Index Top 第2話 白鋼、出掛ける

第4章 敬史郎


 銀歌は目を開けて、尻尾に違和感を覚えた。
 自分の部屋で、布団に寝かされている。殴られた胸に痛みは残っていない。葉月が治療したのだろう。尻尾に目をやり、ため息をついた。
「何やってるんだ? お前」
 一人の男が、銀歌の尻尾に抱きついている。
 二十代半ば、といっても見た目だけで、実際に何歳なのかは分からない。背は高くもなく低くもなく、中肉中背。表情は薄く、思考が読めない。頭に鉢巻のような布を巻き、長い黒髪を包帯のような布でまとめている。着古した白装束に深緑色の羽織という格好だった。匂いで神だと分かる。
「尻尾に抱きついて頬ずりしている」
 そのままのことを答えてきた。見た通りである。
「脊髄反射で答えろとは言ってない」
 銀歌は身体を起こした。その場に胡坐をかく。尻尾を掴まれているせいで、身体にうまく力が入らない。しかも、さわさわと撫でる手の動きに、背中から腕にかけて寒気に似たむず痒さが走っている。
 男は尻尾にくっついたまま離れない。
「お前、敬史郎か?」
「まさしくそうだ」
 きっぱりと言い返してくる。理由は分からないが、妙な自信だ。
 銀歌は部屋を見回した。
 十畳の畳部屋。部屋の西側二畳は板張りになっていて、机と椅子、本棚が置かれている。本棚には、葉月が用意した教科書と参考書。机の上には、ノートパソコン。東側は押入れになっている。その向こうは葉月の部屋だ。南側は中の廊下で、北側は窓。
 布団の横に置いてある、一本の刀。樫の鞘と柄で、鍔はない。
 今朝方葉月に渡された破魔刀。刃渡り一尺八寸。身幅は並だが、分厚く、強度を重視した創りである。大量生産の三級品。九十七式破魔刀。
 銀歌は刀を掴み、鞘から抜く。
「離れないと、刺すぞ」
 敬史郎に切先を突きつけ、唸った。相手が神でも、破魔刀は通じる。この刀で斬られても死ぬことはないが、痛いことに変わりはない。
「俺の至福のひと時を邪魔することは許さない」
 真顔でわけの分からないことをほざく敬史郎。
 銀歌は刀を逆手に持ち、振り下ろした。
 切先が布団に刺さる寸前に、止まる。敬史郎はいない。気配を辿ると、天井に立っていた。逆向きに。壁歩きの術。尾から手を放して、一瞬で移動したらしい。
 銀歌は立ち上がり、刀を構えて敬史郎を睨んだ。撫でられた感触を払うように、尻尾を大きく一振りする。
「……何であたしの尻尾に抱きついてたんだ?」
「気持ちよかったからだ。毛並みがよし」
「…………」
 葉月と同類だと痛感する。というか、変態。
 ビシッと人差し指と親指を伸ばし、それを顎に当てる。
「自己紹介をしよう。俺の名は敬史郎。土地神として、そこの楠木神社に住んでいる。年齢は三百二十一歳。妻子あり。白鋼に頼まれ、これからお前に大学卒業程度までの勉強を教えることとなった。『先生』と呼べ」
「嫌だ」
 銀歌は拒否した。
 敬史郎は天井を蹴って床に降り立つ。
「なら、『ご主人様』と呼べ」
「もっと嫌だ!」
 刀を振り上げ、銀歌は叫んだ。
「なら『お兄ちゃん』だ」
「死ね!」
「……仕方ない。好きなように呼べ」
 敬史郎はため息をついてみせる。冗談で言っているのかと思ってたが、本気だったらしい。何を考えているのか分からない。
 銀歌は刀を鞘に納めた。
「何なんだよ……お前?」
「お前の先生だ。これからお前に勉強と、戦闘術を教える」
「勉強は分かるけど、戦闘術なんて必要ないだろ」
 まがりなりにも、七尾の銀狐としての教育を受けてきたのだ。勉強はサボってばかりだったのでろくに覚えていないが、戦闘術は一応まじめに聞いていた。自分なりに考えたものもあり、いまさら勉強する必要はない。
 ビシッと銀歌を指差し、敬史郎は朗々と語る。
「分かってないようだな、銀歌。お前の覚えた戦闘術は、七尾の銀狐としての膨大な妖力を前提としたものだ。今の仔狐が同じことをしようと思っても、身体がついていかない。俺が教えなおす」
「ふん」
 鼻を鳴らす。
 昨日、色々と妖術を使ってみた時に、気づいていた。妖力が足りず術が上手く使えない。簡単な術でも、感覚が違うので制御が難しい。すぐに慣れるだろうが。
「お前は愚かだ」
「何なんだよ……」
 何が言いたいのか、さっぱり分からない。
「この屋敷ではお前の地位が一番低い」
 説法でもするような口調で続ける。
「葉月は四級位の妖怪。妖術は並だが、迫撃戦の強さは折り紙つきだ。俺は三級位の神。土地神としては上の中に属する。白鋼は一級位に匹敵するな。知識と制御力に、銀歌の妖力を加えれば、間違いなく東長や西長を上回る強さを持つ。もっとも、あいつは何の役職も持っていないから、級位自体を持たない」
「それが、どうした」
「お前は五級位の半妖だ。ただの仔狐。この屋敷の中では一番弱い。いくら強がっても、生意気なことを言っても、自分の意を押し通すことは出来ない」
 銀歌は口を閉じた。
 今の身体では、逆立ちしても白鋼には勝てない。葉月にも歯が立たない。敬史郎にも勝てないだろう。いくら強がりを言っても、拒否されれば力でそれを覆すことは出来ない。理解していないわけではなかった。
「何が言いたいんだ?」
「もっと尻尾もふらせろ」
 表情ひとつ変えずに、言ってくる。
 思い切り眉を寄せて、銀歌は敬史郎を凝視した。今までと口調は変わっていない。冗談かとも思ったが、やはり冗談を言っているようにも聞こえない。
「嫌だ」
 拒否する。尻尾を触られるのは、気持ちのいいものではない。敬史郎が妖狐族だったら、決闘に発展していただろう。妖狐族が同属の尻尾を掴むのは禁忌だ。
 敬史郎はつまらなそうに顔を背けて、
「なら、白鋼に頼むか。あいつの尻尾は大きいから、手触りがいいかもしれない。毛並みが荒れているのは気になったが……。この間は断られたが、次は何とかなるだろう」
「あれもあたしの身体だ!」
 指差して、叫ぶ。
「そんなに妖狐族の尻尾が触りたいのかよ!」
「無論だ!」
 敬史郎は咆えるように断言した。全身から放たれる、意味不明の威圧感。燃え盛る炎を背負っているようにも見える。
 意気をくじかれ、銀歌は突き出していた指を下ろした。
「生徒がお前でなかったら、こんな仕事引き受けていない」
 胸を張って言い切る敬史郎。自分の言っていることに、何の疑問も持っていない。それを言い切る勇気、というか神経はある意味尊敬に値する。
 ぐったりと肩を落とし、銀歌は敬史郎を見つめた。
「何なんだよ。お前……」
「お前の先生だ」
「それは分かったから」
 げんなりと呻く。意図的にやっているのか天然なのか。話がうまくかみ合わない。言いたいことがうまく伝わらない。話していて、無駄に疲れた。
 そこで襖が開く。葉月。
「あ。銀歌、起きたんだ」
 銀歌を見て、声を上げる。自分が気絶させたという自覚はないらしい。
「葉月か。こいつ何とかしてくれよ……」
 敬史郎を指差し、銀歌は呻いた。
 葉月は敬史郎に向き直り、
「お昼ご飯が出来たので食べていってください」
「承知した」
 あっさり頷いて、敬史郎が部屋を出て行く。
「銀歌も早く来て。うどん、伸びちゃうよ」
「あ、ああ……」
 手招きする葉月に、銀歌は頷いた。
 釈然としないものを感じつつ、部屋を出る。

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