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第23話 ノノハ山山頂


 観測小屋から歩いて五分の山頂。強い風が吹き抜け、カイの焦げ茶色の髪とジャケットの裾を揺らす。
「うわ……」
 カイの手の平で、ミドリが感嘆の声を上げた。
 ノノハ山の頂上から見える風景。西を見れば雄大な銀嶺が並んでいる。東を見れば深緑の森と、緑色の草原が広がっていた。草原の遠くに、キリュウ市の影が見える。さすがに遠すぎて建物は見えない。南を見れば銀色の輝き。トウカ湖である。
「凄い、きれい……」
 カイは折畳み椅子の上にミドリを乗せた。雄大な風景に見入っていて、自分が椅子に移されたことに気づいていない。惚けたような、ちょっと間の抜けた顔。
「オレも初めて来た時は三時間くらい見入ってたけどな」
 苦笑しながら、カイは背負っていた画架を地面に置いた。野外で絵を描くための携帯用画架。美術委員会からの借り物。細い金属で組まれていて、携帯性と軽量性に優れる。脚を広げてから、折畳式のキャンバス台を広げた。
 背中に背負っていたM10号の水彩用木綿キャンバスを台に乗せて固定する。
「この構図はなかなかいいな。いい絵が描けそうだ。ミドリ、動かないでくれよ?」
 カイはベルトの筆記用具ホルスターから鉛筆を取り出す。
 向いている方向は南西。湖と山脈を背景に、椅子に座って風景を眺めているミドリを含める。キャンバスの左下からミドリが風景を眺めている構図。長い葉のような緑色の髪が風になびいている。
「あの帽子、外れないよな。顎紐あるわけでもないのに」
 カイはぼんやりと独りごちた。
 ミドリの頭に乗った麦藁帽子。ボーダーハットと呼ばれる形状で、材質は非常に細い麦藁っぽいもの。ただ頭に乗せているだけだが、風で飛んでいく気配もない。普通に外すことは出来るのだが。
「もしかしたら、身体の一部なのかもな」
「むぅ」
 小さく呻いて、ミドリは椅子から飛び上がった。今独り言に反応したわけではないだろう。カイの手元まで飛んでくると、差し出された左手の平に降りた。両手で自分の身体を抱き締めながら、一言。
「寒い」
「そんな恰好じゃな。さすがに寒いだろ。山小屋に戻るっていうなら、連れて行くけど」
 初秋の山頂。風も強いので、さすがに寒い。カイはリョウから借りた長袖のジャケットを着込んでいるが、ミドリは普段の緑色の半袖ワンピースだった。
「ううん、カイと一緒にいる」
「そうか。ならここに入ってろ、暖かいから」
 カイはミドリを懐に入れた。閉じたジャケットの胸元から、肩の上だけが出るように。ミドリは両手で襟に掴まっている。これならば寒くないだろう。
「うん、暖かい。カイ、ありがとう」
 嬉しそうに応えてから、ミドリはふと白いキャンバスを見つめた。
「でも、わたしが椅子の上に座ってないと絵が描けないよね。カイはいつもわたしを風景に入れて絵を描いているから。やっぱり戻ろうか?」
「大丈夫だ、さっきの構図は記憶してる」
 カイはくるりと鉛筆を回した。画家としての才能のひとつ、常人離れした記憶力。一度目に焼き付けた風景ならば一ヶ月は忘れずにキャンバスに再現できる。
 ミドリが驚いたように見上げてくる。
「記憶……してるの?」
「まあ、見てろって」
 口端を持ち上げ、カイはキャンバスに鉛筆を走らせた。

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