Index Top 第8話 不可解な私闘

第3章 古代精霊


 音が消える。動いていた空気なども止まった。葉月と敬史郎が警戒態勢のまま固まっている。白鋼自身以外のものは、全て停止している。
「さて、始めますか」
 空中に放り投げた大剣が、そこで動きを止めた。
 全ての因果が停止した仮初の世界。
 禁術・停時幻空界。草眞が欲しがっていた禁術・停時の完全系であり、時間停止の仮想世界を作り出す大術である。世界そのものに強く干渉するため使用者には極めて強い反作用が働き、力が弱ければそれだけで存在が消えかねない。
「そう気安く使える術じゃないですけど、背に腹は代えられませんしね?」
 白鋼は獣人に向かって両手でライフルを構えた。ストックを肩で支えて右手でグリップを握り、指をトリガーに掛けて左手で銃身を支える。正確な狙いは付ける必要もない。
 トリガーを引いた。
 静寂の世界で、音もなく大量の銃弾が放たれた。
 弾帯から銃身に装填され、撃針によって加薬の炸裂、銃弾を発射してから排出される薬莢。すぐさま次の銃弾が装填され、発射される。機関砲のような連続射撃。機関砲を改造した方が効率的だったが、作ってしまったものは仕方ない。
 空中に薬莢が飛び散り、地面に落ちる前に空中で停止する。
 放たれた銃弾が獣人の身体へとめり込んだ。だが、運動エネルギーを解放する一歩手前で止まっている。原因と結果が重なった偽りの世界。通常の時間の流れのように、原因がその結果を作り出すとは限らない。
 四百発の銃弾を撃ち切ってから、白鋼はライフルを上衣の袖に落とした。袖の内側に仕込まれた術式を介して、一時仮想空間へと格納する。
 次いで、両手で印を結んでから、白鋼は空中に浮かんでいた大剣を両手で掴んだ。再び仮の時間経過に移った大剣を引き寄せ、一言だけ呪文を口にする。
「夢幻一万刀――」
 幾重にも残像を作り上げる大剣。
 夢幻刃。具現化の術と砲華の術を組み合わせ、得物の数を一時的に増やす高位術だ。ただ、術力消費と手数から、普通は増やしても十刀。一万まで増やすことはない。
 この量は明らかに無謀であり、非常識である。
「この怪物を倒すには、常識とか危険性とか考えていられませんからね」
 自分に言い訳してから、白鋼は剣を振った。一万まで増えた刃が膨れ上がる。
 刀身の十倍以上もある、巨大な輪郭の刃。砲華の術と破空の術の応用である大牙。そのさらに上位系の剛牙だった。一撃に許容量限界の術力を乗せる破壊術である。
 一万の剛牙が、あらゆる方向からの獣人二体へと叩き込まれた。ガラスのような妖力の輪郭が獣人に激突し、エネルギー解放の一歩手前で停止する。
 夢幻一万刀・剛牙乱舞八千重桜――。
 大剣を左手で持ったまま後ろに下がり、白鋼は右手を前に突き出した。
「堅術・断空障」
 瞬時の術構成から、妖力の障壁を作り上げる。さきほど獣人の攻撃を防いだ断天壁よりも術の規模は小さい。それでも並大抵の防御術を上回る強度を持つ。
「これで足りるでしょうけど、果たして僕自身が耐えられるかどうか? でも、ま……何とかなるでしょう。多分」
 因果の壊れた仮想世界。そこでの攻撃は、解除と同時に全て重なって現れる。同様に、消耗も解除と同時に全て重なって現れるのだ。停止時間内では術や動きによる消耗は起こらない。だが、動き出した瞬間にその消費が一気に重なる。世界から受ける反作用同様に危険なのが消費の同時解放だった。
「そして時は動き出す……」
 停時幻空界の解除とともに、起こった現象全てが同時に解放される。


 銀歌は全身を総毛立たせ、眼を見開く。もう何度も繰り返した動作。
 白鋼が何をしたのかは分からなかった。
 前触れ無く起こる大爆発。衝撃波が地面を削り飛ばし、近くの瓦礫や木を根こそぎ剥ぎ取る。さきほどの雷炎の大砲をも上回る大破壊が、すぐ目の前で起こっていた。一瞬で半径二百メートルは消えただろう。余波の及ぶ範囲はさらに広い。だが、銀歌たちの居る方向へは爆風は来ない。
 いつの間にか現れていた透明な防壁が、爆風を防いでいた。走った位置より少しだけ後ろに下がっている白鋼。手に持っていたライフルが消えている。
 術の防壁の手前で、敬史郎と葉月が固まっていた。
 渦巻く爆発の中で、二体の獣人が砕け散る。
「何だ?」
 震える身体を抱きしめ、銀歌は息を呑み込んだ。
 画面の切り替えのように、一瞬で全てが終わっている。白鋼が何をしたのかも把握できなかった。だが、今の状況から想像が付かないわけではない。禁術・停時幻空界。おそらくは禁術によって時間を止めて攻撃した。
「う……、ぐッ……」
 白鋼の持っていた大剣が、地面に落ちて重い音を立てる。重量と衝撃に、真下にあった角材の破片が砕けた。白鋼が一度揺れて、そのまま横へと倒れていく。
「御館様、しっかりして下さい!」
 その身体を葉月が受け止めた。尋常でない衰弱である。支え無しでは立っていることもままならず、喋ることも出来ないようだった。か細い呼吸を繰り返しながら、口元に乾いた笑みを浮かべ、葉月を見つめ返している。
「禁術まで使ったか……。お前はどこまで鬼札を出すつもりだ。まさか、これで終わりではないだろう。一体何をしようとしているんだ?」
 厳しい表情で敬史郎が白鋼を睨んでいた。葉月のように白鋼を心配しているわけではないらしい。白鋼が非常識な手札を惜しみなく出しているこの現状に、緊張と焦燥とを覚えている。起こっている事が現実離れしすぎていた。
「無茶苦茶だ……」
 銀歌は正面に眼を向ける。
 二体の獣人を砕いた爆発も収まり、後には巨大なクレーターが残っている。防壁も消えていた。降り注ぐ土や瓦礫の破片。見た限り、妖狐の都の二割を壊している。このまま暴れれば都が壊滅するのも遠くはないだろう。
「妖力全部使って、薬で無理矢理回復させて、また全部使って……。もう回復は無理ですよ、白鋼さん? ここで強引に回復させたら、今度こそ死んじゃいますよ」
 いつになく神妙な顔で、銀一が唸っていた。医者としての表情を見せている。妖力の全消費から強制回復、再び全消費。死んでもおかしくはない無謀な行為だった。
 意味が分からない。
 腹の奥から沸き上がる、無性な苛立ち。銀歌は白鋼を睨み付け、叫ぶ。
「白鋼、お前は――何考えてるんだよ!」
「君たちが……逃げないからです」
 葉月の手を押し退け、ふらつきながら白鋼が振り返った。心配そうに見つめる葉月は、意識の外に押し出されている。その真紅の目は、銀歌と銀一の後ろを見ていた。
「もたもたしてるから……余計なモノまで来てしまいましたよ……」
「!」
 銀歌は前へと跳んだ。空中で前後を入れ替え、着地する。
「またかよ……!」
 銀歌たちから離れた所に、白い人影があった。
 男か女か分からない中性的な顔立ち。白く長い髪と黒い瞳。その顔は不自然なほど均整が取れていて、美しいと言うよりも不気味だった。身体を包むのは、白い衣服である。人間ではない。妖怪や神、精霊の類でもない。ヒトの姿を取った、異質な何か。
 月明かりの中、自ら発光しているかのように、くっきりと浮かび上がっている。
「どちら様でしょうか?」
 銀一がマイペースに問いかける。
 白い人影は答えない。別のことを口にした。
「これがお前が集めた候補者か」
 白鋼を見たまま、声を上げる。候補者、とは銀歌たちの事を示しているのだろう。無機質な声だった。声は聞こえているのに、口は動いていない。
「こいつは、古代精霊ってヤツか?」
「ええ。十八番古代精霊」
 銀歌の問いに答えながら、白鋼が一番前へと歩いてきた。動けるはずのない状態だというのに、不思議と元気そうに見えた。ロウソクが燃え尽きる寸前に勢いを増すという表現が当てはまりそうだが。
「こう見えて、世界中の人間から精霊まで……束になっても敵わない相手ですよ」
 言い終わった時には、白鋼が両手で無骨なライフルを構えていた。二十五ミリペイロードライフル。トリガーが引かれ、爆音とともに徹甲弾が発射される。
 だが、放たれた徹甲弾は精霊の身体に触れて止まっていた。当った気配もなく、防いだ気配もない。触れて止まったとしか表現のしようがない。そのまま地面に落ちる。効いていないどころか、意にも介されていない。
「その実力試させてもらう」
 精霊が銀歌、銀一、葉月、敬史郎を順番に見る。眼は動いていないが、見られたのがはっきりと分かった。身体を貫く、形容しがたい感覚。
(何だ……? 実力を試すって)
 精霊の言った台詞に、銀歌は嫌な予感を覚えていた。尻尾を左右に揺らす。候補者、実力を試す。そこから想像されるものは、お世辞にも感心できるものではない。
 白鋼がライフルをしまい、緩く両手を下ろす。
「これは僕が退けます。行ってください」
「世界全部が集まっても倒せない相手だろ?」
 その後ろ姿に、銀歌は皮肉るように声をかけた。世界全てが集まっても敵わない。想像を超えた相手に、たった一人で立ち向かおうとしている。それだけではない。立ち向かって、本気で勝つつもりだった。しかも、勝つことに何ら疑問を抱いていない。
 白鋼が振り向いた。場違いなほど明るく微笑みながら、
「そうですね。というわけで――」
 右手の人差し指を立てる。
「空術・空転移」
 その瞬間、視界が跳ね、重力が掻き消えた。

Back Top Next