Index Top 兄来る - To dear my Sister -

第6章 衝撃の告白、そして空振り……


 銀一が首を左右に捻り、カツ丼を口に入れる。
「敬史郎さんは厳しいな。四時間も説教するなんって」
「でも、タメになりましたねー」
 お握りを作りながら、葉月。
 葉月と銀一を正座させ、延々と意味不明な談義を語った敬史郎。何だか分からないが、二人は聞き入っていた。どうやらそっち方向では高度な話だったらしい。
「あんな変態話を聞きたくもないのに聞かされたあたしはどうなるってんだ? 床に倒れたまま放置されて……」
 銀歌は椅子ごと床に倒れたまま、敬史郎の話を聞くはめになった。理解不能の話を延々と聞くのは苦痛以外の何物でもない。必死に声を掛けても誰も聞かず、三人の世界から放り出され、四時間。
「はい」
 目の前に置かれるお握りふたつと沢庵、お茶。カツ丼をおかわりする銀一のような食欲はない。何も食べたくないが、食事を抜くのは気が進まない。
 もそもそとお握りを食べながら、銀歌はため息を吐いた。
「おい、アニキ」
「何だい?」
「お前、今日中に帰るんだろうな?」
 無駄に爽やかな笑顔の銀一に、銀歌は尋ねる。朝方今日のうちに帰ると言っていたが、泊まるとも言う可能性もあった。明日まで付きまとわれては精神的に持たない。
「ああ、当然だ。ボクは嘘をつかない。正直は一生の宝とも言うしね。それに、愛しの妻が待つ我が家に帰らなければならないからね。よき夫として砂理彩を悲しませるわけにはいかないよ」
 朗らかに答える銀一。
 銀歌はお茶をすすってから、長々と吐息した。訊く。
「妻? お前結婚してたんだ」
「むう。つれない反応だ。驚かないのかい?」
 素っ気ない声に、銀一は不服そうな顔をする。本人としてはとっておきのネタだったのだろう。何らかの反応を期待していたらしい。
 沢庵を囓りながら、銀歌は冷淡に告げた。
「敬史郎が既婚者の時点で、今後そっち方面で驚かないと決めてた」
「そんなッ!」
 いきなり両腕を振り上げ、銀一は叫んだ。両目から怒濤の涙を流し、拳をテーブルに叩き付ける。裏切りを受けたかのような、失望の表情。だが、どこか冗談のような顔。
「大好きなお兄ちゃんが結婚してたなんて! あたしと結婚するって子供の頃に約束したじゃない!  とか言って貰いたかったのにッ」
「言ってない」
 銀歌は言い返した。
「お前が結婚なんか出来るわけないだろ、バカアニキが。どこの脳内妄想だ? 寝言は寝て言え――って罵ってもらうのもいーかなーとも思ったのにッ」
「思うな。てか、つくづく変態だな」
 声真似までする銀一を見ながら、銀歌は呻いた。下手な物真似ならともかく、兄妹ということもあり妙に似ている。その分、気持ち悪さも割増しされている。
 銀歌はお茶をすすり、言い聞かせるように口を開いた。
「そもそも砂理彩はあたしも知ってるから」
「あう?」
 銀一の間の抜けた顔。
「木里咲砂理彩、お前の侍女だろ? あたしは何度か顔合わせたことあるよ。いや、目の前でお前の首へし折った女を忘れろっていうのも無理だけど」
「首を折った……?」
 銀歌の台詞に、葉月が目を丸くしている。
 キリサキ サリサ。当て字のようだが日本の狐族である。銀一とほぼ同い年で、無口ながら芯の強い女だった。銀一の扱い方は完全に把握済み。殴る蹴る締める極めるは当たり前、銀歌の前に現れた銀一の首を即座にへし折り、一礼して連れ帰ったこともある。
「さすがのあたしも絶句したけどな」
 銀歌は感慨深く頷いた。妹の前で兄の首をへし折るなど、まともな神経の持ち主がすることではない。自分も砂理彩以上に酷いことをしていたが、それはそれ。
 ちなみに銀歌にも専属使用人が何人かいたが、顔も覚えていない。
「あの時から何となく、こいつらいつか結婚するなーとは思ってたんよ。予想通りといえば、予想通りだ。驚かそうと思ってたようだけど、残念だったな」
 打ちのめされたように銀一はがくりとテーブルに突っ伏す。溢れた涙がテーブルから床までを塗らす。
 何を思うでもなくその姿を見つめてから、銀歌は椅子から降りた。入り口へと向かう。
「お風呂は一緒に入ろう!」
 一瞬で銀歌の前に移動し、快活に言い切る銀一。
 三秒前までの落ち込んだ表情は消えている。泣いたり笑ったりの感情切替が早い。まともな論理が通じないことは承知しているが。
「失せろ。風呂は一人で入る」
「えー。ぎんかの、いけずたん♪」
 額を弾こうと伸ばされた指目掛けて、右拳を合わせる。
 だが、銀一は素早く指を引っ込めた。拳が空を斬る。頑丈ですぐ治るとはいえ、一応痛覚はある。指を折られるのは痛いだろう。
「はっはっは。当たらないぞー」
「なら、これならどうだ?」
 脛を狙った右足刀の足払い。瞬身の術を乗せた速度であるものの、所詮は子供の放った一撃。銀一は素早く退く。開いた間合いは三十センチ。
 間髪容れず、銀歌は跳んだ。
 以前は身長差十センチほどだったが、今では四十センチほど。顔面を殴るのにも、跳び上がらなければならない。右の裏拳が、頬を狙う。
「甘いッ!」
 勝ち誇った顔で、銀一が身体を引いた。頭が拳の間合いの外に出る。
 ――が、若干足りない。銀歌は握った四指を伸ばした。指先に跳ね返ってくる微かな手応え。現在の身体能力は銀一が上だが、技術と経験は銀歌に分がある。
 銀歌が着地するのと、銀一が膝を突くのは同時。
「え。脳……しん、とう?」
「ご名答」
 銀歌はにやりと笑った。
 指で顎を弾く程度でいい。いくら頑丈でも脳震盪を防ぐことはできない。回復は早いが、十秒ほど行動不能になる。経験から分かっていた。
「かなり痛いが、我慢しろよ」
 銀歌は銀一の右手小指を掴む。躊躇はない。
 跳躍から全身を回転させ、全体重を掛けて関節を極める。無力化ではなく破壊。指と手首を折り、肘関節を壊し、組み伏せる。右肩を外され、銀一は顔面から床に落ちた。
 頭が跳ね返った瞬間を狙い、後頭部に左膝を振り下ろす。
「―――!」
 石割の仕掛けの実践版。数センチの隙間を置いて、床に叩き付けられた銀一。骨が軋む鈍い音。力任せに倒すのではなく、技術による脳への直接打撃。
 さしもの銀一も意識を失う。
「でも、数分くらいで復活するんだよな。おい、葉月」
「なに?」
 取り乱した様子もなく、葉月が応じる。
 元々戦闘を目的として作られているのだ。そういうことで取り乱すことはない。その他の面ではドジである――というよりもやや思考がずれている。
 気絶した銀一を踏みつけ、銀歌は尋ねた。
「何か、こいつを厳重に拘束出来るようなモノないか? 封魔の鎖とか、あるだろ?」
「物置にしまってあると思うよ」
 葉月は廊下を指差す。
 屋敷の西隅にある物置部屋。白鋼の持ち物で比較的安全なものが保管してある。安全といっても、白鋼の基準で安全なもの。銀歌の基準で言えば危険なものが大量に置いてある。勝手に動き出すようなものがないのは幸いだろう。
「何か手頃なの持ってくるから、起きたら殴って気絶させといてくれ」
 銀一を爪先でつつき、葉月の返事を聞くこともなく、銀歌は台所を出た。

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