Index Top 第7話 妖狐の都へ

第10章 夜へと向かう時間


 宿の一室。締め切られた十畳間である。入り口はひとつだけで、窓も何もない。部屋にあるののは大きな樫のテーブルと椅子のみ。部屋の名前は無いものの、宿の者の間では密談室と言われているらしい。
「先日、師団長がお前に駈り出されたらしいな」
 近くの椅子に座った敬史郎が、世間話でもするように言ってきた。カチカチと時計の秒針の動く音が妙に大きく響いている。現在時刻、午後八時四十分。防音処理のされた室内は、静かだった。
 テーブルに並んだ徹甲弾を確認しながら、白鋼は敬史郎を見やる。
 視線に気づいたのか、言葉を続けた。
「神代まで引っ張り出したと聞いたが」
「ええ、本来なら僕だけで片付けるつもりだったんですけど、病み上がりだったので増援を頼みました。一応秘密なのですが、どこから聞いたんです?」
「悪いがそれは言えない」
 予想通りの返答をしてから、跳ねた黒髪を撫でつける。
「ただ、どうやら今回駆り出されたのは俺のようだな。秘密裏の仕事に呼ばれて詳細は知らされないというのは、仕方ないとは思っているが。……そろそろ事情を話して欲しいものだ。これは、ほとんどお前の私事に近いものだろう?」
「そのうち分かりますよ」
 敬史郎の愚痴に、白鋼は答えになっていない答えを返した。敬史郎のような立場であると詳細を知らされぬまま仕事をしろと言われることもある。しかし、今回の一件はそういうこととは違っていた。
 木箱から取り出したライフルを、白鋼は左手で構えてみせる。グリップを握った状態で、二の腕にストックを引っかけるような構え。お世辞にも正規の構え方とは言えない。
「バレットXM109か。俺が言うものではないが、改造しすぎだろう。元の部品、バレル周りしか残っていないんじゃないか?」
 敬史郎が指摘してくる。
 口径二十五ミリの簡潔な構造の重装弾狙撃銃。通常の対物狙撃銃よりも銃身が短く、微妙に不格好だ。グリップやストックなど金属である必要の無い部分は、全てカーボンに交換してあり、本来マガジンを装填する部分は、機関砲のようなフルオート機構に交換してある。連射にも耐えられるように、銃身には術強化を施し、さらに冷気の術を応用した冷却機構も組み込んであった。
「銃の本体はつまりバレルです」
「好きにしろ」
 敬史郎の言葉は短かった。
 ライフルを動かしながら、白鋼は尻尾を揺らす。
「とはいえ、自分でもやり過ぎたと思っていますよ。これなら素直に機関砲持った方が効率いいでしょうし。でも、せっかく手に入れたものですし、改造自由の許可も貰ってますし、対物狙撃銃の片手連射は男のロマンですし」
 このような無茶な改造を施すならば、重機関砲を片手に持てるように改造すれば良かっただろう。重装弾狙撃銃を無理矢理機関砲に改造するのは、効率的ではない。それに術の補助無しにこのライフルを撃ったら、反動で身体が振り回されるのは確実だった。しかし、実行してしまったものは仕方ない。
 椅子から立ち上がり、敬史郎が口を開く。
「単刀直入に訊く。俺は誰を撃てばいい?」
「とりあえずは……」
 いくらか迷ってから、白鋼は銃口を壁に向けてトリガーを引いた。硬い音とともに撃針が空打される。整備状態は万全だった。静かに告げる。
「厄介者二人ですね」


 銀歌は誰もいない脱衣所へと入る。
 温泉の湿気が流れてくる、木作りの部屋。湿った空気を出すために換気はよくしてあるものの、やはり限度がある。それでも、黴が生えるほど手抜きはしていないだろう。裸足の足に、木板のほのかな冷たさが心地よい。
 宿に六ヶ所ある浴場のひとつだった。少人数で入るための小さな風呂。今は『貸切』の札がかけてあり、ここに入るのは銀歌だけである。誰もいないので、首輪を術で隠すことはしていない。
「さて、今夜何する気やら」
 銀歌は着替えようのカゴに入れられた巫女装束を眺めながら、ぼやいた。
 緋袴の帯を解いてから、尻尾を通している尻尾穴の結び目を解く。袴を下ろしてから、折りたたんで脱衣用のカゴに入れた。続いて脱いだ白衣と掛襟を順番にカゴに入れる。
「いつもながら子供だな……」
 ゆらゆらと尻尾を揺らしつつ、銀歌は身体を見下ろした。白いスポーツブラと、黒いスパッツ姿の狐の少女。大人特有のメリハリは無く、子供特有の平坦さが残っている。認めたくはないものの、小学生と言っても通用する体付きだった。
「あいつら本気でランドセル背負わせようとしてたし」
 教習所に通っていた頃に知り合った、美咲と莉央の二人組。あれから時々メールのやり取りをしたり、お互いに時間が空いている時は一緒に出掛けたりしている。その場の勢いで、コスプレさせられかけたり、小学生の恰好させられかけたりしているが、一応現在まで全て断っていた。今後のことは分からない。
 未来の不安から意識を逸らすように、銀歌は視線を下ろす。
「それにしても――」
 タンクトップ型のスポーツブラと、腰辺りから膝上までを覆う黒いスパッツ。
 軽く息を吸い込み、銀歌は左足で思い切り空中を振り抜いた。足を下ろして右拳を真正面に突き出す。相手の顎を蹴ってから、みぞおちを突く動き。
 女である以上、これだけの動きをすれば、多少なりとも身体が引っ張られるものだが、そのような違和感もない。下着類もぴったり身体にあっていた。
「縫製技術の進歩って凄いな」
 そう感心してから、銀歌はスポーツブラを脱ぎ、続いてスパッツとショーツを脱いで、それらをカゴへと入れた。取り出したバスタオルを身体に巻き付けつつ、首に嵌められた赤い首輪を引っ張る。
 外れない。
「日付変わるまでに外さないと、死ぬか」
 白鋼の言葉を思い出しながら、銀歌は入浴セットの入った風呂桶を手に取った。尻尾抜きの術でバスタオルを透化させた尻尾を動かし、温泉へと向かう。
 ぺたぺたと裸足が立てる足音。
 銀歌は左手で温泉へ続く扉を開けた。
 お湯の香りと、空気のほどよい冷たさ。広さは大体二十畳分くらいだろう。檜の床板と、檜造りの浴槽。正面は開いていて、外からの風が流れてくる。扉を含む三方が壁になっていて、天井もある半露天風呂だった。話によると、最近造られたらしい。
 入り口近くにかけてある手桶のひとつを手に取り、銀歌は足を進める。
「こういう風呂もいいもんだ。贅沢言うなら、完全な露天風呂行きたいけど」
 正面に広がるのは夜景。月明かりに照らされた緩やかな斜面と川が見える。昼間に入れば、妖狐の都の西に広がる山地の風景が見られたのだろう。
 バスタオルを取ってから、畳んで風呂桶へと入れる。
 手桶で湯船のお湯をすくい上げ、肩へと掛けた。身体を流れ落ちていく、ほどよい温度のお湯。白鋼の屋敷で入る風呂とは全く違う心地よさである。
「銀歌くん、もう来てたんですか」
「!」
 背後からかけられた声に。
 銀歌は弾けるように振り向こうとして――
 濡れた床に足を滑らせる。ついでに、湯船の縁に足を引っかけた。
「あ――」
 天井が視界に入る。それも半秒に満たない。
 大きな水音とともに、音が消えた。耳の奥に響く鈍い音。ゆらゆらと波打つ湯面に向かって、口と鼻からこぼれた息が湯の中を上っていくのが見えた。
(湯船に落ちた……!)
 脳内に弾ける危険信号。恐慌状態になりかけた意識を無理矢理元に戻しつつ、銀歌は足を曲げる。ここはただの湯船。深い池でもなければ、流れの速い川でもないのだ。冷静に対処すれば、それほど大したことでもない。
 湯船の底に足を突き、右手を伸ばして湯船の縁を掴む。
「おらぁ!」
 そのまま、銀歌は力任せに身体を持ち上げた。湯面から上半身を突き出し、頭を振って髪の毛や狐耳に絡み付いたお湯を飛ばす。勢いよく鼻息を吐いて、鼻に入ったお湯も吹き飛ばした。鼻の奥がやや痛むがそれは無視する。
 銀歌は左手を伸ばしてバスタオルを掴み、それで身体を隠した。
「大丈夫ですか、銀歌くん?」
 全く心配していないその言葉の主を、思い切り睨み付ける。
 全身に傷跡の見える背の高い銀狐の女。白鋼だった。尻尾は普段の一本ではなく、七本全部出している。身体をタオルなどで隠すこともなく、右手に風呂桶を持ったまま湯船に落ちた銀歌を見下ろしていた。なぜか感心したように。
「身体も洗わず湯船に入るのは、マナー違反ですよ」
 銀歌は深く息を吸い込んだ。みしと脳が軋むような音。
 左手でバスタオルを押さえたまま、右手の人差し指を白鋼に向ける。怒りの感情にまかせて、頭に浮かんだ言葉を思い切り叩き付けた。
「お前のせいだろうがッ!」

Back Top Next