Index Top 一尺三寸福ノ神

第1話 小さな福の神


「朝なのです。起きるのです!」
 朦朧とした頭に、声は突然飛び込んできた。
 聞き覚えのない女の子の声。
「うん?」
 一樹はぼんやりと目を開ける。秋の朝特有の肌寒さと明るい日差し。思考を空回りさせつつ、右手を伸ばす。ベッドの横に置かれていたケースを掴み、蓋を開けた。中身の眼鏡を掛けると、視界の霞が取れる。
「朝っぱらから、何だ……?」
 わけが分からず、一樹は誰へとなく問いかけた。寝起きはいい方だが、無理に起こされるのは気持ちのいいものではない。上半身を起こして、欠伸をする。
 秋も半ばで空気は肌寒い。今日は日曜日。
「ようやく起きたのです」
 やはり聞き覚えのない声だった。テレビなどではない。
 一度欠伸をしてから、一樹は声のした方に目を向けて――
「……?」
 思考を止める。
 机の上に、それは佇んでいた。
 身長四十センチほどの小さな女の子。
 見た目の年齢は十四、五歳くらい。腰まで伸びた長い黒髪、気の強そうな顔立ちと黒い瞳。服装は白衣に緋袴、そして足袋に草履、いわゆる巫女装束だった。そして、お守りをひとつ赤い紐で首から下げている。
 女の子は腰に両手を当て、自信に満ちた微笑みを浮かべて一樹を見据えていた。
 視線を合わせること数秒。
「夢か……。早く起きないと」
 至って冷静にそう結論付けると、一樹は眼鏡を外して布団にくるまった。布団のぬくもりとともに、意識が遠ざかっていく。
「なぜそこで寝るのですか! ワタシを無視しては駄目なのです。これは現実、夢ではないのです。だから起きるのです!」
 ペシ。
 と鼻先を蹴られて、一樹は跳ね起きた。
「何だァ?」
 跳ねられた布団が落ちる。それほど痛くはないものの、指で弾かれたほどの痛みはあった。痛みよりも実際に蹴られたという驚きの方が大きい。
 視線を落とすと、布団の上に立っている女の子。
「……夢じゃない?」
「夢じゃないのです。現実なのです」
 やたら堂々と断言してきた。
 常識とかそういうものは色々横に置いておいて、目の前で起こっていることを現実と認識する。夢なら夢でよし、現実なら素直に認めよう。目の覚め具合からするに、夢ではなさそうだった。しかし、現実と認めるには躊躇がある。
 再び眼鏡を掛け、一樹は問いかけた。
「で、君何者?」
「よくぞ聞いてくれたのです」
 女の子は自分の胸に右手を当てて、ぐっと胸を張ってみせる。そこはかとなく膨らみが分かるほどの控えめな胸板。音もなく揺れる黒髪。小動物的な可愛さ。
「ワタシは山神の仙治サマに作られた福の神、鈴音なのです。昨日の約束通りあなたに小さな福を運ぶのです。というわけで、これからよろしくなのです」
「スズネ……。約束?」
 独りごち、一樹は思い返した。心当たりはある。
 昨夜遅く大学からの帰り道、泥酔していたおじさんを見つけた。本人曰く友人と呑んで羽目を外しすぎてしまったらしい。交番まで連れて行ったら、お礼ということでお守りを貰った。その後は気にせず帰宅し、眠ってしまったのだが――
「やっぱりこれだよな。信じられないけど」
 そのお守りが鈴音が首から下げているお守りだった。
 特別なものではない。神社で千円ほどで売っている普通のお守り。大きさは普通だが、小さな鈴音に比べるとかなり大きい。神霊と書かれた白い布袋に収められている。それを赤い紐で首から下げていた。
 常識では考えられないことを除けば、おおむね本当なのだろう。
 鈴音が見上げてくる。澄んだ黒色の瞳。
「ところで、あなたの名前を教えて欲しいのです。まだ聞いていないのです。一応ワタシの新しい主様なのですから、名前を知っておく必要があるのです」
「……ぼくは小森一樹だけど」
 微妙に視線を逸らしつつ、一樹は答える。色々気になることはあったが、それを口に出すことはできなかった。
 それを聞いて、鈴音は満足げに首を動かす。
「一樹サマ。いい名前なのです」
「うん。じゃ、そういうことでお休み」
 一樹は迷わず布団に戻った。眼鏡を取って目を閉じる。今日は日曜日、普段なら九時頃まで眠っているのだ。今はまだ七時過ぎ。起きるには早すぎる。もっとも、今回は現実逃避とも言えるだろうが。
 だが、鈴音の声が眠りを妨げる。
「寝ては駄目なのです。早起きは三文の得なのです!」
 ぺしぺしと額を叩かれて、一樹は目を開いた。
 鈴音が目の前に立っている。頭を手で叩いたようだった。小さな身体で力も弱いため、叩かれても痛くはない。しかし、眠りを妨げるのには十分である。
「寝かせてくれない?」
「駄目なのです」
 腕組みして即答する鈴音。
 現実逃避はさせてくれないようだった。

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