Index Top 第7話 妖狐の都へ

第8章 秘密の調整会議


 空魔が咥えてた煙管を口から放し、誰もいない方向に向けて紫煙を吐き出した。尻尾を何度か動かしてから、座布団に座った白鋼を見つめる。
「……にわかには信じられないが」
「でしょうね」
 涼しげな表情のまま、白鋼が頷いた。この男は――今は女であるが、いつもこのような掴み所のない表情をしている。初めて会った時から変わっていない。
「でも、事実なのですね?」
 湯飲みを起き、雷伯はそう尋ねた。
 背の高い銀狐。妖狐族二位雷伯。銀色の髪を肩辺りまで伸ばした、真面目そうな壮年の男である。体付きはしっかりしていて、傍目には利発というよりも逞しいという印象が先に来るだろう。若竹色の上着に深緑色の袴という質素な恰好で、座布団に正座したまま眼鏡越しに白鋼を観察している。
「ええ、おおむね」
 空魔の屋敷の一室。そこにいるのは、空魔と白鋼、そして雷伯の三人だった。妖狐族族長と、次期族長候補最筆頭。そして、日本の裏世界の黒幕とも言える白鋼。
 場所は空魔の屋敷の一室である。隠し部屋のような場所で、他に人は入れていない。部屋を包むように、厳重な隔離結界も張られていた。
 雷伯は単刀直入に尋ねた。
「しかし、白鋼さん。何故、古代精霊に狙われているのですか?」
 白鋼が口にしたこと。やや長い話だったが、まとめると自分は古代精霊に命を狙われているとのこと。ここ最近国内で起こる原因不明のごたごたや、妖狐警衛隊内部の不穏な動きも、古代精霊が原因らしい。
「それは私事ですので、答えられません。ただ、そちらには迷惑をかけないように努力しますよ。……先日、派手に暴れましたけど。彼らが仕掛けてくるのは今夜です。明日には全部終わらせますので、妖狐族会議に支障は出ません」
「しかし、会議の途中に襲撃とは――」
 尻尾を一振りして、雷伯は吐息する。頭の痛い問題だった。
 努力するということは、裏を返せばある程度の被害は起こるということ。事実、今回の会議の周辺事情は、いつになく忙しいことになっていた。既に警衛隊十二班全員逮捕という自体も起こっている。
 白鋼は赤い瞳を天井に向けてから、
「攻撃される日程はもう決まっていたので、人気の無い所で迎え撃とうと思ってたのですが、急に会議に呼ばれまして。危険だとは言ったのですけど」
 と、空魔を見やった。
 白鋼を会議に呼んだのは空魔である。銀歌事件関係と、銀歌の身体を奪って妖狐になったことを理由に、白鋼の妖狐族会議参加の約束を取り付けた。白鋼を妖狐族会議に呼び出せたのは、大きな成果である。
 だが、同時に危険を呼び寄せたことでもあった。
 煙管を吹かしながら、空魔は言い切る。
「お前に厄介事色々押しつける絶好の機会だ。妖狐族だけでは片付けられない問題も多い。この機会を逃がすわけにはいかん。危険は承知の上だ。わしらも無策ではない。どのみち、お前なら本当に危険なことは力尽くで逸らすだろう?」
「ごもっとも」
 怒ることもなく、白鋼が笑った。一口お茶をすする。
 妖狐の都を危険に晒す不利益、白鋼を呼ぶことによって得られる利益。両者を天秤に掛けて、空魔は後者を取った。白鋼の対応を計算に入れた上で。白鋼が会議に出ると決めた理由のひとつも、その判断力を買ってのことだろう。
 雷伯に目を向け、静かに続ける。
「死者は出しませんよ。それは約束します」
「ありがとうございます」
 その言葉に、雷伯は頭を下げた。有言実行は白鋼の座右の銘であり、一度口にした言葉を曲げたことはない。たとえ、それが偶然に起因することだとしても。その信条と行動が、白鋼という者の真に凄い所だった。
 煙管を口から放し、空魔がすっと目を細める。
「ところで、白鋼。事が終わったら、わしと――」
「空魔殿」
 雷伯は強い口調で空魔の言葉を遮った。眼鏡越しに睨み付ける。
「先日同じこと言ってブレーンバスター食らったの、忘れましたか?」
 白鋼が復帰してきた頃、妖狐族会議に呼ぶ約束を取り付けた時だった。白鋼の帰り際に、空魔が口説きつつお尻を撫で、その直後にブレーンバスターが炸裂。空魔は一日寝込むことに。それを見ていた者から噂が広がり、今では笑い話と化している。雷伯にとっては頭の痛い話だった。族長に変な話が立つのは感心しない。今更すぎるが。
 煙管で灰吹きの縁を軽く叩き、燃え尽きた煙草を捨て、空魔が断言する。
「可愛い女がいたら口説くのは当然だ」
「そういうのはやめて下さい……。ただでさえ変な目で見られてるんですから」
 雷伯は硬い声音で諫めるが、空魔はしゃあしゃあと言い返してきた。
「雷伯よ、お前は生真面目すぎる。それが悪いとは言わないが、いずれ一族の上に立つものとして、柔軟性というものは必要だぞ?」
「それ以前に、僕は男に口説かれる趣味はありませんが」
 白鋼がきっぱりと釘を刺してくる。


 すっかり冷めたお茶をすすりつつ、銀歌は壁の時計を見やった。午後六時半。
 空魔の屋敷に白鋼を迎えに来てから、客間で待たされ二十分ほど経つだろう。白鋼は空魔を含む妖狐族の上役と打ち合わせ中らしい。表向きはそうなっている。
「遅いね、御館様」
 座布団の上に正座したまま、葉月が時計を眺める。
 銀歌は湯飲みを置いてから後ろに下がり、両足を伸ばして畳に寝転がった。さすがに、二十分も待たされると飽きてくる。術で隠した首輪を撫でつつ、
「本会議前の調整会議とか言いつつ、実際はただの飲み会らしいけど。時間取られるようなことはしてないはずなんだが……白鋼のヤツ、何やってるんだか?」
 空魔を含む妖狐族の上役十数人で集まり、明日からの会議について話し合う。それは三十分ほどで終わらせ、後は飲み会になってしまうらしい。飲み会と言っても、翌日以降に響くため軽く飲む程度とか。
「会議前に飲み会ってのも変な話だよね」
 葉月の言葉に、銀歌は人差し指で頬をかきながら、天井を見上げた。正論だろう。尻尾の先が左右に揺れている。自分も大昔にそんなことを考え、空魔に尋ねた。
「会議中は酒飲めないし緊張の連続だから、最後の気晴らしだと。爺さんが昔そんなこと言ってたわ。本末転倒っぽいけど、効果はあるらしい」
「そういうものかな?」
 半信半疑で、葉月は首を傾げる。黒髪が微かに揺れた。
 妖狐族会議、空魔を筆頭とする一族の上役は、ほぼ一週間一切気の抜けない日々が続く。会議前に少し息抜きしておかないと、身が保たないのも事実なのだろう。
 銀歌は寝転がったまま、入り口の襖に目を向けた。
「おまたせしました」
 聞き慣れた声とともに、襖が開く。
「遅かったな」
 銀歌はその場に上半身を起し、白鋼を見つめた。
 だが、客間に流れ込んでくる強烈な酒の匂いに、顔をしかめる。白鋼の頬は微かに赤みを帯びていた。少し飲んでいるらしい。しかし、これほど酒の匂いを漂わせるほど飲んでいるようには見えなかった。
 頭をかきつつ、白鋼は客間に足を踏み入れる。
「たちの悪いのに絡まれましてねぇ」
「タチの悪いのー、ってのはオレのことですかなァ……?」
 呂律の回っていない言葉とともに、一人の妖狐が客間に入ってくる。
 人間年齢三十歳ほどの五尾の白狐。長身の優男である。ばさばさの長い白髪に金色の髪飾りを付け、赤と白の風車模様が画かれた派手な着流しと羽織。さながら歌舞伎役者を思わせる風体だった。ただ、顔は真っ赤に染まり、帯は解けて着物も崩れ、襦袢が丸見えである。右手にはロシア語の書かれた酒瓶。ウォッカらしい。
「つれないですーねィ。しろがえさんー」
 泥酔状態のまま白鋼の肩に手を回そうとするも、あっさり避けられ、一回転してから畳に倒れる。幸い酒瓶には蓋がされているので、中身はこぼれていない。
「霞丸か……」
 見覚えのあるその男に、銀歌は口元を押さえた。

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