしてから、立ち上がって右手を伸ばした。蛍光灯から伸びる紐へと。
「じゃ、電気消すぞー」
「っ……待ってほしいのです。明かりはつけておいてほしいのです!」
 鈴音が挙手をしながら、要求を口にする。普段なら十時前には電気を消してしまうのだが、鈴音の頼みで就寝前の十一時まで付けっぱなしにいていた。
「駄目。それじゃ僕が眠れないって。明日は大学だから、十一時前には寝たいんだ。あんまり我が儘言うなら、ぼくが眠れるまで怖い話呟き続けるけど……」
「それは嫌なのです! というか、何の嫌がらせなのですか!」
 一樹を指差しながら、鈴音が慌てる。頬を流れる一筋の汗。
 しかし、一樹は笑いながら言い返した。
「冗談だ。それより、ぼくと一緒に寝るってのは本気なのか? 他に寝るところもないし、鈴音が寝られるような布団もないのは事実だけど」
 鈴音は一樹と一緒に寝ると昼間から言っている。主の側にいるのは守り神として義務らしい。追い払う理由もないので、何となく受け入れてしまった。
「ワタシは一樹サマと一緒に寝るのです。でも、ワタシが寝ている時にえっちなことしようとたら、厄招きをしてやるのです。ワタシの厄招きは強力なのです!」
「福の神が疫病神っぽい力を自慢するなって……」
 空笑いを浮かべながら、一樹は紐を引っ張った。蛍光灯の明かりが消え、部屋には豆電球の明かりだけが残る。一気に暗くなったことで、びくりと身体を震わせる鈴音。
「あ、あの、一樹サマ……」
 鈴音が両手で自分の身体を抱き締めながら、肩を丸めて、暗くなった部屋にせわしなく視線を向けていた。小動物を思わせる、どこかコミカルな仕草。
「寝る時はワタシをしっかり抱き締めていて欲しいのです。あと、お化けが出てきたらワタシの代わりに追い払って欲しいのです。普通の人間でも気合い入れて思い切り殴れば、幽霊くらいは倒せるのです。だから大丈夫なのです」
「はいはい」
 一樹は頷きながら、左腕で鈴音を抱え上げた。右手で布団をどかしてからベッドの中へと潜り込み、布団を戻す。部屋の空気の肌寒さが消え、暖かな布団の温もりが身体を包んだ。鈴音が潜っていたので、暖められているらしい。
 眼鏡を外して枕元に置いてから、鈴音を見やる。
「何だか抱き枕みたい」
 それは正直な感想だった。
 抱き枕としてはさすがに小さいし、無生物のように乱暴に扱えるものでもない。しかし、誰かと一緒に寝ているという奇妙な安心感がある。
 見下ろすと、目を瞑った鈴音。一樹の呟きに反応することもなく、静かに寝息を立てている。頬をつついてみても、反応がない。信じられない話だが、一分も経たずに寝入ってしまった。寝付きは異様にいいらしい。
「ぼくも寝るか」
 一樹はそう独りごちて目蓋を下ろした。

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