Index Top 第3話 銀歌の一日

第8章 死の戦慄


 白鋼はぽんと手を叩く。
「そうそう。君の着ている巫女装束ですけど」
 言って、銀歌を指差した。
 白装束に行灯袴。装飾はなく、どこの神社にでもあるような形である。生地は上質の絹。柔らかく、よく汗を吸い、動きやすい。そして、並外れた防御力を持っている。
「空渡の一級式服ですよ。五千万円くらいするので、汚さないでくださいね」
「ぶっ!」
 銀歌は思わず噴出した。
 空見の空渡。守護十家のひとつで、水と雷撃を操る。接近戦の日暈、中遠距離戦の唐草、広範囲攻撃の空渡と、戦闘を得意とする三家のひとつ。防御用霊具を専門に作っている。破魔刀もそうであるが、高い。
「何でそんなもの持ってるんだよ! あたしに渡した破魔刀といいこの式服といい、どこから持ってきてるんだ? 買ってるのか――」
 驚きとともに問うと、白鋼は人差し指を立てて、
「昔、仕事の代金として故空渡達宥から二着貰いました。君にも着られるように丈をあわせて、毎日交互に着せています。他にも珍しい式服があるのですが、葉月はこれがいいと言いましたので、これにしました。……洗濯はしていますよ、念のため」
「……思ったんだけど」
 銀歌は自分の身体を見下ろす。ちんちくりんの仔狐。この身体になってから一週間経ち、日常生活には慣れてきたものの、弱さには慣れることが出来なかった。これからも慣れることはないだろう。
「お前、あたしの身体が欲しくて、あたしと戦っただろ?」
 銀歌は半眼で白鋼を見つめた。
 話を聞く限り、白鋼は桁違いに強い。銀歌は妖怪でも五本の指に入るほどの強さを持っていたが、古の神も含めた日本全体では三十位ほどである。単純な力では百位以下。
(前のあたしは化物じみて強かったけど……本物の化物じゃない)
 認めるのは癪だが、白鋼は本物の化物だ。力でも強さでも上位一桁前半に位置するだろう。銀歌と互角とは思えない。
 自分より弱い身体を欲しがる理由もないが、とりあえず訊いてみた。
 白鋼は苦笑しながら、右手を握って見せる。
「本気を出せば、三秒以内に片がつきました。誇張ではありません」
「……なんで本気を出さなかった?」
「理由はふたつ」
 そう言って、握った手の人差し指を立てた。
「ひとつ目、僕は君を助手として生け捕りにしたかったので、殺すつもりはありませんでした。生け捕りにするのは、殺すより難しいです」
「どう考えても、殺す気としか思えなかったが……」
 告げてみるが、白鋼は気にせず中指を立てる。
「二つ目、理の力を使えば、一瞬で片が付きました。しかし、今の僕は訳あって理の力を攻撃に使えないんですよ。僕の場合は術と理の間が曖昧なので、事象干渉が強い術は使えません。詳細は説明出来ないのですけど」
「その証言を裏付ける証拠は?」
「何もありません」
 銀歌の指摘に、臆面もなく答える。
 銀歌は残りのスポーツ飲料を三口飲んだ。中身は半分くらいに減っている。いくつか訊こうと思ったことから、ひとつ選んで尋ねた。
「あたしを助手にって、そもそも何でなんだ?」
「君には素質があります」
「素質って何なんだ? 的確に答えろ」
 延々と意味のない会話を続ける気にはなれない。
 白鋼は人差し指を立ててから。
「簡潔に言えば、高い理解力。そして、怖いもの知らずの性格です。君は科学文明、パソコンや電化製品に恐怖を覚えない、珍しい部類の妖怪です」
「んん?」
 眉を寄せる。
 銀歌は気軽にパソコンを使っていた。この屋敷にある電化製品も普通に使っている。妖怪や神は、電化製品やパソコンを進んで使おうとしない。なんとなく抵抗があるらしい。葉月もそんなことを言っていた。銀歌にはその気持ちがよく分からない。
「一人の持つ力の合計というのは、一定なのですよ。人間でも近代生活に慣れてしまえば、原始人のような生活は営めません。人間なら野生の技術が失われるだけで済みますけど、妖怪や神は力の減退を起こします」
 白鋼はすらすらと説明した。
「人外は便利すぎる機械というものに、本能的な恐怖心を抱きます。人界の都会の中心で生まれ育った者でない限り、現代文明を使うことは出来ても、首まで浸かることは出来ない。銃器を使うと力が落ちるのも同じ理由です。自身の最大力から銃の力が引かれて、元の力が減少してしまいます」
「まぁ、そうだな」
 銀歌は何度か頷く。妖怪や神は自分の力が減るのを恐れ、好んで機械を使わない。
 白鋼は肯定するように頷いてから、微笑む。
「君は機械を恐れません。機械を使っても妖力が落ちることはないでしょう。仮にあったとしても力の減少は少ないです。それに、半妖は普通の妖怪よりも早く成長出来ますよ。アカギツネの血ですから、どこまで行けるかは僕も知りませんけど」
「……なんにしろだ」
 銀歌は皮肉げに口元を上げて、
「お前を倒すには、あたしの手で理の力とやらを攻撃に使わ――せ……」
 ふっと視界がゆれる。軽く額を弾かれたような、衝撃。意識が異様なまでに研ぎ済まされていった。聴覚、視覚、触覚、味覚、嗅覚。全てが危険信号を放つ。
 事態が呑み込めぬまま、銀歌は後ろに飛んだ。
 気づいた時には、背中が塀に当たる。
 何が起きたか、理解出来なかった。白鋼に攻撃されたという考えが脳裏をよぎる。だが、即座に否定した。どこにも傷はないし、痛みもない。
「生きてる、生きている。死んでない……」
 ようやく理解する。
 凍えたように震える身体。それでいながら、嫌な汗が流れ続けていた。膝も笑っていて、まともに立っていられない。耳がぴんと立ち、尻尾の毛が爆ぜたように膨れている。
「お、お前……今、な、何しようとした!」
 銀歌は震え声で叫んだ。舌がうまく回らない。目元に涙が浮かんでいる。自覚する暇もなく、全力で後ろに走っていた。元いた場所に、ペットボトルが落ちている。
 白鋼は手を振りながら、宥めるように笑ってみせる。
「ごめんなさい。ちょっと殺気が漏れただけです」
「さらっと物騒なこと言うな!」
 動くことも出来ず、銀歌は言い返した。今まで何度となく死を体感してきた。しかし、境界の向こう側に行ったと感じたのは、今が初めてである。白鋼と戦った時も、これほどの恐怖は感じなかった。
 白鋼は振っていた手を見つめ、
「大丈夫ですよ。戻って来てください」
「絶対に嫌だ!」
 銀歌は叫んだ。
 残念そうにため息をついて、白鋼は立ち上がった。
「他人の意図で理の力を使わされるのは、極めて危険なことなんですよ。僕自身の存在の有無に関わるだけでなく、周囲の因果にも関わります。僕に攻撃目的で理の力を使わせようとするなら、銀歌くんでも死んでもらいます」
 脅す口調ではない。忠告する口調でもない。いつもの穏やかな口調。
 殺気もない。威圧感もない。恐怖も感じない。
 だが、動けない。頷くことも出来ない。
「……落ち着いたらお風呂に入ってくださいね。僕はもう寝ますので」
 一例して、白鋼は屋敷の奥に向かう。
 その姿が見えなくなって一分ほどしてから。
 銀歌はその場にへたり込んだ。

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