Index Top 第3話 銀歌の一日

第4章 全知全能の力?


「え?」
 銀歌は自分の目を疑った。
 机、椅子、カーテン、ベッド、本棚、薬棚、薬瓶、機械、姿見。どれも壊れていない。さきほど残らず壊したはずだ。しかし、何事もなかったかのように、元の位置に鎮座している。すべてが嘘だったように。
 白鋼を見やると、袴に足を通していた。
 服も銀歌が斬ったはずである。それなのに、切れ目はなくなっていた。帯を締めながら、掴みどころのない笑みを見せている。
「あたしに術でもかけたのか?」
 まやかしの術で幻覚を見せていた。それしか考えられない。気がつかないうちに術をかけられ、幻を見ていた。気づかれないように術を解き、何も変わっていない現実を見せてから、それを理の力と説明する。
「かけていませんよ。これが、理の一端です。力も何も消費することなく、意思の力だけで現実をほぼ無制限に描き換える。ここに入った時、君は違和感を覚えたはずです。それは他人の支配する領域に入った違和感です」
 当然のごとく言ってくる。
 銀歌は疑わしげに白鋼を見つめた。冗談にしか聞こえない。術を使わず、壊れたものを直すことは出来ない。ならば、最初から壊れていないと考えるのが妥当だろう。
「では、もう一度お見せしましょう」
 言って、白鋼は右腕の袖を捲った。三歩進んで銀歌の前に来る。
 伸ばした指先を銀歌の胸に当て、無造作に貫いた。
「!」
 反射的に腕を掴む。全身が総毛立ち、尻尾の毛が爆ぜた。
 白鋼の腕は、銀歌の胸を貫き、背中まで突き抜けている。出血はない。痛みもない。だが、異物が胸を貫いている感触はあった。信じられないことであるが、白鋼の腕は銀歌の身体を通過している。
「なん……だ。これは……」
 白鋼は貫いた手を開いたり握ったりする。
 腕の筋肉の動きを、銀歌は体内で感じていた。
「見ての通り、僕の腕が銀歌くんの身体を貫いています。ただし、組織を破壊しないようにしてあります。壁抜けの術や憑依の術の応用ではありませんよ。念のため」
 すらすらと答えて、白鋼は腕を引き抜く。
 銀歌は慌てて胸を撫でた。服にも身体にも背中にも傷は残っていない。腕が貫通していた形跡は何も残っていない。
「では、銀歌くん」
 白鋼は床に落ちていた刀を拾い上げる。銀歌の破魔刀。ついでに鞘も拾い上げた。刀をくるりと回して、鞘に収める。
「これを君はどこから持ってきましたか?」
「どこって……」
「僕の部屋に来る途中は手ぶらだったはずですよ? この刀は君の部屋の隅っこに放り出してあったはずです。いつ、どのようにして、君はこれを手にしたのですか?」
「………? え?」
 銀歌は眉をしかめた。分からない。
 部屋に入る時は何も持っていなかった。破魔刀は、自室に置きっぱなしにしていたはずである。しかし、気がつくと刀を抜いて斬りかかっていた。現実として、目の前で白鋼が持っている。しかし、いつ、どのようにして、ここに持ってきたのか、思い出せない。頭の中が混乱している。
「この刀は、君が無意識に理を使いここに持ってきたのです。無論、僕が手助けしましたけどね。君には、素質があります」
「猛烈に胡散臭いぞ」
 何もかもが現実離れしていて現実味がない。露骨に騙されているような気がしてならない。信用出来る要素がない。
「そんなことが出来るなら、あたしの身体奪うことなかっただろ? なにせ万能の力だ。腐毒の術食らっても無効化すればいいんだからな」
 揚げ足取りを兼ねて言ってみる。
「僕は未熟ですからね。理も万能ではないんですよ」
 白鋼は困ったように頭をかいた。
「乱暴な言い方ですが、禁術とは理の仕組みを扱いやすくしたものです。だから、禁術を理で防ぐのは難しいのですよ。腐毒の術も一度は侵食を止めたのですが、君を倒して気を抜いた瞬間に左腕が崩れましてね。今度はどうにも止められずに身体が崩れ始めて、慌てて転生の術を使ったんです」
 そこまで言ってから、肩を撫でる。傷口を撫でたのだろう。
「あの剣も、ある意味で理と同じ力です。しかも桁違いに強力。だから、ここまで治療が困難なのですよ。こんなことになるのだったら、使うんじゃなかったですねぇ」
「お前の話には、証拠がないだろ?」
 銀歌は指摘した。つじつまは通っているように思えるが、明確な証拠は何もない。起こったことに作り話を付け加えているだけかもしれない。
「君の意見は正しいです」
 困ったように、白鋼は微笑む。
「なんにしろ……。お前を倒すには禁術を使えばいいってことだろ?」
「ええ。まさしく」
 皮肉げに告げた銀歌に、あっさりと答えた。
「僕を倒せるのは、禁術だけです。ただ、同じ禁術は二度通じません。それに、君はどこから禁術を持ってくるつもりです? 日本国内にある七十二の禁術は、全て神界の神殿最奥部で厳重管理されています。それを閲覧するには、最低でも二級位の族長級の地位と十年単位の交渉が必要です。許可のない者が盗み見ただけで、厳罰ですよ」
 返す言葉もない。
 腐毒の術を神殿から借り出したのは、族長の空魔である。銀歌はそれを盗み出して使っていただけだ。それも写本で、肝心な部分は書かれていない。本来なら、街ひとつを塵と化す禁術なのだが、銀歌は使うと効果範囲が狭く、生物にしか効果がない。
 五級位の半妖が、禁術を手に入れるのは絶望的に不可能だ。
「まずは、ですね――」
 白鋼は続ける。
「銀歌くんには、十年以内に不老不死を実現してもらおうと思っています」
「無茶言うな!」
 銀歌は言い返した。
 不老不死。日本でそれを実現した数は百人ほど。老化を止める状態から、本物の不死身まで定義は幅広いが、誰でも出来るものではない。才能と知識と努力に加え、運が必要なのだ。たった十年でどうにか出来るものではない。
「生物がいつから老化を始めるのか? 力が全盛期を迎えた後と言われていますが、実際は老けると思った時から老けるのです。妖怪や神が銃器を使うと力が落ちるのも、銃器を使うと力が落ちると思っているから力が落ちるのです」
「精神論かよ」
「違います」
 銀歌の呻きを、白鋼はきっぱりと否定する。
「意思が現実に作用する力は、膨大かつ圧倒的だということです。しかし、それは自覚することすら困難で、制御はさらに困難です。多くの者は、この力を使うのに、致命的に自由度を殺した術という形を取らなければなりません。よくても禁術止まりです。理の力を得る第一段階は、意思の力を自覚し完璧に制御することです。僕はここに行きつくのに八百年かかりました」
「それを、あたしにやれってのか?」
 自分を指差し、鼻で笑う。
「そうです。手がかりなしで結論に行き着くのは困難です。しかし、銀歌くんには僕という先達者がいます。百年もあれば、素地は何とかなるでしょう」
「……ホントかよ」
 銀歌は胡乱な目付きで白鋼を眺めた。穏やかな言葉で丸め込まれているような気がする。白鋼の言葉が事実とは思えない。
「まずは寿命という時間制限をなくします。ゆっくり行きましょう」
 白鋼は微笑みながら、一度時計を眺め、
「そろそろお昼です」

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