Index Top 第6話 銀歌、街に行く |
|
第7章 切り札 |
|
人型の身体が一瞬でアカギツネへと変化する。 手足が縮み、身体が小さくなり、全身の骨格から筋肉、体毛まで全てが組み変わり、仔狐へと姿を変えた。両手足を拘束していた鎖が、あえなく抜ける。 右前足の爪で邪魔な衣服を切裂き、外へと飛び出す。 「封術を、破った……?」 呆然とする由羅。封術の式は術の発動を強制的に妨害する仕組み。術式として強度もあり、数秒で破れるようなものではなかった。式を掛けられた状態で、こんな簡単に変化できることはない。普通ならば。 後ろ足で床を蹴って、銀歌は駆け出した。 由羅の足下をすり抜け、入り口のドアに向かう。 「キツツキ!」 「分かってる!」 キツツキが銀歌を捕まえようと右手を伸ばす。 だが、銀歌は弾けるように身を翻して手を躱した。空を掴む手を見ながら、一直線にドアへと向かう。仔狐の身体は人型よりも小回りが利くのだ。それに、地面を走る小さな動物を捕まえるのは意外と難しい。 「扉は開いているか!」 銀歌はそう叫ぶなり、ドアに体当たりをした。 ドアが開いて、部屋の外へと飛び出す。 「いつの間に!」 後ろから聞こえてくる由羅の声。 ドアには鍵が掛けてあった。加えて、開かないよう封印の結界まで掛けてあった。あったはずである。しかし、銀歌の体当たりで何事もなかったかのように開いた。 ガチャリ。 音を立てて閉まるドア。 振り向くと、ドアノブが揺れている。由羅かキツツキが開けようとしたのだろう。だが、鍵も結界も復活していた。今頃訳が分からず困惑しているだろう。 無人の廊下を走る銀歌。向かいの窓から半月が見えた。 「まずいな……。二度も使うんじゃなかった……」 愚痴りながらも、足は止めない。とりあえず脱出することには成功した。ドアにかけた術を解いて鍵を開けるまで、三十秒はかかるだろう。その間に可能な限り遠くまで行かなければならない。 銀歌は廊下を駆け抜け、階段を駆け下りる。 「……参ったな」 路地裏のビル影に腰を下ろしたまま、銀歌はため息をついていた。既に仔狐から人の姿に戻っている。拾ったカーテンを服代わりに身体に巻き付けていた。 全身を蝕む異様な喪失感。自分が自分でないような、気持ち悪さ。 「まだ実践的に使うには早すぎたか……。反動が大きすぎる」 言霊――そう呼んでいる力。現時点での切り札だった。 理の力を自分なりに解釈したもの。口にした言葉を現実として作り出す技法。小那覇家の血継術に似ているが、術の類ではなくまた術の干渉も受けない。ただ、大きな現象は起こせず、持続時間も短い。しかも使用の代償は自己の喪失。 一回使うだけで、術が使えなくなり力も人間の子供並みに低下。二度も使えば、まともに動けなくなる。もう一回使っていたら、消滅していただろう。 「お世辞にも効率的とは言えないけど。白鋼の言うことは、本当ってことか」 白鋼の言っていた理の力。それが自分の想像よりも桁違いに凄まじいものであることは理解した。イカサマや反則とも言えるほどに。 狐耳を跳ねさせ、銀歌は視線を移す。 「見つけたよ、銀歌」 路地を塞ぐように由羅が立っていた。 風に揺れる銀色の髪。表情からは微かな苛立ちが見て取れる。 「やれやれ、と。まいったね……」 愚痴とともに、銀歌は立ち上がった。今の状態では術も使えず、身体もまともに動かない。歩くことすら難しい。抵抗らしい抵抗はできそうもない。だが、引く気もない。 キツツキの姿は見えない。別の場所にいるのだろう。 「あたしと一緒に来て――ッ!」 弾けるように由羅が振り向く。 手が届くほどの至近距離に、葉月が立っていた。右腕を腰溜めに構えた攻撃態勢。時間的には既に手遅れである。それでも、由羅は咄嗟に鉄硬の術を使った。 ガッ。 硬い金属音とともに、由羅の顔面に葉月の拳がめり込む。身体をバネに変えて打ち出される、高速重量の拳による砲撃。生半可な防御は気休めにもならない。 決着は、一撃で付いた。 紙くずのように吹っ飛ぶ由羅。壊れた人形のような格好で、銀歌の真上を通り過ぎていく。白目を剥いた顔が一瞬見えた。銀色の髪を尾のようになびかせ地面に落ちる。 「………」 案の定、意識はなかった。引きつった呼吸とともに手足を痙攣させている。頸椎辺りに深いダメージがあるだろう。意識を取り戻しても、まともに動けない。 銀歌は空笑いを浮かべながら、 「葉月、遅かったな。……隠れてたのか?」 「風歌を見てれば、絶対に捕まえに来ると思って」 路地の入り口に佇む葉月。外出用の紺色ワンピース姿だった。 あらかじめ銀歌のことを発見しておき、近くに身を潜める。敵が捕まえに来たら、すぐさま攻撃して捕獲。銀歌を囮にした待ち伏せだった。 葉月に殴られた由羅に同情しつつ、銀歌は鋭く視線を巡らせる。 「仲間がもう一人いるぞ」 「逮捕済だ」 聞き覚えのある無感情な声。 灰色の戦闘服を纏った黒髪の男。敬史郎だった。右手に対物ライフルを持っている。仕事に出ていると聞いていたが、この一件に関わっていたらしい。 銃口を突きつけられていたのは、キツツキだった。隠れていた所を敬史郎に発見されたのだろう。後ろ手に手錠で拘束されたまま、疲れたように吐息している。 「捕まってしまった……。やっぱり向いてないんだな、こういう仕事」 「そう思うなら、真っ当に働けば良かったのに。覚悟のない人は、こういう世界に足を踏み入れちゃ駄目だよ。若いから君はまだやり直しが利く。しっかり反省しなさい」 ついでに晴彦までいた。ゆらゆらと尻尾を揺らしている。手紙を敬史郎に渡せたのか、一仕事終った気の抜けた表情を見せていた。説教するのはおじさんの癖だろうか。 「美咲と莉央はどうした?」 「大丈夫、警察に連れて行ったよ。ケガもしてない」 晴彦が両腕を広げて笑う。 二人が無事なことに、銀歌は胸を撫で下ろした。 「あー。姐さん、生きてるかな?」 倒れた由羅を見つけて、キツツキが心配そうに呟く。 葉月は銀歌の横を通り過ぎ、倒れた由羅を肩に担ぎ上げた。口から涎を垂らしたまま、手足をだらりと垂らしている。見たところ死んではいない。 左手を液化させて、葉月は由羅の手足を拘束した。即席で、非常に頑丈な拘束具。 「あとは黒幕を捕まえるだけだね」 左手を元に戻し、力強く笑う。由羅の話しぶりからするに、黒幕は近くにいるはずだ。見つけて捕まえれば、今回の一件は片付くだろう。 だが、敬史郎が否定する。微かに苦い口調で。 「今黒幕に出てこられると厄介だ。来る可能性は限りなく低いが……」 キツツキまで含めた全員の訝しげな視線が向けられた。銀歌や晴彦が足手まといになることを恐れているのではない。敬史郎は、敵の実力自体を恐れていた。 その気配を察し、晴彦が不安げに尻尾を下げる。 「葉月さんに、敬史郎さんがいるのに?」 「俺たちでは無理だ」 断言する敬史郎。葉月と敬史郎がいれば、大抵の相手を倒せるだろう。しかし、敬史郎はそれでも無理と判断している。相手は予想以上に危険なのだろう。 「あのー、俺たちって何か、物凄く厄介な相手に雇われてませんか?」 怖々と尋ねるキツツキ。言葉遣いが丁寧になっている。 しかし、敬史郎は答えなかった。ライフルを引き、葉月に目をやる。いつもの無感情な眼差しではあるが、強い緊張感を漂わせていた。 「俺は行く。葉月、その二人を頼むぞ」 「分かりました」 返事を聞いてから、敬史郎は踵を返した。行き先を訊いてはいけないだろう。 振り返ることもなく、路地の奥に消えていく。 銀歌たちは無言で敬史郎を見送った。 |