Index Top 第3話 銀歌の一日

第1章 白鋼と葉月、闘う


 葉月は用意していた水筒を開けた。
 底の部分に人差し指で穴を開け、中身の無水アルコール千三百ミリリットルを、一気に体内に流し込む。飲むではなく、流し込む。口に含んで飲み込むという動作を行わず、口と喉を開いて体内に放り込んだ。
 水筒をぐしゃりと握り潰して、横に捨てる。
「お待たせしました、御館様」
「それでは、始めましょうか」
 尻尾を一振りして、白鋼は一歩前に出た。
 朝八時の道場にて、白鋼と葉月が手合わせを行う。身体能力テストだそうだ。その実、ただの殴り合い。どちらも、迫撃戦を得意としている。
「何であたしまで……」
 床に胡坐をかいたたまま、銀歌は首輪を直した。いつもの巫女装束。
 白鋼は白い着物と紺色の袴。葉月もいつものメイド服。どちらも普段着。
 白鋼に起こされ、連れて来られたのである。参考になるから見学しろ、とのこと。朝っぱらから、他人の決闘など見たくはない。
「見る価値はある。あの二人は、どちらも体術は一級だ。面白いぞ」
 隣に座った敬史郎が呟く。無表情だが、嬉しそうだ。
 銀歌は二人に目を向ける。
 道場の大きさはおよそ五十メートル×三十メートル。
 二人の間合いは八メートル。どちらも構えを取らず、力を抜いていた。お互いにのんびりとした表情で、機を読みあっている。
 先に動いたのは白鋼。ゆらりと揺れるような緩慢な動き。だが音も気配もない。右手を突き出した。貫き手。狙いは喉。いつの間にか、間合いが消えている。
 火薬が爆ぜるような音。
 銀歌の真横の壁に、白鋼が激突した。
 背中から木の壁にめり込み、床に落ちる。膝から崩れ、糸の切れた人形のように前のめりに倒れた。長い髪と尻尾が後を追う。
「バネの弾丸ブリット。威力は大砲だが」
「……生きてるか?」
 呟く敬史郎は無視して、銀歌は声をかけた。身体を壊されるのは困る。
 白鋼が攻撃を加えた瞬間、葉月が交差法で右拳を叩き込んだのだ。腕の内部を強靭なバネに変え、破裂させる。その爆発力から生み出される破壊力は、大砲だ。
 並の妖怪なら、それだけで身体が砕ける。
 近く落ちている割れた眼鏡を一瞥してから、白鋼は立ち上がった。
「久しぶりの運動ですからね、勘がなまっています。しかも、前の身体に比べて体力も腕力も足りません。銀歌くんは迫撃戦が苦手でしたからね」
 壁の木が砕け散る。
 葉月の腕が機関砲のごとく連続して撃ち出された。当たったら痛い、などという生易しい破壊力ではない。十メートル以上伸びた拳の連打が、壁を覆っていた木を粉砕する。木片が飛び散り、中の鉄板にくっきりと跡を残した。
「!」
 音も無く、葉月の身体が斬れる。
 右胸の辺りから、左の腰まで。斜めに切断されて、上半身が床に落ちた。ごとりという重い音。切断面はきれいな銀色を見せている。下半身が倒れた。
「やはり、上手くいかないですね。断面が汚い」
 後ろには白鋼が立っていた。自分の右手を見つめている。
「ひどいですよ、御館様。いきなり斬ることないじゃないですか」
 床に倒れたまま、葉月が声を上げた。元々液体の身体。物理的な攻撃はほとんど通じない。腕を伸ばして下半身を掴み、断面をつなぎ合わせる。
「お前ら、実は遊んでるだろ?」
 銀歌は呻いた。お互いに強烈な攻撃を繰り出しているが、お互いにさほど効いてはいない。過激に遊んでいるように見える。
「はは、まさか」
「わたしは真面目だよ?」
 説得力のない台詞とともに、二人は向かい合い。
 爆発するような音とともに、白鋼が掻き消えた。視線を移すと、背後の壁にめり込んでいる。飛距離は二十メートル強。三秒ほど壁に貼り付いてから、床に落ちて前のめりに倒れる。壁の木がぼろぼろに割れ、鉄板も歪んでいた。
「………。どんな威力だよ」
 銀歌は葉月に目を向ける。
 身体がひしゃげていた。
 顔面、胸、腹に陥没したような穴が開き、そこから何本もの亀裂が延びている。右腕を突き出した状態で、固まっていた。妖怪はこの程度で死ぬことはない。だが、まともに動けなくなる。普通なら。
 が、三秒ほどで元に戻った。
 そして、鉄骨が割れるような轟音。木の床板を粉砕し、床下に仕込まれた鉄板をへし折り、葉月が床下に突っ込む。地震のような振動とともに、土煙が吹き上がった。
 白鋼が、葉月の背中に拳を叩き込んだのである。見えていたはずなのに、見えなかった。穏行の術は使っていない。それなのに、察知出来ない。
 穴を眺めながら、白鋼は呟く。
「葉月。サボらないでください」
 床下から葉月が飛び出してきた。
 五メートルほど跳躍して、穴の手前に着地する。やはり、無傷。
 お互いに距離を取る二人を眺め、銀歌は気づいた。
「……おい、前ら……。まだ、通ししか、使ってないよな」
 通し。体術の基礎で、身体に妖力を行き渡らせるもの。身体能力がいくらか上昇するが、それだけだ。原理上、元の二倍以上になることはない。迫撃戦を行うならば、通しを使うよりも、剛力の術や瞬身の術などの迫撃系の術を使う。
 つまり。
「準備運動だっていうのか! これが……」
「はい。これから、ちょっと本気を出します」
 こともなげに言いながら、白鋼は尻尾を動かした。拍子を刻むように、三回跳ねさせてから、動く。瞬身の術を用い、一瞬で道場の端まで移動した。
 葉月はその場で両拳を空打ちしている。何もない虚空を叩くように、両腕を高速で動かしていた。蜂の羽音のような空気を切る音。両腕に込められた妖力。
 腕を動かしたまま、白鋼に向き直る。
「重機関砲キャリバー……。人の説明はちゃんと聞け」
 敬史郎の言葉に答えるように。
 破裂音とともに、腕が飛んだ。二十メートル以上伸びる剛拳。剛力の術、瞬身の術、鉄硬の術、破鉄の術を同時にかけた、まさしく重機関砲のような連続攻撃。
 秒間十発近い連打が、道場の壁を紙のように撃ち抜く。
 しかし、白鋼には当たらない。飛んでくる高速の拳をことごとく躱していた。風に舞う紙切れのように軽やかに身体を動かしながら、距離を縮めていく。
 距離が縮めば、葉月の腕の動く距離が減り、打撃の回数も増える。
 だが、当たらない。
 間合いが消え、白鋼の手が葉月に触れた。
 砕ける。
「……!」
 何をしたのか、理解出来なかった。白鋼の手が葉月の胸に触れた途端、その身体が粉々に弾けたのである。無数の金属片となって、周囲に飛び散る葉月。
「破の秘術。珍しい術だ。相手が葉月でなければ、終わりだ」
 敬史郎が呟く。危機感はない。
 床に散らばった葉月の破片が、ころころと転がりながら集まっていく。ここまで細かくされても動けるらしい。十秒ほどで小山を作り上げた。
 小山が溶け合いひとつになると、人型となって立ち上がる。単純な人型から、全身の輪郭や服装、髪が作られ、そこに色がつき、五秒ほどで元に戻った。
「うう。ちょっと危なかったです……」
 額を拭ってから、葉月は両手を振る。

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